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ゴリゴリと聞こえてきた音に、シトリン公爵令嬢がカーネを見た。
「何をしているの? ん? いい匂いだわ」
「新しい飲み物です」
「もっと早く教えなさいよ」
「すみません。紅茶好きのシトリン様は好きじゃないかもと思ってしまったんです」
「今度から誰より先に教えてくれるなら許すわ」
「分かりました」
満足したように頷くシトリン公爵令嬢に笑ってしまうと、怒られた。
そんな様子を静観していたエンジェ辺境伯令嬢の顔は、少しだけ明るくなったように思える。
ドリップされたコーヒーの説明をして、1口飲んでもらった。
シトリン公爵令嬢の舌を出して皺を寄せた顔が面白くて笑うと、また怒られた。
色んなバージョンを試しに飲んでもらい、シトリン公爵令嬢はミルクと蜂蜜、エンジェ辺境伯令嬢はブラックが好みだと分かった。
早く、カフェモカもカプチーノもキャラメルマキアートも飲めるコーヒー専門店作りたい。
ブラックだとしても色々あるしね。
ティラミスもアフォガートもコーヒーゼリーもメニューに加えなきゃ。
「これは、いつ発売されるの?」
「まだ未定です。どれだけ用意できるのか分かりませんから」
「少しだけ買うことはできるかしら?」
「気に入られました? プレゼントしますよ」
「私じゃなくて、お父様が気に入りそうだなと思ったのよ」
「お父様もアズラ様も飲むと書類仕事が捗ると言ってましたから、ナギュー公爵にもよさそうですね」
「そうね。アズラ様の誕生日以降、一段と忙しそうにしているもの」
襲撃事件は発表されていない。
王太子殿下の誕生日に王宮が襲われたとなると威厳に関わってくるし、王宮の警備は穴だらけだと言われると困るからだ。
あの時の部屋の位置は王宮の端だった。
パーティーで騒がしくしていた人たちに聞こえなかったのは、不幸中の幸いだったのだ。
「ルチル様も忙しいし、私も何か始めようかしら」
シトリン様が事業立ち上げかぁ。
ナギュー公爵家も裕福だから、何でもできそうだよね。
「好きなことをされるのが1番ですよ」
「お洒落になるわね。でも、ルチル様以上のものを考えられる気がしないわ」
前世の人たちの知識だからねぇ。
1人 VS 大勢なら、大勢が勝つよね。
大勢で考えると、たくさんの知識が集まる。
知識だけじゃなく、お金も集まる。
1人10円と10人から1円ずつとだったら、負担はかなり違う。
「シトリン様、出資してみませんか?」
「パトロンってこと? 誰に?」
「私に」
「ルチル様に出資なんて必要ないじゃない」
確かに必要ないと言われれば、必要ないんだけどね。
でもね、旅館に莫大な資金が必要になるのよ。
あたしのポケットマネーから出して、後から回収しようと思っていたけど、領民の印象にいいのは出資の方だと思うのよね。
自分たちが住んでいる場所が期待されているって分かったほうが、やり甲斐もでるんじゃないかな。
住んでいてよかったって思ってもらいたいしね。
なんて、つらつら並べてみたけど、本当は内装やサービスについて助言が欲しいから。
あたしに拘りはないんだよねぇ。
貴族っぽいってだけで選んだら、チグハグになりそうだからさ。
ナギュー公爵家は目が痛かったけど、シトリン様の部屋はお洒落だったもの。
「実は……」と、旅館と温泉の話をした。
出資してもらえたら、特典として優先的に予約できるようにすると言葉を添えて。
「いくら?」
「はい?」
「いくら必要なの」
「まだ建築の費用等を計算していませんし、出資の還元率もみんなと話し合わないといけませんから……分かりません」
「そう。出資するからすぐに言いなさいよ。それで、完成を早めてよ」
なる早で開業したいのは山々だけどねぇ。
あたしの時間が足りないのよね。
「出資ついでに、色々相談に乗ってくださると嬉しいですわ」
「失敗されたら困るから手伝ってあげるわ」
「ありがとうございます。エンジェ様もいかがですか? 損はさせませんよ」
「私は……私なんかでよければ、出資関係なく、できることは協力させていただきます。ですから、今後も仲良くしてください」
ん? んん?
その不穏な言葉は、なに?
「もちろんですよ。私はエンジェ様が好きですから、出資を断られたくらいじゃ離れませんよ。楽しいこと、いっぱい一緒にしたいんですから」
「私も、ルチル様が好きです。尊敬しています。役に立てるようになりたいと思ってます」
うーん? なんか噛み合ってなくない?
「はぁ? あなた、役に立つとか考えなくてもいいわよ。ルチル様、そんなこと言ったことないでしょ。ルチル様はお節介な性格だから、我儘言って困らせるくらいが丁度いいのよ」
おおーい!
お節介はおばちゃん根性が抜けてないせいだろうけど、お節介してごめんねだけど、だからって我儘はダメだぞ。
確かに色々するのも好きだし、甘えていいよ精神だけどね。
って、的を射ているのか。
はいはい。みんなの我儘なんて可愛いものだから、存分に言ってくれていいよ。
おばちゃんが何でも叶えてあげるよ。
「そうなのですか?」
「合意したくありませんが……そうなのかもですね」
『食べ終わった』
小さくゲップしたミルクが、膝の上に飛び乗ってきた。
「服にクリームがついたじゃない」
『着替えればよい。それよりも洗ってくれ』
「はいはい。カーネ、ミルクを洗ってきてくれない」
『カーネではない。お主が洗うんだ』
ああ! クリームまみれの顔を、お腹に擦り付けないでー!
知ってる?
貴族の服って高いんだよ。
このクリームを、みんなが丁寧に手洗いするんだよ。
申し訳なさすぎる。
「お嬢様、どうしましょう?」
ルチルは、ため息を吐きながらミルクを抱えた。
「ご指名みたいだから、私が洗ってくるわ」
シトリン公爵令嬢が、ルチルを指しながらエンジェ辺境伯令嬢に「ね」と言っている。
くぅ! すぐに体現化してしまうとは!
きっとミルクの策略だわ。
2人に断りを入れて、ミルクを浴室に連れていった。
ドアは開けたまま、洗いはじめる。
「この我儘めー」
撫でるようにわしゃわしゃと洗うと、楽しいのかミルクは笑っている。
その姿が可愛くて、もう許してしまっているのだ。




