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百合の造花と母の話に血の気が引いたルチルは、貧血に倒れそうになりながら鏡の前にやってきた。
猫目な自分を見ながら「なんで……」と、口の中で呟いた。
どうして会ったこともないのに婚約者候補なの?
お母様の言う通り、ミニチュアで造花は意味がない?
だったらいいけど……
なんで百合の造花なんて贈ってくるの!
中途半端なことしないでよー!
没落とか斬首刑とか、本当に嫌なんだけど。
体の中の空気が全部なくなるんじゃないかと思うほどの深い息を吐き出して、冷静になるようにと自分に言い聞かせる。
とりあえず、造花だったんだし無視しよう。
たぶんだけど、同じ年だから候補に見てますよってことじゃないかな。
そうであってほしい。
それに、もし生の百合が贈られてきたら、祖父と父に嫌だと泣きつこう。
陛下は2人に頭が上がらないって聞いたし。
絶対の絶対に、王家に近づかない。
陛下にも王妃様にも王子様にも、絶対の絶対に会わない。
うーんと唸りながら、斜め上を見る。
会わないためには、どうすればいいんだろう……
夜会の参加はまだまだだろうから、お茶会とかかな?
呼ばれないためには……遠く離れたら大丈夫かな?
今、たぶん王都にいるんだよね?
そういえば! と、祖父と父の昨日の会話を思い出した。
お父様が、お祖父様に「そろそろ1度、領地を見てきてください。いつまでルチルの側にいるんですか?」って言ってた。
お祖父様は「嫌だ。ずっとルチルの側にいる」って言ってたけど。
そうよ! お祖父様について、領地に行けばいいんだ!
それで「領地が気に入ったから、ずっとここに住む」って言えばいいんだわ!
うんうん。
昨日のお祖父様の感じだと、きっと遠くにあるんだろうな。
ものすっごい嫌がってたから。
そうと決まれば、お祖父様に相談しよう!
お祖父様は、家族の中でもあたしに特に甘々だから、何でも聞いてくれるはず!
いい案が思いついたとばかりに手を叩いて、急ぎ足で祖父の部屋に向かった。
祖父の部屋をノックすると、中から「どうぞ」と声が聞こえてくる。
背伸びして何とかドアを開けると、目を真ん丸くした祖父母が慌てて駆けてきてくれた。
お祖母様とお茶の時間だったか。
お父様とお母様もだけど、お祖父様とお祖母様も仲が良くて何より何より。
「ルチル、どうした?」
優しく抱き上げられ、頬ずりされながら聞かれた。
実はルチルは、ダンディでイケオジな祖父が好みど真ん中で、その祖父に優しくされる時間がとても幸せだった。
そして、好みど真ん中の祖父の横に、これまた「何歳ですか?」と聞きたくなるほどの美貌の祖母にも「美魔女、尊い……使い方あってるはず……」と思っていた。
祖父と祖母の間に座らされ、頭を撫でてくる祖父をゆっくりと見上げる。
侍女が、ルチルにジュースをと部屋を出ていった。
「おじーちゃまにおねがいがありまちて……」
「なんだい? お祖父様が何でも叶えてあげるよ」
デロデロに溶けた顔でさえもイケてるなんて、さすがお祖父様。
「ルチル、おでかけちたいでしゅ」
「いいぞ。散歩か? 今なら庭の桜が満開だ。見に行くか」
小さく首を横に振って、祖父の服を掴んだ。
ちなみに、アヴェートワ公爵家の花は桜で、毎年ルチルの誕生日に満開になっている。
「どこか行きたい場所でもあるのかしら?」
頬に手をあてて首を傾げる姿まで儚くて麗しいとは……お祖母様、素敵です。
「きのうおとーちゃまが……えっと……りょーち? ルチル、いってみたいでしゅ」
祖父母が顔を見合わせてから、祖父がまた優しく頭を撫でてきた。
「そうだな。ルチルもそろそろ家の外に出かけてもいいだろう。一緒に領地に行こうか」
顔を輝かせ大きく頷いてから、祖父に抱きついた。
祖父は、嬉しそうに抱きしめ返してくれる。
「よし! 今から行くぞ」
「いまからでしゅか?」
「ああ、今からだ」
立ち上がった祖父に抱き上げられ、祖母と並んで歩き出す。
部屋から出ようとしたところで、さっきジュースを取りに行った侍女が戻ってきた。
祖父が、侍女に「ルチルと領地に行ってくる」と父に言付けるよう伝え、廊下を進んでいく。
え? え? あたし、何も用意してないよ?
