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食べ終わったルチルは周りを見渡して、まだ挨拶をしていない子爵家男爵家の人たちを見る。
「アズラ様、挨拶に回りましょう」
「そうだね。そろそろ挨拶しないとね。誰からいこうかな」
「サヌールヴォ子爵夫妻はいかがでしょう?」
「うん、いいね。サヌールヴォ子爵からにしよう」
少し遠くでお酒を飲んでいるサヌールヴォ子爵夫妻を目指して、歩きはじめる。
「ルチル、勉強したの?」
「はい。アズラ様の隣にいても恥ずかしくないようにと……まだまだだとは思いますが」
「そんなことないよ。ルチルから、サヌールヴォ子爵の名前が出るとは思わなかったからビックリしたよ。僕のために勉強してくれてありがとう」
いえいえ、自分のためですよー。言わないけど。
サヌールヴォ子爵は、今はまだ目立っていない王族派の貴族だ。
ごく最近、国内初、蚕の養殖に成功した貴族になる。
蚕の養殖、つまりは絹糸・シルク生地だ。
これから業績を上げてくるだろう。
アズラ王子殿下が近づいてきていることが分かったサヌールヴォ子爵夫妻は、飲んでいたグラスを給仕に返し、頭を下げてアズラ王子殿下の到着を待っている。
「サヌールヴォ子爵、頭を上げて」
サヌールヴォ子爵が、頭を上げた。
夫人はまだ頭を下げている。
「王国の星、アズラ王子殿下にご挨拶申し上げます。この度はお誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
「そして、アヴェートワ公爵令嬢にご挨拶させていただきます。サヌールヴォ子爵家当主クロム・サヌールヴォと申します。こちらは妻のユナ・サヌールヴォです。どうぞよろしくお願いいたします」
「妻のユナ・サヌールヴォでございます。よろしくお願いいたします」
再度頭を下げたサヌールヴォ子爵よりも、夫人はより深く頭を下げている。
「ご挨拶ありがとうございます。私は、アヴェートワ公爵家ルチル・アヴェートワと申します。以後、お見知りおきください。子爵に子爵夫人、どうぞ顔を上げてください」
頭を上げたサヌールヴォ子爵夫妻に微笑んだ。
遠くから見た時は貴族名鑑で見た年齢より若く見えると思っていたが、近くで見ても年齢よりも若く見えると思った。
祖父と父の間くらいの年齢の人たちだ。
「サヌールヴォ子爵夫妻とはお話したいと思っていたんです」
「光栄でございます」
「蚕の養殖が成功したと聞きましたので、その事でおうかがいしたいことがありまして」
「つい最近の事ですのに、ご存知でしたか」
周りで会話に聞き耳を立てている貴族たちも驚いている。
「不躾で申し訳ありませんが、絹糸はどれくらいありますか?」
「そうですねぇ……まだドレス2着、いや1着ぐらいですかね」
「では、そちらを買い取らせていただくことは可能でしょうか?」
「え? うちの糸をですか? こちらこそよろしいのでしょうか?」
サヌールヴォ子爵が戸惑うのも無理はない。
蚕の養殖には成功したが、シルクは出回っていないのだ。
シルクという手触りも滑らかな生地になるということもまだ一部の人間、興味本位で蚕の糸から小さな生地を作った子爵夫妻しか知らないのだ。
「はい。お許しいただければ、そちらの糸でぜひ婚約式のドレスを作りたいと思っていますの」
周りが一瞬にして静まり返った。
サヌールヴォ子爵が飲み込んだ唾の音が聞こえる。
「とても光栄でございます。そのような栄誉をいただいてもよろしいのでしょうか?」
「はい。私が使わせてほしいとお願いしているんですから」
「ありがとうございます。ぜひお使いください。献上させていただきます」
「いえいえ、購入します。購入させてください」
何回か押し問答が行われて、アズラ王子殿下に「献上してもらおう。お礼に何か贈ればいいよ」と言われ、ルチルが折れた。
サヌールヴォ子爵夫妻は涙を浮かべるほど喜んでいて、サヌールヴォ子爵夫妻の元を離れる時は深くお辞儀された。
「サヌールヴォ子爵はね、前子爵の借金がすごかったらしいんだよ。そのせいで周りの貴族からは蔑まれていてね。今回の蚕の養殖は最後のチャンスなんだって漏らしていたそうだよ」
「そういう裏側があったんですね。知りませんでした」
「知っていて手を貸したんだと思ったよ」
「全くです。アズラ様がサヌールヴォ子爵夫妻を1番にされたのは、そのためだったんですね」
「挨拶しかしたことないけど真面目な方だろうとは思っていたからね。先に挨拶することで蔑みが減ればと思ってね」
いやはや、7才の子供が考えることなんだろうか?
いくら王太子教育が始まっているからといって、そこまで考えられるなんて。
生まれながらの統治者なんだろうな。
次の挨拶も、またその次の挨拶も、ルチルはそれぞれの領地の特産品を会話に織り交ぜて話を盛り上げた。
領地を持っていない貴族の人たちとの会話には、その人たちの職業の話や子供の話を振って会話を弾ませていた。