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ピアノの音色が流れる中で、アズラ王太子殿下たちはオセロを、ルチルたちはお茶をしている。
それぞれの護衛騎士たちは壁に背中を合わせるように並んでいて、オニキス伯爵令息もそこに立っている。
そっか。外交だもんね。
食事中と一緒で、あたしの側にいないよね。
アズラ様たちとも少し距離を空けたし、念のためピアノもお願いした。
これで聞こえないでしょう。
それでも念には念をと、シンシャ王女と横並びで座ることにした。
シンシャ王女が優雅という鎧を脱いだように、無邪気な笑顔を向けてきた。
「転生者ですよね?」
ん? シスコンから何も聞いてないのね。
独断で動いているんだろうと思っていたけど、本当に独断で動いていたとは。
「どうでしょうか?」
「絶対そうですよ」
不貞腐れている顔が、同じ年には見えない。
膨れっ面から、すぐに閃いたような顔になり、そして笑顔になる。
コロコロと変わる表情が、可愛らしく思える。
「私、この世界に転移してきたんですけど、その後転生もしているんです。だから、誰にも言いませんよ。仲間に会えて嬉しいです。
あ! 名前は何て言うんですか? 私は、松本珊瑚っていうんです」
「私の名前は、ルチル・アヴェートワです」
「違いますよー。前世の名前を教えてほしいんです」
「私に前世の記憶があったとしても、私はアヴェートワ公爵家に生まれ、たくさんの人たちに育ててもらった、アズラ王太子殿下の婚約者のルチルでしかないんですよ」
心の底から、そう思っている。
小さい頃に出会っていたら、前世の名前を伝えていただろう。
でも、私には記憶があるだけで、私はルチル・アヴェートワなのだ。
今までの大切な思い出たちがあるから、アズラ様とみんなと色んな経験をしてきたから、胸を張って後ろめたさなしで堂々と言える。
私は、ルチル・アヴェートワ以外の何者でもない。
たくさんの人たちの笑顔を思い出すと、胸には幸せが溢れ、意識しなくても頬は緩む。
「そして、あなたは、シンシャ・ビューネ・ポナタジネットですよ。他の誰でもないポナタジネット国のシンシャ王女です」
子供っぽい雰囲気を消したシンシャ王女は、瞳を揺らし唇を震わせている。
「私は……」
ルチルの真っ直ぐな視線に、シンシャ王女は俯いた。
彼女の日本語で書かれた日記を読んで、分かったことがある。
彼女は高校入学式直後に、この世界にやってきた。
高校生活を夢見ていただけに絶望したそうだ。
そして日本の家族を、とても恋しがっていた。
神様にお願いして黒目黒髪の人たちの村を作ったのも、家族に会いたいが故だったようだ。
でも、いくら家族や友達そっくりに作ってもらったところで別人だ。
余計に辛くて苦しくなり、神様に八つ当たりをする日々だったようだ。
日記には、神様への愚痴と同時に、謝罪が綴られていた。
ここまで読んであたしが感じたことは、彼女は神様に依存をしていて、それを自分で気づいていなかったということだった。
何も分からず、寂しい時に、何をしても優しくしてくれる人が側にいたら、誰もが依存してしまうだろう。
するなという方が難しいと思う。
そして、この人は本当に私を1人にしない? という、神様を試すようなことをし始めてしまった。
もう1人になりたくないという恐怖から、ダメだと分かっていても確かめずにはいられなくなった。
その1つが、神様と子供を作って家族になることだったんだと思う。
ドラゴンを食べようとしたのだって、自分だけが成長していくのが嫌だったんだろう。
金色に固執したのも、自分が持っていない神様の愛という証が羨ましかったんだろう。
こう思えば、彼女は寂しくて仕方がなかったで済む話になる。
でも、彼女の八つ当たりは、度が越え過ぎてたのよね。
自分だけが寂しいのはおかしいって、自分には神様しかいないんだからって、金色の瞳を持つ者たちを虐めに虐め抜いたのよね。
動物たちが飲む水をドロ水にしたり、果物園を燃やしたり、檻や小さな箱に閉じこめたり、目に入るだけで叩いたり蹴ったり。
子供に関しては、瞳が金色じゃなかったからって理由で、神様からしたらいらない子だと決めつけて、愛そうとさえしなかったみたいだし。
最低だわ。
よくそこまで、心が蝕まれるものよね。
家族が恋しすぎるということは、たくさんの愛情を与えらえていたはずなのに。
その愛を、誰かに渡すことができないなんて。
自分が良ければいいという発想は、怖いものね。
彼女ははっきりと、そんな邪竜の名前、松本珊瑚と名乗った。
彼女の中ではシンシャ・ビューネ・ポナタジネットではなく、まだ松本珊瑚だということだ。
となると、今回の外遊は心底怖い。
今も自分が良ければいいという考え方のままなら、寂しいと感じているままなら、アズラ王太子殿下に対して何をするか分からない。
けど、彼女は今「私は松本珊瑚よ」と言い返してこなかった。
「あなたはシンシャ・ビューネ・ポナタジネットですよ」という言葉に、悩むように苦しそうに俯いた。
「ポナタジネット国に生まれ、クンツァ王太子殿下と育ち、家族からも使用人たちからも国民からも愛されているシンシャ王女ですよ。私には、そう見えます」
「私は……」
「それに、そんなにも美しい姿が日本人だっていうんですか? 確かに日本人でも美しい人はいましたが、地球とはレベルが違いすぎますよ。シンシャ王女だから、そこまで美しいんですよ」
悩ましげに顔を曇らせていたシンシャ王女が、一瞬思考を止めた後に笑った。
「本当にそうですね。今の私は、自分でもレベチだと思います」
「クンツァ王太子殿下も恐ろしい美貌ですよね」
「お兄様は小さい頃から精霊に例えられることが多いんですよ」
小さい時は、さぞかし可愛かったんだろうな。
「まぁ、でもアズラ様には負けますけどね。小さい時は天使で、今は麗しの堕天使様ですから」
シンシャ王女は声を上げて笑った。
といっても、両手で口元を隠し、王女らしい控えめな笑い声だ。
「嬉しい。こんな会話、2度とできないと思ってました」
「王女は大変ですか?」
「そこまでではありませんよ。先ほどルチル公爵令嬢が仰られたように、私めちゃくちゃ愛されて育ちましたから。言われて、思い出せた気がします」




