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軽食を食べさせ終わり、アズラ王太子殿下が仕事をしている姿を眺め、就業後に「お疲れ様でした」とアズラ王太子殿下の足の間に座って手のマッサージを行った。
「僕は足よりも手の方が気持ちよくて好きだな」と口元を緩ませるアズラ王太子殿下に、『手は痛くしていないからですよ』と心の中で小さく笑った。
そして、「やっと僕の番だね」と顔を輝かせながらチャロと消えたアズラ王太子殿下は、10分ほどで私室に戻ってきた。
「え? アズラ様、その格好……よろしいんですか?」
あたしのお願いで色んな服を着てもらったことはあるけど、それは誰も見ていない部屋の中でだったからオッケーだっただけで……今、廊下を歩いてきたよね?
たくさんの人に見られたんじゃないの?
大丈夫?
「うん。だって、僕は今からルチルの執事だからね」
燕尾服を身に纏い、胸に手をあてて腰を折るアズラ王太子殿下の所作が綺麗すぎて見惚れてしまう。
さすがアズラ様。どんな姿でも様になっている。
って、これってさ、鬼嫁なあたしが王太子を執事扱いしてこき使っているって噂になりそうじゃない?
えー、あー、うん。まぁいいか。
どうせあたしの悪い噂は多いしね。今更1つ増えようが関係ないわ。
それに、やる気満々のアズラ様に水を差すのは何より違うしね。
チラッとチャロを見ると、軽く頭を下げてから侍女たちを連れて退出してくれた。
ルチルはソファから立ち上がり、アズラ王太子殿下を色んな角度から眺めた。
そして、にっこりと微笑みかける。
「では、アズラ。まずは何をしてくれるの?」
わずかに頬を赤めるアズラ王太子殿下は恥ずかしそうに視線を逸らした後、手を差し出してきた。
あらあら、呼び捨てにそこまで反応してくれるなんて、やっぱりここぞという時に使うべきなのね。
夜の営みの時でさえ「アズラ様」呼びだから、余計にインパクトがあるんだろうけど。
というか、たぶん執事って、案内はしてもエスコートはしないと思うんだけどな。
ま、いっか。今から何をするのか、なんとなく分かるし。
ふっふふふ。逆に可愛い顔を見せてもらおう。
ルチルが予想した通り、手を引かれて向かった先は浴室だった。
今しがた用意が終わったんだろう。
お湯からは湯気が立ち上っている。
「湯船に入られましたらお呼びください。洗髪いたします」
「ダメよ、ダメ。全部してくれないと」
「い、いえ、私は執事ですので、そこまでは……」
そんなことだろうと思った。
アズラ様は引っ付きたがるけど、決して野獣じゃないんだよね。
お風呂だって結婚したら入ってくれるって言ったのに、押し切らないと逃げられちゃうしね。
まぁ、恥ずかしそうにチラ見しては悶えている姿が可愛いからいいんだけど。
あたしにバレていないと思っているところも可愛いのよ。
でも、今日はね、先にやり始めたのはアズラ様だから。
少しだけ困らせてイチャイチャしよう。
「私が許しているんだからいいの。体も隅々まで洗ってね」
「え? ちょ、ルチル、待って」
「違うでしょ。ルチル様でしょ」
「え? あ、うん、ルチル様。体を洗うというのは、やっぱり、その難しいといいますか」
「もう触っているし、舐めたことはあるし、見たことあるのに? 洗うのはダメなの?」
「そ、それとこれとは違うの!」
「アズラ、口調が戻っているわよ」
「あー、えっと、うん、ルチル、一旦この設定は無しにしよう」
真剣な面持ちで真っ直ぐ見られ、つい我慢できずクスクス笑ってしまった。
アズラ王太子殿下はルチルの悪ノリだと分かったのか、体から力を抜いている。
「もう、僕を困らせて楽しまないでよ」
「私は自分の気持ちに正直なだけですよ。でも、今日は自分で洗いますね。次は脱がせて洗ってくださいね」
「うーん、うん、頑張るよ」
微苦笑を浮かべるアズラ王太子殿下の頬にキスをすると、アズラ王太子殿下からも返してくれる。
微笑み合った後すぐに脱ぎ出すと、アズラ王太子殿下は慌てた様子で浴室から出て行った。
その姿に、隣室に聞こえないように笑いながら体を洗った。
少し熱めの湯船に浸かり、楽しみを隠しきれない声を投げかける。
「アズラ様ー。終わりましたよー」
ゆっくりとドアを開けて薄目で確かめるなんて、あたし信用されてなくない?