お祖父様もお祖母様も、何も用意してないよね?
もしかして、既に馬車の中に荷物とか用意済みだったの?
出発前のちょうどいいタイミングだったの?
困惑するルチルに気付かない祖父母は、「ルチルとのお出かけ楽しみだなぁ」と微笑み合っている。
連れてこられた場所に、ルチルは顔を伸ばした。
桜の並木道を通り抜け、噴水を横切り、また桜の並木道を通り抜けた場所には、全面芝生の広場があった。
歩いてる間、どんなけ広いの!? と、口が開いてしまっていたことは言うまでもない。
芝生の広場には、等間隔で長方形の石像が置いてある。
その1つに近寄ると、芝が生えていない場所があった。
抱きかかえられているため、上から見えるのでよく分かる。
魔法陣だ……
芝が生えてない場所は線が描かれていて、まるでナスカの地上絵のように魔法陣が浮かび上がっている。
「おじーちゃま……これはなんでしゅか?」
「ルチルは初めて見るな。これは転移陣でな、好きな場所に行けるんだ。まぁ、好きな場所といっても、転移陣で繋がってるところだけだけどな」
……なんとなく、そう思ったよ。
これって、一瞬で領地行って、一瞬で帰ってこれるってことじゃないの?
いーやーだー!
あたしの計画が! 領地引き籠り計画がー!
「目の前にある転移陣は領地の屋敷と繋がっていて、横の転移陣は王宮に繋がっている」
お、お、王宮に!?
ええ!? ここ王都じゃないの?
王宮まで馬車移動じゃないの?
「その横は、それぞれの公爵家だな」
おおっと、四大公爵家それぞれにも繋がっているんですか……
そうですか……ここの人たちの移動は魔法陣なんですね……
次元が違いすぎる……
「後は、主要都市にある神殿に繋がっている。横の石板には、どこに繋がっているか書いてるからな。使う時はちゃんと石板を確認してから使うんだぞ」
「あら、あなた。ルチルはまだ魔法を使えませんよ」
「そうだが。説明は必要だろう」
使うには、魔法を使えないと移動できないのね。
それもそうか。
小さい子供が勝手に移動したら、大変どころの騒ぎじゃないもんね。
ん? 子供だから魔法が使えないんだよね?
「おばーちゃま、ルチルは、いつまほうつかえりゅでしゅか?」
「そうね。魔法は10才の時に神殿で賜るのよ。その後練習をしてからだから、早ければ12才からかしら」
「いいや、ルチルは天才だ。10才で賜った時には使えるようになる」
「もう、あなたったら」
楽しそうに笑い合う2人に、顔が引き攣りそうになった。
天才……
まさか、会話全部理解できてるとか、もう既に読み書き計算できるとか、バレてないよね?
ルチルに前世の記憶があることは、もちろん誰にも言っていない。
言って、頭のおかしい子認定されたくないからだ。
読み書きや計算も同様、天才扱いされても困る。
天才すぎると場合によっては、これまた頭のおかしい子になる。
そのためボロを出さないようにしていたら、口数の少ない大人しい子になってしまった。
本当は全部曝け出して今世で1つ残念な事柄を解消したいのだが、素敵すぎる家族に冷たくされるのではないかと怯えて何も言えなくなっていた。