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キルシュブリューテ領に着くと、ケープが出迎えてくれ、その足で厨房に向かった。
いらないと思うが、形だけのお詫びをオニキス卿に用意するため、今日はフランを作ってもらおうと思っている。
フランとは、フランスの国民的ケーキで、サクサクのパイ生地に、バニラが効いたカスタードを流して焼いたケーキになる。
バニラとラム酒を合わせたフランもあったりする。
料理人たちに細かく指示をしなくても、みんな、パイ生地もカスタードも作り慣れているので、分量を伝えるだけで作ってくれるだろう。
注意事項が必要なケーキではない。
ただ流し込むカスタードによって、個性が異なってくるケーキである。
あたしたちの分にはバニラを効かせたフランを、お祖父様たち家族には、バニラを抑えてラム酒漬けのプルーンを入れたフランを指示して、厨房を離れた。
あれ? バニラ? と引っかかりを覚えた人は多いと思うけど、アイスを作った当初は見つかっていなかっただけで、バニラもきちんと存在していた。
バニラの自生はジャングルのみと読んだことがあるため、それって危険なのでは? と、探すお願いを躊躇した時期もあった。
でも、何度も「バニラがあればなぁ」と思う場面があり、「安全第一で」を強調して探してもらったのだ。
「危険な場所には探しに行かないでいいから」と目尻を下げて祖父や父に依頼したのだが、バニラは簡単に見つかっている。
なぜなら、お世話になっているバゴディ島にあったからだ。
本当にバゴディ島様様である。
喜んだのも束の間、バニラをどこで育て、収穫し、バニラビーンズ作りをするのかで悩んだ。
バニラはカカオの木の下で育てることが多い、と読んだことがある。
それならば、バゴディ島の皆様に依頼をした方がいいんじゃないかと。
ただ、バニラビーンズ作りは世界で最も労働集約的、いわゆる人の手の作業が多いと言われている。
つまり、とてつもなく大変だということだ。
バニラは花に匂いがないため、まずは人工授粉を成功させなければいけない。
そして、鞘を収穫し、熱湯にさっと浸け、天日干し、夜は密閉できる物の中に入れて毛布で保温、翌日また天日干し、夜に密閉保温を3週間も繰り返して、ようやく完成する。
バニラビーンズが高価な理由である。
こんなにも大変な作業を依頼するのは酷だから、種を取り寄せてとも考えたが、お世話になっているのだ。
バゴディ島の人たちの収益になるのならと協議を重ねた結果、島の人たちに栽培と加工を任せることにした。
栽培と人工授粉をしてもらうようにお願いをし、依頼をしてから4年後に、ようやく収穫できるまでになったと連絡があった。
なお、その間に作ってもらった魔道具をバゴディ島には寄付しているので、鞘を収穫してからの作業は短時間で済むようになっている。
魔道具でできることは、全部魔道具がすればいい。
で、ようやく手元にきてくれたバニラビーンズが、お菓子の風味に幅をもたらし、スイーツのバリエーションを増やしてくれた。
本当に有り難い限りである。
フランが出来上がるまでの間、代官のヘリオ・コンディンガ子爵令息から領地の状況を聞き取り、次に屋敷の様子を知るためにケープとの面談の時間を設けた。
そう、ケープとばかりコソコソ話せないので、キルシュブリューテ領に来たついでに、領主仕事をしているかのように見せているのだ。
もちろん部屋の警備は、オニキス卿のみ。
他の近衛騎士たちは廊下での警備になり、アンバー卿もオニキス卿が戻ってきたので、廊下で指揮をとる形になる。
「は? そんなことになってるの?」
オニキス卿が居なかった間の出来事を説明した後の、オニキス卿の呆れていると分かる一言である。
「そうなんですよ。よく分かりませんよね」
「よく分かんないっていうより、派手に動いたね」
「え? そうですか? 私としては、控えめに動いたつもりですけど」
「まぁ、ルチル嬢って何しても目立つから、控えめな方なのかも」
ん? 何しても目立つってなに?
オーラがすごいってこと?
褒められているんだよね?
