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秋期が1ヶ月過ぎても、ガーネ侯爵令嬢と昼食もお茶も一緒にすることはなかった。
ただ、何回かエンジェ辺境伯令嬢を様子見していることには気づいていた。
3限目が終わり、大食堂に向かおうとした時、1人の令嬢が慌てた様子でA組に入ってきた。
ラブラド男爵令嬢だ。
どこから走ってきたのか分からないが、肩で息をしている。
急いで駆け寄ると、ルチルの肩を掴んで、必死の形相で見てきた。
「ルチル様! ナギュー公爵令嬢が!!」
「シトリン様がどうされたんですか!?」
「階段から落ちました!」
え? 階段から落ちた?
「無事なのですか!?」
「スミュロン公爵令息が診られています! こちらです!」
急いでラブラド男爵令嬢の後を追った。
令嬢が走るものではない、ということは分かっている。
分かっているが、今はそんなことどうでもいい。
階段から落ちたのだ。
打ちどころが悪かったらと思うと、怖くて息ができなくなる。
「フロー様! シトリン様!」
人垣をかき分け、階段の踊り場に到着した。
「シトリン! 目を開けて、シトリン!」
フロー公爵令息が、シトリン公爵令嬢の手を握り締めている。
2人を庇うように立っているのが、ゴシェ伯爵令嬢だ。
いつも怯えている彼女からは想像もできないほど、目は鋭く尖っている。
ゴシェ伯爵令嬢が睨んでいるのは、涙目になっているマラ伯爵令嬢だ。
状況が全く分からないが、シトリン公爵令嬢の側に行った。
「フロー様、シトリン様の容体は?」
「私は、まだ診察を許されていません。今、保健医を呼びに行ってもらっています」
フロー公爵令息の悲痛な声に唇を噛み締めながら、シトリン公爵令嬢の口元に手をもっていく。
少し荒いが、息はしている。
もし頭を打っているなら、下手に動かせない。
先生が早く来ることを祈るしかない。
「ルチル嬢、シトリンをお願いします」
「フロー様?」
フロー公爵令息の聞いたことのない怒気を含んだ声に、フロー公爵令息の顔を見た。
人を殺してしまいそうな面持ちに、目を疑う。
ゆっくり立ち上がったフロー公爵令息が、スペンリア伯爵令嬢たちの間に立った。
「聞きたいんですが、どうしてシトリンが階段から落ちたのですか?」
「お姉様が階段で急に暴れられたんです! 私は、シトリン様を助けようとしましたが、間に合いませんでした」
「ゴシェ伯爵令嬢、何かありますか?」
「私は何もしていません。マラが突然後ろから押したんです」
言っていることが真逆だ。
「見ていた者はいますか?」
小さく手を挙げた令嬢が1人いた。
発言することに緊張しているのか、震えている。
「見ていました。ゴシェ伯爵令嬢が暴れていました」
「嘘ではないですよね?」
「嘘ではありません」
怒りを体から出すように息を吐き出したフロー公爵令息が、マラ伯爵令嬢との距離を一気に縮めた。
「フロー!!」
フロー公爵令息の振り上げた拳を止めたのは、オニキス伯爵令息だった。
マラ伯爵令嬢は腰が抜けたのか、その場に座り込んでいる。
「放してくれ! オニキス!」
「落ち着け! 令嬢を殴ったら停学になるぞ!」
「停学くらい受けるよ! こいつは、シトリンを落とした! 殴らせてくれ!」
「ダメだって言ってんだろ! 停学なんてくらったら、ナギュー公爵が許してくれないぞ! それに、こんなクソ女に慰謝料払うなんて馬鹿らしいだろ!」
大きな破裂音が聞こえたかと思うと、アズラ王太子殿下が手を叩いた音だった。
ジャス公爵令息が青い顔をして、シトリン公爵令嬢の元に駆けてくる。
「言い争っている場合? フローもオニキスも落ち着きなよ」
「殿下……」
フロー公爵令息から力が抜けたようで、オニキス伯爵令息はフロー公爵令息から手を放した。
「おっと、逃げないでよ」
さっき証言した令嬢が人垣の中に消えようとしたところを、オニキス伯爵令息が捕まえている。
そこへ、やっと保健医と先生たちが来てくれた。
保健医は、ルチルが握っているシトリン公爵令嬢の手とは逆の手を握り、診察を始めた。
固唾を飲んで全員が見守る中、保健医は顔を暗くした。
「シトリン公爵令嬢の容体は?」
アズラ王太子殿下の問いに、保健医は鯉のように口をパクパクさせている。
嫌な予感がして胸が締めつけられる。
「先生! 答えてください! シトリン様の容体は? 無事なんですよね!?」
ルチルの泣き叫ぶような声に、意を決したように保険医は口を開いた。
「頭は、打っていないようです」
よかった。
「ですが……腰の骨が折れています……折れた骨はくっつくでしょうが、もう足が動かないかもしれません……」
何を言っているの?
1番近くで聞いているのに、遠くから聞こえてくる感じがする。
脊髄が損傷したっていうの?
シトリン様は、階段のどこから落とされたの?
「どうすればいいですか! 先生、教えてください!」
フロー公爵令息の大声に、ルチルは出てきてしまった涙を拭った。




