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オルアール男爵家に小さな応接室はあるが、そこには物を置く余裕がないらしく、一先ずリビングに向かった。
「汚くて申し訳ございません」
「いいえ、大切に住まわれていて素敵ですわ」
建物は古いから暗く見えるが、掃除は行き届いている。
子供たちが遊んでいただろう紙やペンが散乱していて、内職と思われる物たちと描きかけの大きなキャンバスが置いてあった。
「売れない画家をしております」
恥ずかしそうに言われたが、ルチルはとんでもないと瞳を光らせた。
ルチルが注目したのはキャンバスではなく、壁に飾られている紙に描かれている絵だ。
ボタニカル柄だわ。
「あの壁の絵は、オルアール男爵の作品ですか?」
「あ、はい」
「あのような絵の画集はありますか?」
「え? は、はい」
緊張を隠せずにいるオルアール男爵からスケッチブックを渡され、一枚一枚丁寧に確認する。
ゼンタングルも描けるのね。
どうして日の目を見ていないのかしら。
「なぜキャンバスの絵と画集とで、タッチや画材が違うのですか?」
「お恥ずかしい話なのですが、私が描きたい絵が画集の絵なんです」
うん、いいじゃないか。
「しかし、描きたい絵を描いても売れないんです。それで時々、頼まれて描いている絵がキャンバスの絵になります」
なんともまぁ、器用だな。
大きさにもよるだろうけど、小さなキャンバスに描けば売れそうなのに。
まぁ、小さな絵を飾る貴族は少ないからなぁ。
でもね、要はどこに描くかだと、あたしは思うんだよね。
「ルチル嬢、顔怖い」
失礼な。
お金の匂いを嗅いでただけなのに。
気を取り直して、女神に見えるような微笑みを意識して、笑顔を向けた。
「オルアール男爵、不躾で申し訳ございませんが、絵を描く場所は拘りませんか?」
「どういう意味でしょうか?」
「キャンバスやスケッチブック以外、曲線になっているものに絵を描くことに抵抗はありませんか?」
「はい、特にありません」
ふふふ。では、描いてもらいましょう。
「私の、いえ、アヴェートワ商会の専属絵師になりませんか?」
「「えええええ!?」」
家族全員、そっくりな驚き方。
ここがアヴェートワ公爵家なら、またお祖父様たちが駆けつけてたよ。
「ああ、あの、どういうことでしょうか?」
「オルアール男爵が描かれた絵がとても素敵ですので、今後アヴェートワ商会で取り扱う商品に絵付けをしてほしいんです」
「商品に絵付けですか。私の絵でよろしいのですか?」
「はい。キャンバスで絵を売るというお話じゃなくて申し訳ありません」
「いえ! 私は絵が描ければ、それだけで幸せですから」
うんうん、売れて踏ん反り返っている画家より好感が持てるよ。
あたしが、この世界で1番有名な画家にするからね。
「お父さんの絵が広まるってことですか?」
「はい。どの貴族も、こぞって欲しがりますよ。ですので、身の安全のために専属絵師になっていただきたいのです。抱えようとするために、過激になる貴族が出てきては怖いですからね」
オルアール男爵家の面々はまだ現実味がないようで、どこか他人事のような雰囲気だ。
「ルチル嬢、話が長くなるなら座らせてもらったら」
「き気づかず申し訳ございません! こちらにどうぞ!」
「お茶の準備をいたします」
男爵夫人が台所に消えようとしたので、オニキス伯爵令息が視線をカーネに投げかけた。
目配せだけで手伝いに行くカーネは、本当に優秀だ。
毒の心配はしていないが、念のためということだろう。




