9 〜ジャス 心の声 2 〜
馬車を降りた後は、何か話そう!
仲良くなれるよう努力をしよう!
と、思っていたのに……
どうして俺は何も話せないのか……
馬車がアンジャー侯爵家に到着し、使用人が案内してくれた庭に着いて驚いた。
アイオラ・アンジャーとかいう不健康な女の子が、先日侯爵がシトリンたちに贈ったドレスと同じドレスを着ていた。
ルチル嬢の鋭くなった瞳に、俺も何となく意図が読めた。
俺は無口で無表情だが、女性という生き物はか弱いが怖い生き物だと知っている。
夜寝る前に読み聞かせる童話のように、母から「女性に騙されないように」と、女性という生き物の話をたくさんされたからだ。
ルチル嬢やシトリンと同じドレスを着て、他の令嬢たちに仲がいいとアピールしたかったのだろう。
そして、エンジェ嬢を仲間はずれ、いや、贈ったのに着なかった悪者にしたかったのか、着れなかったと笑い者にしたかったのか……どっちかだろう。
「申し訳ございません。殿下たちは来られないかと思いまして……今すぐに席を用意いたします」
考え事をしていてはいけない。
早く空いている席にエンジェ嬢を……
空いている席は、どこだ?
「アズラ様、帰りましょう」
「そうだね」
「え? あ、あのお待ちください!」
俺の中で、ルチル嬢はか弱い女の子だと思っているが、母と同じくらい怖い時がある。
なぜそう思うのか分からないが、微笑んでいる顔に時々冷や汗が流れる。
今も寒気を感じる。
「殿下たちの席がなくて、本当に申し訳ございません」
「そんなことではありませんわ」
「でも……」
「アズラ様たちには、エスコートが終わりましたら馬車で待機していただく予定でしたから」
全員が驚くのも無理はない。
王太子を馬車待機させるのは、ルチル嬢くらいだろう。
と言っても、発案は殿下で、ルチル嬢は止めていた。
でも、殿下が折れなかっただけだ。
「まず、どうしてお茶会の主催者の出迎えがなかったのでしょうか?」
「そ、それは……」
「それに、ただ飾ればいいだけの会場なんて、私の品位を落とします。あ、すみません。ただ置いているだけの面白みも華やかさもない会場が、こちらでの流行りだったのかしら。王都の流行りしか知らず、無知で失礼しましたわ」
怖い……
殿下は女神を見るように見ているが、俺はこういう時のルチル嬢が怖い……
優しいエンジェ嬢がオロオロしている。
落ち着かせてあげたいが、どうすればいいのか分からない。
すまない。
「後、どうして空いている席が、上座に2個しかないのでしょう?」
「あ、あの……」
「私の席をお忘れに?」
「ちちちがいます!」
「では、シトリン公爵令嬢の席を忘れられたのですか?」
声が本当に怖い。
「ち、ちがいます」
「では、エンジェ辺境伯令嬢の席が、末端の空いている席だと仰るのですか」
あ、泣き出した。
俺は泣いている女の子に同情しないが……殿下たちもしない人たちだったな。
「貴族の順番も知らない人がお茶会なんて。品位もなければ、教養もありませんのね。もしかして……先日の腹いせに、こんなお茶会に出ていたという私の悪評を流すつもりで……恐ろしいですわ」
「それは見過ごせないね。数日前のルチルを殺そうとしていたことは大目に見てあげたのに、今回は陥れようとしていたなら生きたまま鳥の餌になってもおかしくないよね」
殿下……自分を取り戻してください。
1年生の時はどうだったか分からないですが、2年生になってから闇が深すぎます。
悪いのは不健康令嬢だが、少し不憫になってきた。
震わせている歯の音が聞こえてきているし、このままでは恐怖で倒れるんじゃないか?