「それで、ホーエンブラドに、どう報復するつもりなの?」
「ルチル様、その件でお伝えしたいことがございます」
ケープが頭を下げながら、会話に加わってきた。
捕まえた幹部の情報を聞きたくて来たのだから、ケープが声をかけてこなければ、ルチルが問おうと思っていた。
その内容によって、ホーエンブラド侯爵家の潰し方が変わってくる。
「何でも屋の幹部、ヴァイトからの情報を元に、隠し部屋を捜索いたしました。そこで重要な手紙を発見いたしました。こちらです」
ケープは腰に巻いている鞄から、数枚の手紙を取り出して、机に置いてきた。
どの手紙にも宛先の記載はなく、誰宛の手紙かは分からない。
差し出し人を確認しようと1つ裏返しにしたが、裏面にも何も書かれていないし、封蝋された形跡もない。
ケープが重要と判断し押収してきたのだから、きっと中にはすごい情報が書かれているのだろうと、緊張しながら手紙を広げた。
オニキス卿も後ろから覗き込むように、ルチルの手元に視線を落としている。
「これって……」
強張らせてしまった顔をケープに向けると、ケープは真っ直ぐな瞳でしっかりと頷いた。
「ヴァイトにも確認をし、隠し部屋に残っていた書類等も調べました。間違いなく、デュモルが何でも屋のトップだったようです」
ルチルは苦悶しながら瞳を閉じた後、手に持ったままの手紙に再度目を通す。
「何でも屋は、ホーエンブラド侯爵家の裏家業じゃなかったの?」
「はい。そちらも間違いありません」
「そう」と溢しながら、深い息を吐き出した。
手紙はデュモル宛に送られてきたもので、トゥルール王国の生活はどうだ? と、こちらはみんな元気に過ごしているという内容の物だった。
友人か家族、どちらかの親しい人からの手紙だと分かる。
ただ注目すべきは、最後に書かれている送り主の名前だ。
トリフェと読める。
もしこのトリフェという人物が、ルチルが想像した人物なら、更にややこしいことになる。
「ホーエンブラド侯爵家が、シャティラール帝国と繋がっているのね」
トリフェ・パライ・シャティラール。
シャティラール帝国、第二皇子の名前である。
シンシャ様の話では、デュモルがルチルを連れて逃げたシャティラール帝国の街で、ルチルは第二皇子に見初められるんだったわね。
となると、トリフェしか書かれていないけど、偶然同じ名前の人ってことはなさそうね。
ってかさ、えー、なに、これ。
一体何がどうなって、今こうなっているの?
デュモルは、本当に何がしたかったの?
「ねぇ、ケープ。女装に抵抗はない?」
「ルチル様がお望みならば」
「今度は何を言い出すの?」
何の脈略もなく話し出したからって、ジト目で見てくるなんて……オニキス様だわ。
そうそう、これこれ。
たった数日しか離れていなかったのに、本当に懐かしい。
「シャティラール帝国に連れていく侍女の話ですよ。護衛騎士を断られる場所があったとしても、侍女が断られる場所ってないと思うんですよね」
「ケープさんを連れて行くの?」
「んー、大丈夫と思うんですが、ちょっと懸念事項がありまして。ちなみにオニキス様。風魔法で、人1人くらいは浮かせられますか?」
「少しの間でいいなら、できるよ。俺自身が浮けるからね。殿下もできるんじゃないかな」
「よかったです。私が崖から落ちたら、浮かせて助けてもらえそうですね」
「……何の話?」
「シャティラール帝国は崖が多いので、危ないなって話ですよ」
訝し気に見てくるオニキス卿ににっこりと微笑むと、オニキス卿は「ふーん」と嘘くさい笑顔を返してきた。
「ルチル嬢ってものすっごくドジだし、運動神経ないもんね。足を滑らせて落ちる可能性高いよね。ドジだもんなぁ」
「オニキス様、ケンカ売ってますか?」
「売ってないよ。本当のことを言っただけだもん」
売っている。これは確実に、喧嘩を売られている。
だったら、無理難題押し付けてやる。
「では、オニキス様。全面的に私を助けてくれる騎士として教えてください。内緒で匿っている何でも屋のヴァイトに、私が会える方法を」
「無理でしょ。俺以外の近衛騎士を、どうやって離れさせるの? アンバー嬢が休みの日でも、無理だと思うよ」
「考えてくださいよ。それに私、この手紙があったっていう隠し部屋にも行ってみたいんです」
「俺がケープさんと行ってくるじゃダメなの?」
「私だって行きたいんですよー」
「知らないよ。殿下にお願いしてみたら?」
絶対オッケーもらえないの分かってて言ってるやつー。
そもそもアズラ様には、水面下で動いていること秘密だからね。
それも、分かってて言ってるでしょ。
「ケープさん。その隠し部屋って、他にも情報ありそうでした?」
「探せばあるかもしれません」
ほらー、絶対に行きたいやつぅ。
机の引き出しに二重の板があって、そこからデュモルの日記が見つかるとかじゃないの?
もしくは、隠し部屋に隠し部屋があるの。本を抜き取るか、差し込んだら、本棚が動くの。
あってもおかしくないわ。
「じゃあ、明日の夜にでも、俺を連れてってください」
「かしこまりました」
「どうして今日じゃないんですか?」
「殿下に説教されて、行く気力がないと思うからだよ」
あ、なるほど。
あたしがしたことだからね。
きちんと助け船だすよ。
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