54 〜 オニキスの未来 〜
いつになったら迎えに来てくれるんだろ?
予定の3日は過ぎている。今日でもう5日目だ。
セラフィの心配をしなくていいから有り難いけど、ルチル嬢の状況が分からなさすぎて焦燥に駆られてしまう。
きっと上手くやっていると思うけど、抜けている所があるから、問題を大きくしていないか不安になる。
殿下に怒られるの、俺なんだよなぁ。
「おはようございます」
「セラフィ様、おはようございます」
欠伸をしながら起きてきたセラフィは、洗面所に消え、すぐに戻ってきて朝食の準備を始めた。
口ずさんでいる歌声に、耳を澄ませる。
セラフィとは、大分と自然体で接せられるようになった。
溢れてくる涙も勝手に落ちなくなったし、穏やかに過ごせた数日に軋む心は癒された。
今回、この点においてだけは、ルチル嬢に感謝している。
ずっとセラフィのことが、頭の片隅から消えなかった。
心に刺さったままの棘は、二度と抜けないと思っていた。
でも、今セラフィが幸せだと知れて、痛かった胸が和らいだら、なんだか色々落ち着いたというか、腑に落ちた。
俺は、ずっとセラフィだけを好きだと思っていた。
けど、それは勘違いだったんだって。
好きだったことに間違いはないし、今も好きだって言える。
でも、これは恋でも愛でもなくて、殿下やルチル嬢達に近い友情のようなものだ。
気持ちの色と形が、昔と違っている。
ずっと罪悪感が蔓延っていたから、きちんと見えていなかったんだ。
バカな自分に気付きたくなくて、自分に何もなさすぎて、昔の傷に縋り付いてたんだ。
そりゃ、頑張って前を向いているセラフィが眩しいわけだよね。
自分の足で立って、「幸せだ」と笑えるセラフィが輝いて見えるわけだよね。
それを、俺は恋したままだと勘違いしてたんだ。
どこまでもバカで嫌になる。
「セラフィ様。相変わらずトマトには、砂糖をかけるんですね。気持ち悪いですよ」
「この美味しさが分からないなんて、オニキス様は可哀想ですね」
にっこりと微笑んでくるセラフィに、そろそろツッコんでみることにした。
「記憶、ありますよね?」
コーヒーを口に含んだ時に言ってやったので、咳き込んだセラフィは鼻から少し出していた。
「痛い」と喚く、間抜けすぎる顔が可笑しくて、笑いが込み上げてくる。
「信じらんない! 絶対タイミング計ったでしょ!」
「なんで俺が怒られるの? 俺をずっと騙していたセラフィが悪いんじゃん」
「それは……」
セラフィが、辛そうに唇を引き結んだ。
俺のことが嫌いとかなら、ここ数日、朗らかに会話なんてしていないと思う。
だから、嘘を吐いていたのは、たぶん俺のためなんだろう。
そんな気がする。
「聞いていい?」
「何を? あー、本当に鼻痛い。許せない」
「可愛い仕返しじゃん。聞きたいことは1つだよ。妃殿下は知ってんの?」
「知ってるよ。はじめから打ち明けていたから」
なるほど。
迎えに来たら、ルチル嬢にも何か仕返ししないとな。
こそっと教えてくれてもよかったんだ。
それなのに、黙っているなんて酷すぎる。
セラフィに忘れられて、めちゃくちゃ傷付いたんだから、その分意地悪しても許されるはず。
「気づかれるなんて思ってなかった。どこで気づいたの?」
「んー、はじめは違和感があったんだよ。しっかりしすぎているっていうか、俺を俺だと認識しているというか。これはって考え始めたのは、俺の好きなお菓子を中心に勧めてきた時かな。妃殿下が色々置いていっているとしても、俺が好きなお菓子ばかりな訳がないからね」
「しくったー。緊張を解してあげようとかするんじゃなかったー」
「……ねぇ、セラフィ。妃殿下にも、その口調とかじゃないよね?」
「してないよ。まだ猫被ってるから安心して」
「……被れてたらいいね」
