60
キルシュブリューテ領に着いたルチルは、オニキス卿とアンバー卿と向かい合った。
「アンバー様、いつかはアンバー様の協力を得ないといけないと思っていました。ですが、陛下やアズラ様にでさえ口を閉ざすことを強いることは、アンバー様の負担になってしまうと思い、今まで打ち明けてきませんでした。しかし、もうなりふり構っていられないのです。どうか私に協力をしてください。お願いします」
頭を深く下げて返答を待ってみたが、アンバー卿からは何も発せられない。
窺うようにそおっと顔を上げると、アンバー卿はボロボロと泣いていた。
泣き声を我慢しているだろう息だけが漏れている。
は? え? ちょっちょっと!
アンバー様が泣くことなんて滅多にないのに、こんなにも号泣されてしまうなんて……
嬉し涙ならポロポロだと思うから、ボロボロってことは辛くてってことだよね?
あたしの秘密なんて聞きたくねぇよ、ではないと信じたいから、陛下やアズラ様を裏切るような行動をしてしまうことが嫌ってことだよね?
そっかー、あたし、アンバー様ならいつでも何でも受け入れてくれるって、自惚れていたんだわ。
最低だな。
ここまでずっと隠してきたくせに、手のひら返したように協力を仰ぐんだから。
それに、協力してほしいなら、先に謝るのが筋ってもんよね。
全面的にあたしが悪い。
傲慢にもなってたんだわ。
反省しないとな。
「虫がいい話をして、本当にすみません。ずっと隠していたのに、今更だとは分かっているんです。ただ、陛下やアズラ様に隠し事って騎士道に反してしまうことになるでしょうし、アンバー様を巻き込んでしまうことも心苦しくて……」
オニキス卿の「俺に騎士道がないって思われてるの心外なんだけど」というボヤきが耳に届いてきたが、聞こえていないフリをする。そっち側にある耳は閉じてしまおう。
「でも、だから言わなかったっていうのは言い訳ですね。ごめんなさい」
「妃殿下……いいえ、ルチル様」
「何でしょうか、アンバー様」
ルチル様と言い直されたのだ。
友人として対等に話がしたいんだと分かり、真っ直ぐ見つめてくるアンバー卿を見つめ返した。
「私は2年早くルチル様より先に学園を卒業してしまってからというもの、とても歯痒い時間を過ごしていました。いつも後から父に聞かされ、どうしてこんなにも自分は役立たずなのかと悔やんでばかりでした。ジャスと双子だったら、どんなによかったんだろうと、何度も考えていました。本当にこの2年は大きいモノだったんです。オニキス様にルチル様の隣を取られるくらいですから」
「それは、その、オニキス様は……」
アズラ様が、と続けるのもアンバー卿を傷付ける言葉だと気付き、口を閉じた。
オニキス卿を選んだのがアズラ王太子殿下だとしても、ルチルもオニキス卿に対しては、何も気にせず相談をしていた。
色んなことが起こり、なし崩し的に相棒みたいな立ち位置になってもらっている。
たくさんの事情が混ざり合った結果なのだが、心を配ってくれていたアンバー卿を、蚊帳の外にしてしまっていたことに変わりない。
「ずっと何かを秘密にされていると分かっていました。専属騎士に任命されてからも、私がまだ力不足なんだと悔しさをバネに精進していました。ルチル様に頼ってもらえる日が早く訪れるよう、強くならないといけないと頑張っていました」
「私はアンバー様に頼っていますよ。ただ本当に、アンバー様に近衛隊の垣根を越えさせていいものかどうか悩んでいただけです」
「私は、幼い頃からルチル様の専属騎士になるのが夢だったんですよ。陛下でもアズラ殿下でもなく、ルチル様を守りたくて、剣の腕を磨いてきたんです。垣根なんて簡単に飛び越えてみせますよ」
ん? ってことはさ、話の流れ的にも、アンバー様は私に協力してくれるってことだよね?
ボロボロ泣いていたけど、あれは嬉し泣きを通り越して、感極まりすぎたからってことだよね?