まぁ、いつものやらかしを考えれば、されてもおかしくはないんだけどさ。
期待に応えて、ドア前で両手を広げておけばよかったかな?
いや、それはさすがに妃殿下としてというか、女性としてあるまじきかもしれない。
うん、やらないでよかった。
ジャケットを脱いで腕まくりをしているアズラ王太子殿下が、丁寧に髪の毛を梳かしてから少しずつお湯をかけてくれる。
「アズラ様、どうして私が喜ぶことが執事だと思われたのですか?」
普通に疑問なんだよね。
色んな制服を着てもらったけど、どれも似合っていたから燕尾服姿だけを褒めていないはずなのよ。
「昔、僕の誕生日にルチルが侍女をしてくれたことがあったでしょ」
ミニスカ履いたやつだよね。
アズラ様のあの時の慌てっぷり可愛かったなぁ。
それにしてもアズラ様、髪の毛洗うの上手くない?
寝ていいなら眠れるほど気持ちいい。
「僕のことを考えてやってくれたんだろうけど、ルチルが僕にしてくれることはルチルがしてほしいことなのかもって思ったんだ。ルチルは誰かを傷つけるような嫌なことはしない優しい人だからね。だから、発想を逆にして、ルチルがしてくれたことは喜んでくれるのかなって。合ってる?」
重度のルチルバカ発言があったけどそれは無視して、あたしは基本自分がされたら嫌なことはしないようにしているだけだよ。
目安がないと初動って難しいからさ。
後は、相手の反応を見て変えていくようにしてる。
あたしの嬉しいと相手の嬉しいが一緒じゃない可能性もあるからね。
ただ、悪意がある奴には悪意で返すから、決して優しい人ではないんだよ。
絶対に負けないって決めて、後悔させるからね。
「ということは、アズラ様が私にしてくださることは、アズラ様が私にされたいことなんですか?」
「え? あ、そうなるね。そっか、ちょっと違うね」
可笑しそうに笑ったアズラ王太子殿下の声が心地いい。
穏やかな時間が、本当に心を癒してくれる。
「私は、結構なんでもアズラ様と一緒にできることは嬉しいですよ。どんなことだってアズラ様と一緒なら乗り越えられるし、楽しめると思うんです」
「うん、それは僕もそうだよ。ルチルといられる時間がもっとあればって、いつも思っているしね」
「では、本当に執務室の壁を取ってしまいましょうか?」
「いいの!? ルチルが了承してくれるなら、明日にでもすぐに壊してもらうよ」
仕事くらいはって思ってたのよ。
アズラ様が私の仕事を気にしすぎて、自分の仕事を後回しにして手伝ってきそうで困るかもって気持ちもあったし。
でも、アズラ様の休憩時間を確保するには、それくらいのことをやらないとスケジュールの改善なんてできない気がするのよね。
それに、どうせ1人の時間はないんだから、それなら推しと同じ部屋で過ごす方が元気でるはずだものね。
誰かが訪ねてきたら、アズラ様と知り合いだったとしても、全員もれなく応接室対応にすれば、内緒話の時に離れても怪しまれないと思うしね。
うん、アズラ様の幸せを考えるなら、これしかないわ。
「はい。今回のどっちを喜ばせられるかの勝負はアズラ様の勝ちですから。以前からアズラ様が提案されていることを叶えたいと思ったんです」
「僕のこれ、そんなに喜んでくれているの?」
「もちろんです。疲れが吹っ飛びました」
「嬉しい。でも、眠るまで続くからね。楽しみにしていて」
幸せをかけ合わせるように微笑み合い、その日はずっと温かい時間を過ごしたのだった。
次話からまた色々動く予定です。
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