「被れているから大丈夫よ。被れていなくても、妃殿下なら受け入れてくれるわ」
俺が「間違いなく喜んで受け入れるだろうな」とニコニコするルチル嬢を思い浮かべたように、セラフィも同じことを考えたんだと思う。
視線だけで「だよね」「だね」と投げ合い、声を上げて笑うタイミングが一緒だった。
これは、同じ想像をしていないとできないから。
「ねぇ、オニキス。私もね、聞きたいことがあるの」
「なに?」
「今、幸せ?」
柔らかく微笑んでくるセラフィに、少しだけ目頭が熱くなる。
「幸せだよ。俺には勿体無いくらいにね」
「そっかー。だったらさ、どっちがより幸せになれるか勝負しない?」
「勝敗決められなくない?」
「そんなことないよ。こうなったら幸せだろうって、目標を決めるの。それを先に達成した方が勝ち」
「んー、分かった。負けた方の罰ゲームはどうする?」
「鼻からコーヒーにしましょ」
「やだよ」
「ダメ。決まりよ」
「まぁいいか。俺が勝つんだし」
今、昔のように会話できていることが楽しくて幸せで、もう負けてもいいとさえ思えている。
ううん、鼻からコーヒーは嫌だな。
勝てる目標にしよう。
「そうやって驕っていると負けるからね。後、オニキスの目標は、好きな人と両思いだから」
「は? なんで俺の目標を、セラフィが決めるの?」
「だってオニキスに決めさせたら、よく分かんない目標になりそうじゃない。あ、私の目標はもう決めているから、オニキスは黙ってね」
「はぁ、もういいよ。はいはい。それでいい」
「なによ。自由に動けるオニキスの方が有利なんだから、不貞腐れないでよ」
「ごめっ」
ハッとして、咄嗟に謝ろうとして止めた。
セラフィが、口元をニヤけさせていたからだ。
俺が焦る姿を面白がろうとしていたんだと思う。
「ん? ん? 聞こえないな。なになに?」
「何でもない。で、セラフィの目標は何?」
確かに、セラフィは元々明るい性格だ。元気だ。猿だ。
でも、今テンション高く喋り続けているのは、会話が止まってしまわないようにという配慮からだろう。
長年話してこなかったんだ。
止まってしまってギクシャクしたら、居心地が悪くなってしまうかもしれないからだろう。
そんなこと、気にしなくていいのに。
だって、昔に戻れたような感覚が、胸を占めている。
会話がなくなっても、自由気ままに遊んでいた時のように、気まずさなんて訪れないと思うよ。
「私の目標は、ここから出ること」
「……出られるの?」
「どうしてそんなに驚いているのよ。妃殿下が教えてくれたわよ。世の中ってのは、お金があれば大抵のことはできるって」
「まさか……でも……」
「私の公演料のお金をね、貯めてくれているんだって。まだまだ足りないらしいんだけど、妃殿下が歌える場所を増やしていきましょうって言ってくれていてね。今も少しずつだけど歌う機会が多くなっているし、夢物語じゃないかもって思えるようになったの」
聞いてない。
俺、ルチル嬢の右腕くらいの自信あったのにな。
いつの間に調べて、そんな計画を立ててたの。
また俺へのサプライズとかだったら怒るよ。
「オニキスって、涙脆くなったよね」
「うるさい」
可笑しそうに笑うセラフィの声が、耳に心地いい。
ずっと、こんな時間を再び持てたらと願っていた。
もう叶わないと思っていた。
それが、ルチル嬢に打ち明けた時から、知らない間に状況が変わっていって、今叶っている。
どうしようもなかった俺は掬い上げてもらって、踏ん張っていたセラフィに夢を持てるようにしてくれた。
何度、心の中で感謝したか分からない。
ありがとう、ルチル嬢。ありがとう。
この恩は、俺の一生をかけて返すよ。
未来を歩きたいと思わせてくれて、本当にありがとう。
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