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「シュラーさん」
柔らかく投げかけたはずなのに、シュラーは身を縮め、勢いよく床に頭をつけた。
「はははい。ポニャ、ポニャリンスキ辺境伯令嬢様を担当できましたこと、はじめは本当に嬉しかったんです。しかし、私が提案したドレスはどれも却下されてしまい、もうどうしたらいいのか分からなくなったんです。そんな時、お客様の1人にポニャリンスキ辺境伯令嬢様のことを問われ、素直に『まだデザインは決まっていない。ご本人もどのようなデザインがいいか決められないそうで』と溢してしまったんです。すると、その方は『秘密の話』を教えてくださいました」
「秘密の話?」
「じ、じつは、アイオラお嬢様に劣等感を抱いているから、わざと困らせてお店の評判を落とすつもりなのかもと。あ、後は、ルクセンシモン公爵令息の婚約者は元々違う方で、その方を陥れて婚約者の席に着いたと。で、でも、ただの噂だから、本当のことを知りたいのなら何でも屋を頼ってみるといいと教えてもらったんです。それに、ルクセンシモン公爵令息の好みが分かれば、ドレスのデザインに役立つとも」
ここでも出てきた『何でも屋』の言葉に、ルチルは「ここでもか」と「まぁ、そうだよね」という気持ちが混ざり合った。
シトリン公爵令嬢を傷つけた裏側にいたし、キルシュブリューテ領を襲撃する際にラブラド男爵令嬢の家を襲っている。
それなのに、エンジェ辺境伯令嬢を悲しませる場面に登場しないなんてことはないだろう。
そう確信めいたものがあった。
だけど、どのように繋がるのかが分からなかったし、ただの嫉妬から幼稚なことをしているのかもとも考えていたのだ。
「それで、依頼したの?」
「は、はい。アイオラお嬢様とポニャリンスキ辺境伯令嬢は元々仲が悪く、婚約を機にアイオラお嬢様を召使いのように使っていて……そ、そして、ルクセンシモン公爵令息とアンゲノン侯爵令嬢の仲を壊したと……ルクセンシモン公爵令息の好みはアンゲノン侯爵令嬢だと……」
ここでガーネ様の名前が出てくるのかぁ。
まぁ、ずっと候補でいたから、周りはガーネ様が公爵夫人になると思ってたはずだからなぁ。
突然出てきたエンジェ様を、よく思わない人は多いわよね。
だとしても、ジャス様のアプローチの強さは相変わらずだし、そろそろ納得しなさいなのよね。
それに、何でも屋に利用されるためにガーネ様は歯を食いしばったわけじゃないんだから。
「優柔不断で周りを疲労させて、しきりに謝ってきて、それなのに美味しいところはきちんと自分の物にしているなんて、性格が悪すぎるから、少しくらい困って反省すればいいと思ったんです。私たちのドレスだって馬鹿にしているんです。可愛いと言いながら全く違うドレスをオーダーするなんて、侮辱していると同じです」
説明をしながらムカついてきたのだろう。
饒舌になっていくシュラーに、呆れた息を吐き出しそうになる。
ただ、シュラーの言い分に同意せざるを得ない部分はある。
それぞれのブランドのドレスには、それぞれのデザインの良さがある。
作っている職人には誇りがあり、自分のところが1番だと胸を張っている人が多いだろう。
全く異なるドレスをオーダーするのなら、違うブティックに頼めと思うだろう。
特に、このお店はリボンをモチーフにしている。
リボンがないドレスはない。
リボンのリの字もないようなエンジェ様のドレスを見て、憤りを感じるのは仕方がないのかもしれない。
まぁ、だったら、お店側から断りを入れたらよかったんじゃないのとも思わなくもないけどね。
でも、それは無理か。
相手は上位貴族だし、何より経営者のアンジャー侯爵が入れたオーダーだものね。
「ちなみになんだけど、エンジェ様はリボンを1つも付けたくないって言ったの?」
黙るのね。
ってことは、リボンが嫌だったとかじゃなくて、ただ単にシュラーと好みが合わなかったってだけなのかも。
後は、体型のことを言い続けてくるシュラーに、段々と何も言えなくなったとかかもね。
