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夜にベッドの上で今日楽しかったことと明日することを考えていたら、ドアがノックされた。
アズラ様かな?
今日は、アズラ王太子殿下もキルシュブリューテ領に宿泊している。
ドアを開けたら、予想通りアズラ王太子殿下が立っていた。
「こんな時間にごめんね。ルチルに会いたくなっちゃって」
「嬉しいです。どうぞ」
アズラ王太子殿下を招き入れて、ルチルは気づかれないように深呼吸した。
ソファに座るアズラ王太子殿下にお茶を淹れ、向かいの席に座る。
起きたミルクが、ルチルの膝の上に乗ってきた。
「ルチル、横に座ってくれないの?」
「アズラ様にも変身できるんですね」
余裕があるように微笑むと、アズラ王太子殿下は肩を揺らして笑い足を組み直した。
廊下で、大声を出してもよかった。
大きな魔法を使って、周りに気づいてもらってもよかった。
でも、ルチルはもう辟易していたのだ。
楽しく平和に過ごしたいのに、そうさせてくれない人たちに。
何も分からないから、解決策は思いつかず、全て後手で守りを固めることしかない日々に。
もう敵の懐に飛び込むしかないと考えていたのだ。
そして、次の接触を待っていたのだ。
「今度は完璧だと思ったのに」
あたしが、どれだけアズラ様のご尊顔を拝んできたと思っているんだか。
「本物なら、私がお茶を淹れようとしたら止めますから。お茶を淹れている間も側にいてほしいという方ですのよ」
「あの王子、本当に君が大切だよね」
「はい。幸せをもらっています」
偽物のアズラ王太子殿下が、ミルクに視線を移した。
「その犬が神獣?」
「はい。ミルクと言います」
「契約もちゃんとしたんだね」
「契約?」
『我に名前を与えただろ』
聞いてないよ。教えといてよ。
契約したらどうなるとかは、後で聞こう。
今は時間が勿体無い。
「ルリ・イガラシのことで、いらっしゃったんですよね?」
「うん、そう。何か分かった?」
「残念ですが、何も分かりませんでした。邪竜の名前は、サンゴ・マツモトだそうですよ」
「……サンゴ・マツモト」
視線を逸らして考えている偽物を見つめる。
「どうしてルリ・イガラシを調べているんですか? ルリ・イガラシのことが分かれば、私やアズラ様を狙うのを止めてくれますか?」
「俺は、今すぐにでも止めたいんだよ」
「どういう意味ですか?」
「妹が王子様に夢中でね。どうしても『王子様はいつでもどこでもやりたい放題』のアズラ・ラピス・トゥルールと恋がしたいんだって」
その題名を知っているって……
「君も転生者なんでしょ? 妹が、絶対そうだって息巻いてたよ」
頷くべきか、シラを切るべきか……
ううん、シラを切ることはできない。
スイーツやその他も、この世に出しているんだから。
「ええ、そうです」
認めて、もっと情報を聞き出すしかない。
「妹さんが、ルリ・イガラシが邪竜だって仰ったんですか?」
偽物が、鞄から出した本を差し出してきた。
受け取ったが、表紙には何も書かれていない。
「保存魔法がかかっている日記だよ」
ゆっくりと表紙を開けて、時を止めてしまった。
日本語だ……
「妹はそれを読んでから、王子様に固執し始めた。けど、俺には何が書いてあるのかさっぱり。君にはそれを読んでもらって、内容を教えてほしいんだ」
「さてと」と、立ち上がりそうな偽物を止めた。
「待って。教えてほしいことが、たくさんあるんです」
「裏切り者の名前は教えられないよ。君、絶対挙動不審になりそうだから」
教えてほしいのは山々だが、今教えてほしいことは違うことだ。
「あなたたちと神殿は手を組んでいるんですか?」
「そうだよ。妹は王子様がほしい、神殿は君がほしい」
「神殿が、私を欲しがる理由は知っていますか?」
「裏切り者が君を好きなんだよ。本当、愛で人って狂うよね」
「邪竜を復活させようとしているのではなく?」
「ああ、それをしようとしているのは妹だよ。必要なんだって」
「何にですか?」
「分からない。今のままではダメとしか言わないからね」
「黒目黒髪の人たちはあなたたち側で、神殿側ではありませんよね?」
偽物が、面白そうに目を細める。
「君なら分かるんじゃない。黒目黒髪の人たちが虐げられるのが嫌な気持ちが」
「あなたは、魔物を従わすことができるんですか?」
「さすがに、それはできないよ」
「神殿はできるんですか?」
「できないね」
「魔法陣は、誰が考えているんですか?」
「神殿だよ」
「姿を変えられるのは、あなただけですか?」
「そうだね。今年、やっと変身できるようになったよ」
偽物が立ち上がり、背伸びをした。
「俺から1つだけ。年末にポニャリンスキ領ノルアイユ地区に魔物を放つよ。その時に、君を誘拐する予定らしい。頑張って防いでね」
「時間がないって言ってたのは、そのことですか?」
「そうだよ。俺はね、関係ない人たちの命を奪いたいとか思ってないの。今の俺が求めているのは、妹の正常のみなんだよね」
「分かりました。色々教えてくださりありがとうございます。シスコンのクンツァ殿下」
偽物が、肩を震わせて笑っている。
「またね、嘘吐きのルチル公爵令嬢」
小さく鈴の音が鳴り、偽物のアズラ王太子殿下は強気な笑顔を残して消えた。




