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ルチルは、何度目か分からないため息を吐き出した。
「お嬢様、もう少しですので。準備に時間がかかり申し訳ございません」
「あ! ごめんなさい。疲れているとかじゃないの。今日のことを思うとってやつだから、気にしないで」
ルチルの婚約を機に、ルチル専属の侍女が決まった。
枯茶色の髪と瞳を持ち、リスに似ている。
名前はカーネ。ハキハキと元気なので、ルチルはカーネを気に入っている。
「公式のパーティーは初めてでしたね」
「そうなのよ。はぁ、うまく立ち回れるか心配だわ」
「お嬢様なら大丈夫ですよ。アズラ王子殿下も側にいてくださいますし」
「そうなんだけどね……心配で、心配で」
今日は、アズラ王子殿下の7才の誕生日パーティー。
例年通り新作スイーツの依頼がきて、今年はスフレチーズケーキにした。
フレーバー無しとフレーバー有りを2種類にして、合計3種類の味を楽しめるようにしている。
レアチーズケーキもベイクドチーズケーキも今まで作ってきているので、そこまでの新鮮味はないかもしれないが、フレーバーを使うということは初めてなので、食べた瞬間驚いてくれることは間違いないだろう。
アズラ王子殿下の誕生日パーティーは、夏の最も暑い時だから本当に気を使うのだ。
ルチルは、今年も誕生日パーティーの欠席を当たり前だと思っていた。
思っていたというより、スイーツを作れば関係ないくらいになっていた。
だが、今年は招待状と一緒に、アズラ王子殿下からドレスとアクセサリーが届いたのだ。
これは、婚約者として出席しなければいけないのか……と相当落ち込んだ。
母からは「お茶会の不参加を大目に見てもらっているんだから、誕生日パーティーは必ず出席しなさい」と、お小言を言われた。
そうなのだ。
ルチルは婚約式の準備で忙しいと理由を付けて、お茶会を欠席しているのだ。
理由は変わらず、ナギュー公爵家のシトリン公爵令嬢に会いたくないから。
シトリン公爵令嬢が想いを寄せていたアズラ王子殿下と婚約したのだ。
何を言われるか分かったもんじゃない。会いたくなんてない。
でも、今回は逃げられないよう用意周到に、アズラ王子殿下からドレスとアクセサリーが贈られてきたのだ。
「絶対出席してね」という圧を感じる。
アズラ王子殿下からの圧と、母からのお小言と、父からの「婚約が嘘だと思われたら色々大変だから顔を出しなさい」という言葉に、渋々出席の返事を返した。
祖父から聞いたところ、王家もアヴェートワ公爵家も婚約したことを聞かれなければ答えないので「 アズラ王子殿下の馬車での来訪は、求婚ではなかったのではないか」という噂が出ているそうだ。
自分の娘を王妃にしたい貴族たちが、こぞって噂を広めはじめているらしい。
「出席して、格の違いを見せつけてやればいい」と、祖父から言われた。
つまり黙らせてこい、ということ。
ルチルは祖母からマナーのおさらいをし、王妃殿下から出席者情報を横流し……もとい教えてもらい、貴族名鑑から出席する人たちの顔や役職を覚えるようにした。
祖父や父から要注意人物も教わった。
今日は、ルチルにとって戦場に行くのと同義なのだ。
鏡に映る仕上がった自分を見つめ、大きく頷いた。
父と母と侍女数名と一緒に転移陣から王宮に着くと、目の前にはルチルのドレスと色を合わせたアズラ王子殿下とチャロが待っていた。
ルチルが本当に来たことで、アズラ王子殿下が眩しいばかりの笑顔を見せた。
両親との挨拶もそこそこに、ルチルの目の前までやってくる。
「ルチル、今日も可愛いね。会えて嬉しいよ」
「アズラ様もとてもかわ一一
「ん? なに?」
おっと、可愛いは禁句だった。
1度ポロッと言ってしまった時に、物凄く落ち込ませてしまったんだよね。
笑顔なのに、言うなっていう圧がすごい。
「いえ、とてもカッコいいなと。カッコよすぎて、横に立つのも憚られてしまいます」
「何を言ってるの。ルチル以外に僕の隣に立てる人なんていないんだから。可愛い可愛いルチル、お手を」
「ありがとうございます」
差し出されたアズラ王子殿下の手を取って、歩き出した。
「アズラ様、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。ルチルに言ってもらえるだけで本当に幸せだよ」
溶けたような笑みを浮かべるアズラ王子殿下に、ルチルは純粋に嬉しくなる。
婚約が決まったあの日から、アズラ王子殿下は気持ちを隠すことをせず、真っ直ぐに伝えてきてくれる。
小さな子供の好き好き攻撃が可愛すぎて、頬が緩んでしまう。
「誕生日プレゼントもありがとう。似合う?」
「とてもお似合いです」
首を傾げるように見せてくれた耳には、ルチルから贈ったイヤーカフが着いている。
ブレスレットと悩んだが、イヤーカフの方が邪魔にならないだろうと思いイヤーカフに決めたのだ。
プラチナの土台に、サファイアとルビーのクズ石が散りばめられている。
青と赤、アズラ王子殿下とルチルの瞳の色だ。
石の色は母からの助言である。
「毎日着けてるんだ。見る度にルチルを思い出して会いたくなる。本当、毎日ルチルに会いたい」
「えっと……そ、そうですね」
アズラ王子殿下の甘い笑みに気づかないふりをしながら、ルチルは前だけを見る。
甘い笑みなんて見てしまったら、真剣にうちわを作りたくなるに決まっている。
「再来週辺りに時間が取れそうなんだ。その日に指輪を探しに行こう」
「はい。楽しみですね」
指輪ははじめ、王宮お抱えの宝石を扱う商会から購入する予定だった。
アヴェートワ商会を通じて探してもよかったが、アヴェートワ商会は現在スイーツで大忙し。
特に指輪に興味もないし、王宮で王妃殿下を交えて決めればいいかとルチルは思っていた。
しかし、アズラ王子殿下が2人だけで決めたいと言い出したので、王都のお店を散策しながら探すことになったのだ。