「ちちちがいます! でででんか、本当にちがいます!!」
ルチル嬢のため息が、この場を完全に支配した。
座っている令嬢たちも半泣き状態だ。
「アズラ様は、あなたに話しかけていい許可を出していませんわよ。1度注意されているのに、また同じ間違いをするなんて信じられませんわ」
「い、い、い、いえ……すすすみませ、ん……」
ん? オニキスから視線を感じる。
何を見て……
あ! そういうことか!
でも、優しいエンジェ嬢が、この場で発言できるだろうか?
その前に、俺がエンジェ嬢に伝えることができるだろうか……
心の中で大きく深呼吸して、自分に活を入れる。
ああ、小声で言わないといけないから顔を近づけたが……
いい匂いがする……この匂いはヤバい……
蜜を集めるミツバチのように吸い寄せられる……
「あ、あの、ジャス様?」
小声で話しかける前に、小声で話しかけられてしまった。
なんて不甲斐ない……
「エンジェ嬢。たぶんルチル嬢は、あなたがあの子を庇うまで詰問をやめない」
驚いている顔も可愛いなぁ。
ほっぺた気持ちよさそう。
「この場での発言は緊張するだろうが、頑張ってくれ」
動揺が繋いだままの手から伝わってきたから、つい強く握ってしまった。
それを強く握り返されるなんて……
守りたい。この子を守りたい。
初めてそう思ったのは、1年生の春休み前くらいだっただろうか。
食堂で、とても美味しそうに食べている顔が可愛くて、目を奪われた。
しっかりと食べている姿に好感が持てた。
食事の作法が、とても綺麗だった。
どれもこれも見ていて気持ちがよかった。
それからは、食堂に行く度に目で追うようになっていた。
そして、いつの間にか食堂以外でも探すようになっていた。
そんなある日、令息から「家畜令嬢」「道が塞がって歩けない」と言われている場面に出くわした。
泣きそうな顔で謝っているエンジェ嬢に胸が締めつけられると同時に、暴言を吐いている令息を殴りたくなった。
誰かを衝動のまま殴りたく思うなんて、初めてだった。
自分の中に、怒りの感情があることに驚いた。
実際は殴らなかったが、注意はした。
反省していない令息の姿に怒りは収まらなかったので、放課後その令息に再度注意をした。
たまたまオニキスに見られ、「ジャスが熱くなるなんて」と後から揶揄われた。
数日令息の動きに注意していたが、エンジェ嬢には関わらないようにしていたので、もう大丈夫だと監視は止めた。
また暴言を吐くようなら剣を交えようと思っていたが、要らぬ心配だったようだ。
食堂で美味しそうに食べている姿に心が温まっていたが、時々見る悲しそうな顔にそんな顔をさせたくないと思った。
シトリンの泣いた顔を見た時とは、違う感情だった。
この気持ちはなんだろうかと考えている時に、殿下からルチル嬢との惚気を聞かされたり、魔物の事件の後に「強くならないと」と訓練量を増やした理由を教えてもらって、この気持ちが恋だと気づいた。
俺のどうしても守りたい女の子は、食堂で見かける女の子だと分かったんだ。
あ、どうやら思い出している間に、エンジェ嬢の仲裁は終わっていたようだ。
ルチル嬢は、エンジェ嬢が言うなら許すというエンジェ嬢との仲を見せつけるのと、不健康令嬢にエンジェ嬢に救われたという意識を植え付けたかったのだろう。
救ってくれた相手には敬意を示すものだろうから、これで虐めがなくなればいいと思ったんだろう。
俺も、エンジェ嬢への虐めがなくなってほしい。
このままでは、令嬢が相手でも殴ってしまう日が来るかもしれない。
それは、父の教えを破ってしまうことになる。
父の教えを破ると、家督を継げなくなるかもしれない。
俺は、家督を継ぎたい。
でなければ、国の要である辺境伯家に婚約を申し込むなどあり得ないからだ。
自らの力を示して、安心して娘を任せられると、婚約を許してもらいたい。
その頃には、きっとエンジェ嬢とも話せるようになっているはずだ。
剣も勉強も恋も頑張ろう。




