43 〜 シトリンの心の行方 2 〜
階段から落ちた週末に、ナギュー公爵家とスミュロン公爵家とで、正式に婚約者の書面を交わした。
婚約式とパーティーは卒業後にするとして、婚約者の手続きだけはフローの希望で先にすることになった。
来週、指輪を買いに行くことになっている。
スミュロン公爵家の面々は、とても嬉しそうだ。
反対にナギュー公爵家の面々は、三者三様だった。
父はいつも通りの愛想笑いだし、母はつまらなさそうだ。
シトリンはというと、少し不安げだ。
言葉で交わすのと書面で交わすのとでは、重みが違う。
ここにきて、本当に進めてよかったのかと、自問自答を繰り返してしまう。
今までのフローが偽物だったかのように、纏わりつかれるようになった。
甘く微笑まれ、愛しさを含んだ声で話される。
ジャスに聞く限りフローは本物で、話していることも本気だと言われた。
「フローが、シトリンを好きになってよかった」と瞳を潤ませていた。
ジャスが言うから現実なんだと、やっと受け入れられた気がする。
悪いことじゃない。
今までの扱いがおかしくて今が正常なんだ、と自分に言い聞かせている。
ただ、全身がむず痒くなり居た堪れなくなってくるのだ。
フローの前から叫びながら逃げ出したくなるのだ。
好きとは、なんなんだろう?
恋とは? 愛とは?
一体なんなんだろう。
神殿で書面を交わし、その帰りに両家の親睦を深めるためにアヴェートワ商会のレストランで食事をしたら、ルチル様からのお祝いのケーキが出てきてビックリした。
ケーキの上に乗っている砂糖菓子のシトリンとフローは、幸せそうに笑っていた。
「シトリン! シトリン!」
「え?」
「どうしたの? 今日はよくボーッとしているよ」
指輪を選びに来ていたんだったわ。
先週のことを思い返していたなんて言えないわね。
「少し疲れただけよ」
私は、あの砂糖菓子のように笑えているのかしら?
「もう何軒も回っているからね。少し休憩しよう」
フローは、あの日から本当に優しくなった。
嬉しいはずなのに、気持ち悪い。
休憩をした後も結局指輪を決められず、帰ることになった。
馬車の中で、機嫌を窺うようにフローが見てくる。
「本当は、私と婚約したくなかった?」
「急に、なに?」
「恋人になろうと言ったあの日から、シトリン笑わなくなったんだよ。気づいてなかった?」
私、笑ってないの?
ジャスが言ったから、フローの気持ちは本物だと思っている。
けど、好意を示されるたびに「嘘」だと思ってしまう。
「シトリンは、私よりジャスがよかった?」
「変なこと言わないでよ」
どうして変なことを言われた私じゃなくて、フローが泣きそうなのよ。
ジャスの方がいいなんて、思ったことないわ。
ジャスは可愛い弟なのよ。
向こうも私を妹だって思ってそうだけど、絶対に私が姉よ。
「まだ殿下を好きとかなのかな?」
「違うわよ」
カッコいいとは思うわ。
でも、ルチル様のように愛されたいと思わないのよ。
だって、アズラ様の愛し方重すぎない?
理性よりも愛情が勝っていて気持ち悪いのよ。
ん? あれ? うーん……
同じ気持ち悪いでも、フローに感じる気持ち悪いとは、また別だわ。
「まさか……オニキスが好きなの?」
「どうしてそうなるのよ! 私はフローと婚約したのよ! そんな不誠実なことしないわよ!」
「でも、私のこと好きじゃないよね?」
「好きになろうと努力しているわ」
「そっか……」
落ち込むフローに、ため息を吐きたくなる。
「ねぇ、フローは本当に私が好きなの?」
「好きだよ」
「嘘よ」
「嘘じゃないよ」
「おかしいじゃない。私のこと嫌いだったでしょ。突然好きって言われても信じられないのよ」
そうよ。
私が、どれだけ傷ついてきたと思っているのよ。
仲良くなろうと、どれだけ頑張ってきたと思っているのよ。
確かに少しずつ距離は縮まってきていたわ。
でも、まだまだ友達だったのよ。
なのに、急に好きだなんて言われて信じられるわけないじゃない。
「確かに1年生までは好きじゃなかったよ。でも、少しずつ好きになったんだと思う。シトリンが倒れている姿を見た時に、失いたくないって、好きだって気づいたんだよ」
ああ、どうして気持ち悪いか分かったわ。
フローが知らない人みたいで気持ち悪いんだわ。
「どうすれば信じてくれる?」
「分からないわ」
フローが、小さく笑った。
「私と一緒だ」
「え?」
「私は人の気持ちが分からないんだ。だから、いつもオニキスに怒られてばかりなんだ。でも……オニキスが怒ってくれても、それでも、人の気持ちが分からないんだ」
オニキスが怒る?
軽口しか言わないオニキスが?
フローってば、相当バカなのね。
「そのせいで、シトリンをたくさん傷つけてきたと思う。ごめん。でも、だからこそというか、これからはシトリンを第一に考えて行動しようと思っている」
「それって、好きというより償いじゃない」
「違う、違うよ。私はシトリンが好きだよ」
好きと思い込んでるだけじゃないの?
フローってばバカだもの。
きっとそうよ。
あれ? なんだか心が軽くなったわ。
それに、フローを気持ち悪いって思わないわ。
はぁ、よかった。
バカなフローは、私の知っているフローだもの。
私を好きと思い込んでいるみたいだけど、正さなくてもいいわよね。
正式に婚約もしたし、フローとの結婚は覆らないだろうから勘違いしたままでいいわ。
優しい方が傷つかないもの。
バカだから、この先も勘違いに気づかないでしょ。
私は、変わらずフローを好きになる努力をすればいいんだわ。
スッキリしたらお腹空いてきちゃったわ。
強張っていた体から、力が抜けた気がした。
「シトリン」
「なに?」
「好きだよ」
「分かったわよ。信じるわよ」
夕食は、ステーキにしましょう。
「フロー、夕食はどうするの? 食べて帰る?」
「シトリンを送ったら帰るよ」
「分かったわ」
自己完結して表情が戻ったシトリンを、フローが熱を帯びた瞳で見ていたことには気づかず帰宅した。
もう少し続きます。
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