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夕方になり、エンジェ辺境伯令嬢がやってきた。
応接室に入室したルチルは、駆け寄ろうとした足をなんとか留めた。
駆け寄ったら彼女はきっと自分のせいで心配をかけてしまったと、恐縮する気がしたからだ。
「エンジェ様、急にお誘いして申し訳ありませんでした」
「いえ。ルチル様からの招待は、いつでも大歓迎です。嬉しくて今日1日ソワソワしてしまいました」
そんな言葉を交わしながら、ルチルはエンジェ辺境伯令嬢と向かい合うようにソファに腰を下ろした。
侍女がお茶を淹れてくれている間に、微笑みながらエンジェ辺境伯令嬢を見やる。
ジャス卿が心配してお願いしてきたのも納得なほど、エンジェ辺境伯令嬢の顔色は悪く、元気がない。
痩せたというよりやつれているし、無理をして笑っていると分かる。
「廊下で待機を」
侍女たちは一礼して下がるが、オニキス卿は人差し指で自分自身を指している。
「俺は?」と問いかけてきているのだ。
「オニキス卿はそのままで」
「はいはーい」
軽く返されたが、今はその軽さが有り難く感じた。
ルチルは、エンジェ辺境伯令嬢にできるだけ優しく微笑みかける。
「エンジェ様、お仕事はどうですか? 困ったこととかありますか?」
ずばり「何かありましたか?」と聞きたいが、早々に尋ねて、答えを遠慮されたら困る。
エンジェ辺境伯令嬢が、自然と相談してくれるのが1番好ましい。
「特にありません。先輩方も優しい方たちですので、色々助けていただいています」
「働きやすい職場でしたらよかったですわ」
不自然な様子は感じられないから、これは違うみたいね。
相談しにくいってことだったら、アヴェートワ公爵家が絡む仕事かなと思ったんだけどな。
仕事で困っているわけではないと。
「公爵夫人の勉強はいかがですか? シトリン様は、『やること多すぎるわ!』と怒ってましたよ」
笑いながら言うと、エンジェ辺境伯令嬢の頬がわずかに緩んだ。
「シトリン様が怒るのは分かりますわ。本当に膨大な量で、改めてルクセンシモン公爵夫人もお母様も素晴らしいのだと尊敬いたしました」
嘘のように見えないから、ルクセンシモン公爵夫人との嫁姑問題でもないと。
まぁ、公爵夫人は優しいし、傍から見てもエンジェ様は可愛がられているって分かるもんな。
「私もお母様たちには頭が上がりません。それは、お父様たちにもアズラ様にも言えることですけどね。よくあんなに働けるなぁと畏敬の念を抱きますわ」
内容と呆れたような口調が合っていないからだろう。
エンジェ辺境伯令嬢はクスクスと笑っている。
笑う元気はあってよかったと、ルチルは心の中で安堵の息を吐き出した。
「ジャス様はいかがですか?」
「倒れてしまうんじゃと少し心配なほど忙しくされています」
「公爵としての勉強に、騎士としての仕事。それに、今は婚約式の準備もありますもんね」
エンジェ辺境伯令嬢の体がビクついた。
「そうですね」と頷く顔には、辛そうな笑顔が浮かんでいる。
シトリン公爵令嬢とフロー公爵令息は婚約パーティーだが、エンジェ辺境伯令嬢とジャス公爵令息は身内だけの婚約式を行う。
親族だけで、神殿にて式を行い、ルクセンシモン公爵家で晩餐会が行われる。
食材やスイーツに関して、アヴェートワ商会で整える手筈になっている。
表情を曇らせるエンジェ辺境伯令嬢に、ルチルは小さく頷いた。
「婚約式の準備は順調ですか? 用意することが多くて、色々と大変ですよね」
「いいえ。私は全然……皆様に迷惑を掛けっぱなしで恥ずかしい限りです……」
「エンジェ様が? 何か失敗されたんですか?」
「その……」
膝の上に置かれているエンジェ辺境伯令嬢の手に力が入った。
ルチルは柔らかい笑みを崩さずにいる。
「頑張ってダイエットをしているんですが……」
え? まさかやつれたのって、思うよう落ちなくて断食始めたとかじゃないよね?
「もしかして、思うように成果を得られないのですか?」
「はい……ただそれだけだと別にいいのですが、太ってしまっているようでして……」
肩を落とす姿が痛々しく見えて、ルチルは眉尻を下げた。
「お力になれたらと思うのですが、どのようなダイエットをされているんですか?」
「食事とおやつを半分に減らし、毎日屋敷の周りを歩くようにしました」
うんうん、初めはそれくらいからでいいと思うよ。
若いんだし、ある程度ならすぐに痩せると思うんだけどなぁ。
「それなのに、増えてしまったんですね」
「……はい。今では1日1食で頑張っているんですが、それでも太ってしまうんです」
そんなことある?
そりゃグータラしてる中年ならあり得ないこともないけど、運動と仕事をしている10代が痩せないって逆に病気を疑うレベルだよ。
「本当に申し訳ないことに、私のせいで衣装合わせが困難になっていまして……衣装を合わせる毎にやり直しばかりになるものですから、皆様に苦労をかけてしまっているんです……」
うん?
そんな頻繁に合わせるかな?
「デザインを変えられるんですか? もしくは大幅に手を加えるとか?」
「いいえ。デザインはとてもシンプルなものにしました。蓮の花のブローチをつけますので、そのブローチを目立たせるようなデザインなんです」
「素敵ですね。どれくらいの頻度で合わせられるんですか?」
「2週間に1度くらいです。本来ならもうできていてもいいらしくて……本当に面目ないです……」
「その、できていてもいいというのは、誰かに言われたんですか?」
エンジェ辺境伯令嬢たちの婚約式も春に行われる。
過ごしやすい気候の方がいいだろうということで、春を待っているのだ。
間に合えばいいのだから、わざわざ「もうできていてもいい」なんて言う必要はない。
「裁縫師の方たちです。これ以上は……と頭を下げられました」
ああーん? これ以上ってなんだ! これ以上って!
一体どこのどいつだ! 許さん!
思いっきり文句を言いたい気持ちを飲み込んで、ルチルは優しく声をかける。
「エンジェ様、ダイエットをお手伝いいたしますわ。私に任せてください」
「え? よろしいのですか?」
「もちろんです。必ずや、エンジェ様を健康的に痩せさせてみせますわ」
握り拳を作って見せる勝ち気なルチルに、エンジェ辺境伯令嬢は涙目になりながら「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」と頭を下げたのだった。
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