あー、よかった。めちゃくちゃホッとした。
いつかはアンバー卿に話した方がいいだろうと考えていたけど、巻き込んでしまう申し訳なさがあって、一歩を踏み出すことができなかった。
本当に、ここに到着するまで頭をフル回転させて悩んだ。
でも、もう八方塞がりなのだ。
1人になる時間は皆無だし、オニキス卿と2人の時間を捻出したとしても、どう頑張っても部屋の中での数分になる。
キルシュブリューテ領の屋敷から出ることなんて、到底無理な話なのだ。
もしルチルが眠っているフリをして窓から出かけたとして、それがバレてしまったら……蹴落とそうとしてくる貴族たちから何を言われるか分かったものじゃないし、さすがに王太子妃殿下として破天荒すぎる。
そしてまた、騎士たちのことを蔑ろにしすぎてしまうことになる。
自分のせいで、騎士たちが仕事をしていないと叱責されてしまうことになる。
色々考えて悩んで、今がアンバー卿に打ち明けるタイミングなのかもと思い当たったのだ。
こうやって何かが起こらないと、きっと「話した方がいい」と思いながらも、伝えなかったはずだ。
どうしても「巻き込んでしまう」という気持ちが拭えなくて、口を開かなったはずだ。
全部自分がやりくりして頑張ればいいと、勝手に決めつけていたのだから。
結果としていい方向に舵を取れたが、それがどれだけアンバー卿を傷つけていたのか、はっきりと気付かされた。
出会った頃、キラキラさせた瞳で見つめてきた少女は、立派に騎士という夢を叶えているのに、いまだにどこか子供として接してしまっていた。
アンバー卿はずっと、ルチルを支えるために待ってくれていたというのに、負担にならないようにと寄り掛かろうとしなかった。
元気に楽しく過ごせるように見守らないとと、重要な話ほど無意識に避けていたのだ。
自分はいくらでも頼ってほしいと思っているのにだ。
親友でもあるアンバー卿に対して、本当に失礼なことをしていた。
この数分で、反省すべき点がたくさん見えた。
同時に、この世界に大分と順応してきたと思っていたのに、結局は精神年齢がババアすぎて考えが凝り固まっていたことに気付いた。
そして、今、気付けたことに、まだまだ誰かを思いやれる人間を目指せることが分かって嬉しかった。
「アンバー様。そう言ってくださり、ありがとうございます」
「いいえ。私こそ、ありがとうございます。やっとルチル様の本当の騎士になれて、この上なく嬉しいです」
穏やかな空気の中で微笑み合い、「さっきは嬉しすぎて泣いてしまい、すみませんでした」と頬を赤らめるアンバー卿にハンカチを差し出した。
照れながら受け取ってくれるアンバー卿と、もう一度笑顔を合わせる。
「これでアンバー嬢も共犯ってことだね。よかったー。俺1人の肩には重すぎて、大変だったんだよね」
明るい声で大袈裟に息を吐き出すオニキス卿に、すさかずツッコむように言い返す。
「そんな風には見えませんでしたよ。楽しそうだったじゃないですか」
「楽しいわけないでしょ。ルチル嬢と神様は知り合いだとか、殿下たちの指輪は神様がくれた特殊な指輪だとか、ルチル嬢の金色の瞳は未来が視えていたとか、ミルクは神獣だとか、何でも屋の幹部を匿うとか、ホーエンブラドが黒幕だとか、もしかしたらシャティラール帝国が絡んでいるかもしれないとか、胃に穴が開きそうなくらい大変な日々だったよ」
この子、緊張感もなく、一気に全部告げたな。
何をどう話そうか悩んでいたからありがたいし、さすがなんだけどさ、アンバー様のキョトン顔を見てみなよ。
今、言葉の意味を理解しようと、思考回路を高速回転させてると思うよ。
頭の中「え?」「え?」で埋め尽くされてると思うよ。
「しかもさ、ここに来たってことは、これから何でも屋の幹部に会おうと思ってんでしょ。それってさー、俺ら、どう警護したらいいのって話だよね。ルチル嬢は我を通すから、何を言っても無駄なんだけどさ。安全を考えると止めてほしいよねぇ」
おうおう、水を得た魚のように文句を言ってくるじゃない。
しかも、「ルチル嬢は何を言っても我を通す」ってなに?
確かにあたしは、もう性格を変えられないほど人生を歩んでいる。
考え方が凝り固まっていて、柔軟性に欠けるかもしれない。
それを今反省して、心を入れ替えようとしているの。
でもね、よく思い出してみて。
そんなあたしだけど、あたしほど周りのバランスを考えている人間いないと思うんだよね。
ほーらほら、よく思い返してみようか。
平和をこよなく愛する、あたしの行動の数々を。
……うん、我を通しすぎて、迷惑をかけた記憶しか蘇ってこないかもな。
ごめんなさい。もっと周りを頼るようにします。
「ルチル様! 一体、どういうことですか!? 危ないことをされているんですか!?」
「アンバー様、落ち着いてください。順を追って、説明いたします」
「そうなんだよ、アンバー嬢。ルチル嬢を怒ってよ。俺が言っても全然分かってくれないの」
しっかりと強い瞳でオニキス卿に頷くアンバー卿への説明は、「ルチル様、それはしてはいけません」と何度も注意され、長い時間かかってしまったのだった。
そして、その日の夜、ルチルが知らないところで、オニキス卿がアンバー卿に「ルチル嬢が死ぬかもしれない」ということを共有し、アンバー卿の心の炎をより大きなモノにしていたのだった。
ルチルに頼ってほしいと強く思っている相手との話もきちんとありますので、「アズラのことはよー」となるのは一旦お待ちいただければと……
次話はやっとヴァイトと話し合いをします。
リアクション・ブックマーク登録・読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。




