42 〜 シトリンの心の行方 1 〜
うるさいわね。
眠りを邪魔するのは、誰よ。
侍女たちなら怒ってやるんだから。
「シトリン様ー!」
え? ルチル様?
目を開けた途端に抱きつかれるって、どういうこと?
「重たいわよ。退いて」
「ひどい」
退いてくれたが、手を繋がれた。
泣いているルチル様を怪訝に思いながら、ゆっくりと起き上がる。
みんな、どうしているの?
お父様まで……
周りを見渡して、保健室だということは分かった。
どうして保健室に? と考える前に、泣き出しそうなゴシェ伯爵令嬢が目に留まって、階段から落ちたことを思い出した。
「あなた、怪我はしてない?」
「してないです……ありがとうございます……」
ルチル様の泣き声、大きいわね。
「シトリン様、優しい」とか、声に出さないでよね。
あた、私は、別に人として当たり前のことをしているだけよ。
それを、優しいとか……ルチル様のせいで恥ずかしくなるでしょ。
「うるさいわよ」と握られている手に力を入れたら楽しそうに笑うなんて、ルチル様は本当に変な令嬢だわ。
「シトリン、どこか痛いとかないか?」
「ありません。お父様、来てくださってありがとうございます」
お父様は、宰相という肩書きで怖いや冷酷だとよく言われているけど、本当は泣き虫なのよね。
今も泣かないように顔に力を入れているから、怖い顔になるのよ。
ニコニコと笑っているルチルに、視線を戻した。
「ルチル様のことだから懲らしめてくれたわよね?」
「もちろんです! ぎゃふんさせましたよ!」
ぎゃふん?
時々、何を言っているのか分からないのよね。
人間じゃないのかもしれないわ。
「お父様もいるということは、重たい罰なんでしょうか?」
ルチル様では会話ができないと思い、今度は父に確認をした。
父はシトリンの身に起こったこと、スペンリア伯爵家を交えての話し合いを分かりやすく話してくれた。
私……大変なことになっていたのね……
ルチル様が治癒に目覚めてくれていて、本当によかったわ。
でも、キャワロールが治してくれるなんて……
ルチル様を嫌っているように見えたのに、ルチル様と仲がいい私を助けるなんて何か裏があるのかしら?
ルチル様は根がお人好しだから、キャワロールが善意で治してくれたと思っているかもしれないわね。
私が注意しておかなきゃ。
それにしても、アヴェートワ公爵家の財力は大したものね。
ルチル様然り、ルチル様の家族然り、贅沢品を身に纏わないから気づきにくいけど、一国を脅かせられるんじゃないかしら。
アズラ様がルチル様を好きだからという理由を除いても、王家は絶対アヴェートワ公爵家を選んでいたわ。
ナギュー公爵家も潤っているけど、アヴェートワ公爵家には太刀打ちできないもの。
はぁ……これをお母様が知ったら、また発狂しそうだわ。
週末帰りたくないわね。
でも、週末はルチル様がいないのよ。
1人で寮に残るなんてできないわ。
「ルチル様、ありがとう。助かったわ」
「シトリン様のためなら、何回でも治しますよ」
「もう怪我しないわよ」
「それが1番ですね」
ルチル様は、無邪気に見えて声が優しいのよ。
柔らかいと言えばいいのかしら。
安心するのよね。
「ゴシェ伯爵令嬢、あなた、ベルナヴェル伯爵家の養子になりなさいよ。迷う必要ないじゃない」
「で、でも……」
「平民になるより貴族の方がいいに決まっているでしょ」
何を迷う必要があるのかしら?
今も悩むように俯いてしまったけど、どう考えても天涯孤独の平民よりも、後ろ盾がある貴族の方がいいに決まっているじゃない。
「まぁまぁ、シトリン嬢、俺たちにも言うことありませんか?」
「オニキスに言うことなんかないわよ」
「俺、フロー止めたし、起きるまで側にいたのに」
「フローが何かしたの?」
先ほど父が端折った部分を、オニキスが話してくれた。
フローが令嬢に殴りかかったという話に、耳を疑う。
照れたような恥ずかしそうな顔で、フローに微笑まれた。
アズラ様がルチル様の肩に手を置いてルチル様を横から退かせると、そこにフローがやってきた。
壊れ物を扱うように手をもたれる。
フローの震えている手や真剣な表情から、フローの緊張が伝わってくる。
「シトリン、好きだよ。結婚を前提に付き合ってほしい」
フローが、私を好き? 冗談?
ルチル様のニヤニヤ顔がムカつくけど、今はフローの告白? よね?
フローが、私に?
どうして?
「結婚を前提って婚約者内定しているのよ。今更でしょ」
「内定じゃなくて、もう婚約者になりたいんだ。恋人になりたいんだよ」
階段から落ちたのは私だけど、フローはどこかで頭をぶつけたのかしら。
「分かったわ。恋人になりましょう」
「嬉しい。ありがとう」
フローのここまで嬉しそうな顔を見るのは、初めてだわ。
フローが何をどうしたいのか謎だけど、どうせこのままだと結婚相手はフローなのよ。
恋人でも、婚約者でも、同じでしょ。
「でも、条件があるわ」
「え? なに?」
怯えるフローは、いつものフローね。
「私を敬ってよ」
「そういうことなら心配いらないよ。ずっと側にいてシトリンを優先するよ」
本当に、フローよね?
フローの皮を被ったオニキスが、私を騙そうとしているんじゃないわよね?
オニキス、そこにいるものね。
それに、これが茶番ならジャスが許すはずないものね。
ジャスをチラッと見ると、目を潤ませていた。
「婚約式はいつにしようか?」
「予定通り卒業してからでいいじゃない」
「そ、うだね。ごめん、先走りすぎたよね」
悲しそうに頷くフローに、目を疑う。
私の言葉でフローが表情を変えるなんて、現実なの?
本当は、階段から落ちて死んだのかしら?
「でも、式は卒業後だとしても、殿下たちみたいにお揃いの指輪はしよう。付き合っているって周りに示そう」
「え、ええ、分かったわ」
正真正銘、フローなのよね?
いつもと違いすぎて怖くなってきたわ。
「フロー公爵令息、指輪や式のことは、きちんと両家を交えて決めますよ。シトリンも、それでいいね」
ゆっくり頷くと、フローもしっかりと頷いていた。
「ルチル嬢。シトリン嬢も目覚めたし、女子寮に戻ろう」
「もう少しシトリン様の側にいますわ」
「何言ってんの。シトリン嬢も一緒に寮に戻らないとでしょ。保健室より寮の部屋の方が落ち着くだろうからね」
「そうですわね。シトリン様、歩けますか? 無理そうなら、フロー様のお姫様抱っこという手がありますよ」
はぁ? するわけないでしょ。
「歩けるわよ」
「お姫抱っこするよ」
「歩けるって言ってるでしょ!」
「恥ずかしがらなくてもいいですよ」
後からルチル様を怒る。
絶対に怒る。
「お父様、忙しい中来てくださってありがとうございます」
「仕事よりもシトリンの方が大事だと言っているだろ。無事で本当によかった」
父と抱き合って、父に支えられながらベッドから降りた。
玄関ホールで父を見送ってから、女子寮に向かう。
歩いている間にジャスと話したかったのに、フローが横から離れてくれなくてジャスとは話せなかった。




