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ミルクを洗い終わると、ルチルは服を着替えた。
タオルに包んだミルクを抱えてソファに戻ると、怒り顔のシトリン公爵令嬢に、困り顔のエンジェ辺境伯令嬢という図に様変わりしていた。
「どうされました?」
10分程の時間で、何があったの?
「あの女、家ごと潰してやろうかしら」
「あ、あの、そ、その……」
『早く乾かしてくれ』と急かしてくるミルクの髪をドライヤーで乾かしながら、八つ当たりされないように黙っていようと心に決めた。
「いい! 努力なんて人それぞれなのよ! それを決めるのは周りじゃないわ! 自分よ! そうでしょ、ルチル様!」
黙っていたのに、矢が飛んできた。
「そうですね。努力しているように見せることが上手な人もいれば、努力している姿を見られたくないって人もいますから。自分自身が努力していると感じれば、努力していますよ」
「エンジェ様は努力していたんでしょ! それでいいじゃない!」
ねぇ、もしかしなくても、ジャス様とガーネ様の話をしてたんだよね?
どうしてあたしが席を外した時だったの?
あたしだって聞きたかったよ。
「でも、私の努力は短くて追いつけませんから。その努力も間違っていたようですから。私はダメダメなんです」
追い詰められてるなぁ。
「間違ってないわよ!」
「……ありがとうございます」
傷つきたくなくて予防線を張るから、いい言葉と悪い言葉なら悪い言葉に心が傾いてしまう。
いい言葉を信じたいのに、予防線が邪魔をするのだ。
ドライヤーを止めると、ミルクは眠っていた。
小さな体が、規則正しく上下に動いている。
「努力云々の前に、大前提としておうかがいしたいのですが」
興味津々な顔にならないように頑張ってすまし顔をする。
「エンジェ様は、ジャス様を好きでよろしいでしょうか?」
「え?あ、あの……は、はい……い、1度断っているのに、厚かましいとは分かっています。し、しかし、一緒にいると安心するのにドキドキもして……素敵な方ですから、横にいて恥ずかしくないようにと思って……そ、それで、その……」
ジャス様に聞かせてあげたーい!
可愛い! 真っ赤になるエンジェ様が可愛い!
「エンジェ様、私は好きという想いが、全てだと思いますわ」
「好きが全て?」
「はい。それ以外の努力や役に立ちたいなどは、自己満足です。先程の私の役に立つと同じで、ジャス様が努力をしてほしいと仰いましたか? ジャス様はエンジェ様を好き、エンジェ様はジャス様が好き。それだけでいいんですよ。私とエンジェ様も、お互い好き同士ですから友達なんですよ」
「……で、ですが、私では横に立つのはふさわしくないですから」
「どんな人だったらジャス様にふさわしいんでしょう?」
「それは……綺麗でカッコよくて頭が良くて、自分の意見をはっきり言える方だと思います」
「私みたいな人ってことですね」
シトリン様、そんな目で見ないで。
本気で思ってないから。
「では、私が横にいて、ジャス様は幸せでしょうか? 笑ってくれるでしょうか?」
「そんなわけないじゃない。ジャスの笑顔は、アズラ様と違って貴重なのよ」
ひどい。
アズラ様の笑顔が安いみたいに言わないで。
堕天使スマイル、めちゃくちゃ綺麗じゃない。
「シトリン様の言う通り、どんなに完璧な女性が横にいてもジャス様は幸せではありません。だって、好きな人じゃないんですから。好きな人と一緒にいるから幸せなんですよ」
まぁ、お金も必要だけどね。
愛だけじゃ生きていけないから。
その点、2人は裕福な家だから大丈夫。
アズラ様が、ルクセンシモン公爵を絶対に死なせないから。
「エンジェ様だって、ジャス様以上に強いアズラ様が側にいるより、ジャス様が側にいる方がいいんじゃないですか? それと同じですよ」
「で、でも、納得されない方が……」
「放っておけばいいんですよ。いまだにアズラ様に私は似合わないって声、そこら中にありますよ。側室を狙っている人も多いですしね。全員を納得させるなんて無理なんですよ」
手を握り締めるエンジェ辺境伯令嬢は、出口のない暗闇の中にいるのだろう。
「でも、自分のせいで好きな人が悪く言われるのは嫌ですから、努力したいと思うのはごく普通のことですよね。エンジェ様が努力が足りないと思うのでしたら、これから頑張ればいいんです。考えてもみてください。私たち、まだ16才ですよ。これから先の人生の方が長いんですから、足りないなんてことありませんよ」
小さく笑い出したシトリン公爵令嬢の声が、次第に大きくなっていく。
「本当だわ。この先、何十年あるのよ。努力なんて、いくらでもできるじゃない。間違えたなら、やり直しする時間もあるわ」
「私は努力せずに、のんびり暮らしたいですよ」
「無理よ。ルチル様お節介だから、ずっと忙しいわよ」
それ、お節介関係ある?
「私、まだ、頑張っていいんでしょうか」
「はい。頑張っていいんですよ。疲れたら、休憩すればいいんです」
泣き出してしまったエンジェ辺境伯令嬢を、ルチルたちは静かに見守った。
「泣いてしまい、申し訳ございませんでした」
「気にしないでください」
「そうよ。あなた、もっと図々しくなっていいのよ」
カーネが紅茶を淹れてくれ、タイミングよくドアがノックされた。
遠慮がちに入ってきたオニキス伯爵令息が、耳打ちしてくる。
「殿下、王宮に戻るって」
「何かあったのですか?」
「何もないよ。今日は3人でゆっくりしてだってさ」
「お見送りってできそうですか?」
「急げば間に合うんじゃないかな」
ルチルは、ミルクをソファに移動させ、立ち上がった。
「シトリン様、エンジェ様、アズラ様を見送ってきますわ。少し席を外させていただきます。戻ってきましたら、告白の作戦練りましょうね。エンジェ様も泊まっていってください」
ワタワタするエンジェ辺境伯令嬢に微笑んで、足早に部屋から出た。
早歩きで、転移陣に向かう。
なんとかアズラ王太子殿下に追いつき、転移陣前で頬にキスし合い、オニキス伯爵令息に冷めた目をさせてしまったのだった。
エンジェ、頑張れ!
そして、シトリン……本当に大人になったね( ; ; )
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