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ルチルの隣にアズラ王子殿下が座り、ガゼボについていた侍女が冷たいフルーツティーを淹れてくれた。
オニキス伯爵令息の瞳が、ルチルをずっと捉えている。
「オニキス様、チョコレートは成功していますので」
「知ってますよ。殿下からの招待状に、とても美味しかったと書いていましたから」
「え? アズラ様、書かれたんですか?」
「うん、1番好きなスイーツになったからね」
アズラ様は、純粋に美味しいよと伝えたかっただけだよね?
先に食べたよっていうマウントじゃないよね?
「チョコレートは暑いと溶けてしまいますからね。早速ですが食べましょう。カーネ、皆様にお配りして」
カーネが頷くように頭を下げてから、小さな箱を全員の前に置いた。
箱の中には4種類のチョコレートが1粒ずつ入っている。
「うっそ!? あれがこれになるの!?」
そこまで砕かれていなかった豆が、艶のある固まりになっていたら驚くよね。
1粒取って眺めているオニキス伯爵令息に、ルチルが声をかける。
「オニキス様、手の温度でチョコが溶けてしまいます。お早目に召し上がられた方がよろしいですよ」
「え? うわっ! 本当だ! 溶けてきてる!」
えいっと口に放り込んだオニキス伯爵令息が、突然立ち上がった。
腕を大きく動かし、大袈裟な身振り手振りで、美味しさを表現しているようだ。
「おいしー!!!」
叫んだ姿に全員目が点になったが、次には笑いが込み上げてきた。
「笑ってないで食べてみなって。これすごいよ。スイーツの革命だよ」
オニキス伯爵令息は指についたチョコレートを舐めようとして、フロー公爵令息に止められている。
残念そうにナプキンでチョコレートを拭くオニキス伯爵令息に、また全員笑った。
「あら、美味しいわ……というか、美味しすぎるわ……私、生クリームが苦手でしたの。でも、このチョコレートは大好きですわ」
ああ、分かる。分かるよ。
生クリーム苦手な人っているよね。
生クリーム独特の食感が苦手なんだろうな。
「美味しい。とても美味しいです、ルチル嬢」
「……うまい」
フロー公爵令息は顔いっぱいの笑顔で、ジャス公爵令息はボソッと感想を教えてくれた。
アズラ王子殿下はチョコレートに夢中になっていて、既に3粒も食べ終わっている。
「ルチル嬢、これって、いつになったら買えるようになりますか?」
「どうでしょう? カカオがある程度輸入できて、魔道具が完成してからになりますから、販売には時間がかかるかと……」
「魔道具? これはどうやって作ったの?」
食べ終わったアズラ王子殿下が、満足したような、まだ物足りなさそうな顔で聞いてきた。
「これは、家の料理人が2日間かけて、手作業で作ってくれました。販売するとなると人員の問題もありますし、何より作った人によって味が変わるのは困りますから魔道具で作れるようにしたいんです」
「そんなに時間がかかるんですか!?」
「はい。ですので、販売できたとしても始めの頃は数の確保は難しく、お値段的に貴族の方にしか販売できないだろうと、お祖父様もお父様も仰っていました」
「はい! はい! はい!」
「はい、どうぞ。オニキス様」
「優先的に買わせてください! お願いします!」
「まぁ! 駄目に決まっていますでしょ!」
「俺はルチル嬢にお願いしてるんですぅ」
「ですから! 常識的に考えて、1つの家を優遇することは難しいと言ってるんです! アヴェートワ公爵家が何か言われたらどうなさるんですの!」
「ルチル嬢の友人だからでいいんじゃないですかー」
「そんなこと仰ったら貴族の繋がりが捩れます! 無理に決まっているでしょう!」
このヒートアップ、どうしよう?
