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スピネル男爵令嬢を見送り、ルチルはその足でアズラ王太子殿下の執務室に向かった。
チャロが開けてくれたドアから様子を窺うと、アズラ王太子殿下は読んでいただろう書類を置いて立ち上がるところだった。
「ルチル、どうしたの? 今日はもう見送りの時しか会えないと思ってたよ」
満面の笑みで駆け寄ってくる姿に尻尾と耳が見えるようで、クスクス笑いながらルチルからもアズラ王太子殿下に近づく。
交代するようにチャロが部屋から出ていき、オニキス卿さえも廊下で待機するようで中に入ってこない。
アズラ王太子殿下に軽く抱きしめられ、閉まるドアの音を聞きながら、ルチルはアズラ王太子殿下の胸に顔をすり寄せた。
「犯人が分からない状態だから不安を拭えないよね。大丈夫だよ。ルチルは絶対に守るからね」
頭にキスを落とされ、優しく背中を撫でられる。
うん? もしかしなくても、部屋に2人っきりになったから慰めてほしいって勘違いさせちゃったのかな?
ミルクが治してくれて、元気になった姿を見てるから、憂いなんて綺麗さっぱりないんだけどな。
でも、スピネル様の話を聞いて、気持ちが強張ったのは確かだもんね。
さっきの笑顔で癒されたけど、もっと元気をもらっておこう。
「え?」
ルチルは背中に回している手で、アズラ王太子殿下のシャツをズボンから引っこ抜いた。
そして、服の中に手を突っ込み、遠慮なく直に背中を触りだす。
「ルチル、何をしようと……」
「アズラ様に引っ付いて舐めたいと思いまして」
「引っ付くのはいいけど、舐めるのはダメだよ」
「ダメですか?」
悲しそうに目尻を下げながらも、背中を弄っていた手でお腹側のシャツも引っ張り出していく。
「うん、お風呂入っていないからダメ」
乙女みたいなことを言うんだから。
可愛すぎて、キュンって萌えちゃうのよね。
あ!今度、手や指でするハートを教えて写真に残そう。
それに、国民の前でやってもらったら流行るんじゃない?
アズラ様にハートを向けてもらったら、一生の思い出になるもんね。
でも、チャラチャラしているって嫉妬する人もいるかもだしなぁ。
要検討だわ。
「大丈夫です。食べたくなるほど、いい匂いしていますから」
シャツのボタンに手をかけ、じゃれつくようにキスをする。
ダメと言っていたはずのアズラ王太子殿下からは執拗に深い口づけを求められ、応えながら体に手を這わすことは忘れない。
お互い肩で息をしながら至近距離で見つめ合い、それぞれの首に唇を押し当てようとした。
「5分経ちましたよー! 開けますよー!」
オニキス卿の大きな声と共に、ドアが強くノックされた。
まぁ、そうよね。
何の合図もなく2人っきりになれたから不思議に思ったけど、きっとチャロがアズラ様と同じように私が不安でやってきたと思ったんだろうな。
でも、やっぱり5分か。
仕事の合間だし仕方ない。
諦めて大人しく離れようとしたが、アズラ王太子殿下はルチルを閉じ込めるように強く抱きしめてきた。
「ルチル、離れたくない。もっと一緒にいたい」
熱願するように伝えられ、ルチルは今の状況を正確に理解した。
なるほど。勘違いしてたわ。
チャロが気を効かせてくれたのは、アズラ様があたしに何かあるかもって不安がっているからだったのね。
それもそうよね。
アヴェートワ公爵家の当主と嫡男が襲われた日に、あたしは外泊しようとしているんだもの。
ルチルバカのアズラ様だったら、犯人を見つけるまで外出すらしてほしくないって思ってるわよね。
それなのに、何も言わず、笑顔でミルクの世話を了承してくれたんだもんな。
外見も心も男前に育ちすぎだわ。
「今日は無理ですが、明日は一緒の部屋で仕事をしませんか?」
「本当に? いいの?」
「もちろんです。1時間頑張ったら5分引っ付いて、また1時間頑張る。いかがでしょう?」
「嬉しい。ものすっごく頑張れるよ」
「決まりですね。今から楽しみです」
軽めのノックが聞こえ、ドアが開けられた。
オニキス卿の呆れている息が、ハッキリと聞こえてくる。
「そんなことだろうと思って、服を直す時間をあげたんですから綺麗に着直しててくださいよ。殿下の肌は女性には危険なんですよ」
チャロに「殿下、こちらへ」と言われ、アズラ王太子殿下は名残惜しそうにルチルから離れ、ドア側に背を向けた。
ルチルは着崩れしていないため、自由になった体でソファに腰かける。
お茶の用意をはじめているアマリン子爵令嬢たちの顔や手は真っ赤だ。
「アズラ様がどう危険なの?」
「殿下って顔からは想像できないほど、筋肉のつき方が綺麗なんですよ。それに、どうして焼けないのか不思議なくらい肌も白いですしね。雄って感じがしないのに、妃殿下とイチャついた後は色気が出てるから堪らなくなるんですよ。勇ましい女性や男性でも抱ける男なら襲おうとしてもおかしくないんです」
あらやだ。さすがエロエロ小説の主人公だわ。
王太子相手にバカやってしまう人を出すかもしれないなんて、強力な媚薬や惚れ薬と同じくらいの色気ってことだもんね。
「それは危険ね。髪の毛1本、涙1粒まで私の物なのに」
「そこで涙って出てくるのが妃殿下ですよね」
いいじゃない。
泣いている姿も可愛いんだから。
最近は「ダメだよ、ダメ」って泣いてくれなくなったけどね。
その代わり愛し合った後、たまに幸せそうに泣くのよ。
その姿が尊すぎて、天に召されそうになるのよね。
「僕の全てはルチルの物だから、誰だろうとあげないよ。安心して」
言いながら隣に座り、こめかみにキスを落としてきた。
ルチルもアズラ王太子殿下の頬にキスをし返して、微笑み合う。
「アズラ様、愛しています」
「僕も愛してるよ」
「はいはい、分かりましたから。妃殿下、時間押しはじめましたよ。相談するならサクッと相談して、仕事に戻りましょう」
本当にオニキス様は、物怖じせず進言してくれて助かるわ。
今の言葉でアズラ様も甘い空気を消して、真剣な面持ちに変わったし。
あたしの秘書みたいになっちゃってるけど、将来は宰相になるはずなのよね。
アズラ様も早い時分から一緒に知恵を絞りたいだろうなぁ。
お父様の説得、どうなっているんだろう?
「ルチル、何かあったの? それとも、何かしたいとか?」
「少し気になることがあったんです」
ルチルは、先ほど聞いたスピネル男爵令嬢の話をした。
聞き終わったアズラ王太子殿下は「確かにおかしいね。こっちにも打診があったのか調べよう。母上にもベネディアート侯爵のことを尋ねてみるよ。鉱山を何個も所有する侯爵家なら関わったことがあると思うから」と微笑んだ。
ルチルを安心させようと笑っているんだと分かる微笑みに、ルチルは「お願いします」と伝えてからアズラ王太子殿下の唇を奪ったのだった。
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