少しは心を強く持てるようになったとしても、傷が深ければ深いほど、すぐに昔の感覚に引っ張られるものね。
抜け出すのは、本当に大変よね。
「シュラーさんの事情は分かりました」
「で、では!」
シュラーに希望を宿した瞳で見られ、ルチルはわざとらしい笑みを浮かべた。
「何でも屋の嘘に踊らされたシュラーさんを、助けるなんてことはしないわよ」
「……踊らされた?」
「だからと言って、私があなたに罰を下すこともしないわ」
ルチルの話していることが理解できないのだろう。
瞳を揺らしているシュラーにもう一度微笑み、ルチルは静かに事の成り行きを見届けていたアンドラ店長に話しかける。
「エンジェ様のドレスは、私の方で引き受けるわ」
「え? あ、あの、妃殿――
「それと、切ってしまったドレスのお金は私が払うから心配しないで」
「あの、その――
「アンジャー侯爵には、今日のこと全てを報告しておいてね。シュラーのこともだけど、知っていて黙っていた数名のことも、包み隠さず全部よ」
シュラーやこの店の従業員たちがどうなるかは、アンジャー侯爵の采配になるということだ。
当たり前だ。
ここはアンジャー侯爵の店で、ルチルは妃殿下といえどだたの客なのだから。
そこを踏み荒らして、アンジャー侯爵の不興を買う必要はない。
「は、はい。あの、妃殿下、このた――
「アンドラ店長。私への謝罪はいらないわ。謝罪する相手を間違えないで」
「はい……ただ、この度はご足労いただいたのにも関わらず、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした……」
「それだけは受け取っておくわ」
切られたドレスはアヴェートワ公爵家に配達してもらうように頼み、泣いているシュラーをアンドラ店長に預け、ルチルはアンバー卿と部屋を後にした。
「妃殿下。母に今日のことを伝えてもよろしいでしょうか?」
階段を降りている時にアンバー卿に話しかけられ、ルチルは悩んだ。
ルクセンシモン公爵家は、公爵も公爵夫人も陽気な印象しかない。
でも、いくら明るい印象があっても公爵家だ。
ガーネ侯爵令嬢の時に脅す真似をしようとしていた。
だからこそ、知ったらどう動くのか予想ができない。
可愛がっているエンジェ辺境伯令嬢のことになると、報復に動くかもしれない。
しかし、ルチルが派手に動いたのだから、バレるのは時間は問題だ。
だったら、娘のアンバー卿から伝えてもらった方が、誤解は生まれにくいだろう。
「伝えて大丈夫よ。でも今回のことは、エンジェ様にも非があることもきちんと話してほしいの。それと、エンジェ様には私から注意が入るとも」
「……かしこまりました」
アンバー卿にああ言ったが、注意をするつもりはない。
だって悪いのは、シュラーと何でも屋と何でも屋を勧めた令嬢だ。
そして、黒幕のホーエンブラド侯爵家になる。
エンジェ辺境伯令嬢は、巻き込まれた形になる。
間違いなくエンジェ辺境伯令嬢は悪くない。
それに、仲がいいから全面的に味方でありたい。
そう言える。そう言えるのだが……嫌だと言えない優しすぎる性格が発端にもなってしまっている。
迷惑をかけてはいけないと、誰にも相談できなかった慎ましい性格が一因でもある。
ルチルから見れば、大好きで可愛くて世話をやきたくなる性格だが、公爵夫人になるのだから優しいだけでは生きてはいけない。
それでも優しさを貫きたいのなら、鈍感でいなければならない。
向けられる悪意全てをスルーするスキルが必要になる。
でも、エンジェ辺境伯令嬢にそれができるようには思えない。
となれば、「断る」「拒否する」「意見を曲げない」ことを覚えてもらうしかない。
守られるばかりじゃ、守りたいと思った時に動けない。
どんな時だって、最後にものを言うのは心の強さなのだから。
あ、後、お金もだ。
とまぁ、なんだかんだ言ったけど、ただただ勿体無いと思ってしまうのだ。
ここまで心が綺麗な女の子が嫌われるなんて、本当に勿体無い。
これ以上、傷ついてほしくもない。
だから、要らぬお節介だと分かっているが、心を鬼にして「今回の原因の一部」を伝えてみようと決めたのだ。