チラッと周りを見ると、アズラ王子殿下はフロー公爵令息と仲良く会話をしていて、ジャス公爵令息は無言でゆっくりとチョコレートを食べている。
「アズラ様、私のチョコ食べますか?」
「いいの?」
フロー様と話しながら、チラチラとフロー様のチョコを見ているの気づいてたよ。
もっと食べたいけど言い出せないって分かってたよ。
「殿下だけ狡いですよ。俺ももっと食べたいです」
「オニキス様、申し訳ございません。アズラ様は婚約者ですから。それに、アズラ様とオニキス様からいただいたカカオは、もうありませんの。ですので、販売まで待っていただくしかないのです」
アズラ様、そんなに嬉しそうに何度も頷かなくても……
「僕は婚約者だからね」
ああ、チョコよりもその言葉が嬉しかったんだね。
アズラ様も立派なルチルバカだからねぇ。
チョコレートの箱を交換すると、アズラ王子殿下は箱の中のチョコレートを穴が空くほど見つめている。
「ねぇ、ルチル。チョコは保存できる?」
「2週間くらいなら可能ですが、できれば早目に召し上がられた方がよろしいですよ。日が経つにつれて、風味が落ちてしまいますから」
バターや生クリーム入ってるからなぁ。
保存がきくチョコは前世の工場で作るチョコくらいで、職人の手作りだったチョコは賞味期限短かったからね。
「そっか、後で食べたいと思っても駄目なんだね。今、食べるよ」
アズラ様は頭の回転に糖分使ってるだろうから、常時チョコでの補給は理に適ってる。
けど、いかんせんカカオがもうないからね。
家に残っている分は、弟のおやつなんだ……申し訳ない……
「ルチル嬢、販売まで待つから優先的に買わせてください。この通りです」
机に頭をつけてお願いされた。
「オニキス様、頭を上げてください。1度だけでしたらいいですよ。お父様に伝えておきます」
「本当に!?」
「はい。カカオを教えてくださったのはオニキス様ですから。それに、アズラ様はもちろん、スミュロン公爵家やルクセンシモン公爵家にも1度だけになりますが、優先的に販売させていただきます」
「よろしいのですか?」
「はい。皆様には今後も、アズラ様や私と仲良くしていただきたいですので」
うん? 斜め前から物凄くキラキラとした瞳を向けられている気がする。
アンバーさん、なんでしょうか?
「是非! 是非! 仲良くしてください!」
「アンバー嬢、落ち着いて。ルチルが驚いているよ」
「申し訳ございません」
はじめはとても落ち着いている令嬢かと思ったけど、オニキス様とのやり取りやさっきのキラキラ顔から察するに、落ち着いている令嬢を装える令嬢なんだろうな。
あたしも優雅な令嬢を装ってるから、人のこと言えないんだけどね。
「ルチル。アンバー嬢は、将来ルチルの護衛騎士になりたいんだって」
「護衛騎士? アンバー公爵令嬢は騎士志望ですの?」
「アンバーと呼んでください」
「では、アンバー様と。私のことはルチルでお願いします」
「よろしいのですか!? 嬉しいです」
とても表情豊かな子だなぁ。
子供らしくて、好感が持てるわ。
弟のジャス公爵令息は、表情が一切変わらないのよね。
今のところ挨拶と「うまい」しか話してないし。
とても無口な子なんだろうな。
「スイーツを開発されたということで、前からルチル様には興味がありましたの。ですが、尊敬に変わりましたのが、サヌールヴォ子爵の絹糸の件でした。
もうご存知かもしれませんが、蚕の養殖の資金援助はルクセンシモン家がしているんです。そのおかげで私、サヌールヴォ子爵令嬢とは仲良くしておりますの。
優しい令嬢は、とても両親を心配していたんです。いつも疲れきっていた両親が、アズラ王子殿下の誕生日パーティーの日から見違えるほど元気にされているそうで。
理由をおうかがいしたら、ルチル様が絹糸を使ってドレスを作られると聞きました。しかも、婚約式でおめしになるドレスだなんて。
なんて素晴らしい提案なんでしょうと驚きましたの。周りの貴族からの心ない言葉も少なくなるでしょうし、何よりも絹糸の宣伝になりますもの。これから忙しくなるぞって子爵夫妻の楽しそうな姿に、令嬢も嬉しそうですのよ。
子爵令嬢に代わって、お礼申し上げます。ルチル様、ありがとうございました」
立ち上がって、深く頭を下げられた。
なんともまぁ、世界は狭いものだなと思う。
まさかアンバー様と子爵令嬢が友達だったとは。
でも、あたしは、別にサヌールヴォ子爵を助けたくて絹糸が欲しいと言ったわけじゃない。
まだ広まっていないシルク生地でドレスを作ったら、さぞかし綺麗なドレスができるだろうなって思っただけ。
「アンバー様、頭を上げてください。私の行動が誰かを助けられるなんて嬉しい限りです。ですが、反対もあることを肝に銘じます。私の行動が誰かを貶めてしまうこともあると。今回は助けることができたようで、よかったですわ」
顔を上げたアンバー公爵令嬢は、頬をピンクに染めて高揚していた。
「私、剣術頑張ります! ルチル様を護れるように強くなります!」
「ありがとうございます。でも、まずは仲良くしていただけると嬉しいです」
「はい! よろしくお願いいたします」
アンバー公爵令嬢と微笑み合っている姿を、周りも幸せそうに頬を緩めている。
チョコレートを食べ終わり、アンバー公爵令嬢とオニキス伯爵令息を中心に、王都で流行っている物の話をして盛り上がった。
2人は、よく王都を散策しているらしく、とても詳しかった。




