17
昼食後は予定通り馬での散歩になったが、出発前に一悶着あった。
祖父と父、どっちがルチルと乗るかという問題が勃発したのだ。
普通は、どっちがアズラ様と乗るかだけどなぁ。
ほら、アズラ様も苦笑いしてるよ。
「きょうは、おとーちゃまとのりましゅ」
祖父はこの世の終わりのような顔をしていて、父は勝ち誇って胸を張っている。
「おじーちゃまとは、あちたいっしょにのりましゅ」
「そうか、そうか。私とは明日か。毎日一緒にいるもんなぁ」
お祖父様、本当お父様へのマウント好きですよねぇ。
ルチルと父、祖父とアズラ王子殿下の馬が並走して歩き、その後ろをチャロがついてくる。
ルチルは目に見える景色をアズラ王子殿下に説明し、アズラ王子殿下は楽しそうに聞いていた。
「アズラちゃま! ぎゅーにゅーちぼりましぇんか?」
牧場が見えてきた所で、ルチルが牧場を指した。
「ルチル、さすがにそれは……」
「たのちいでしゅよ!」
「たのしいの? いいね、やろう」
アズラ王子殿下の言葉に、祖父と父は顔を見合わせた後、苦微笑しながら頷き合っていた。
牧場の人たちは、たまに来る領主一家には驚いていなかったが、煌びやかな服を着た可愛い男の子に驚きを隠せずにいた。
「親戚の子なんだ。ルチルが一緒に乳搾りをしたいと言い出してな。いつもすまん」
「いえいえ、ルチルお嬢様に来ていただけるだけで、私らは幸せですから。存分に搾っていってください」
「ありがとうございましゅ。おじちゃま、もうひとちゅおねがいがありまちて」
ルチルは、とことこと牧場主のところに行って耳打ちをしている。
笑顔で頷いてくれた牧場主にお礼を言って振り向くと、父がアズラ王子殿下から上着を預かっているところだった。
「ご案内しますね」
牧場主の奥さんに案内されて、すぐ横の放牧場に向かう。
外には、何十頭という牛が日向ぼっこしていた。
手前で草を食べている牛の元に行き、牧場主の奥さんからルチルとアズラ王子殿下に小さなコップが渡された。
「アズラちゃま、やったことありましゅか?」
ないと分かっているが、一応聞いてみる。
「ぎゅうにゅうは牛からとは知っているけど、見るのもやるのもはじめてだよ」
「では、わたちがみほんをみせましゅね」
牛の側で2人で座り込み、その姿を大人たちは微笑ましく眺めている。
「てをそえて、こうやってひとしゃしゆびからちぼっていくでしゅ」
それなりに勢いよく出る乳を見て、アズラ王子殿下が静かに頷いている。
「ルチルは、何回もしぼったことあるの?」
「あい。たまにあそびにきていましゅ。ちぼりたておいちいでしゅ」
コップの半分くらい搾れたら、アズラ王子殿下と交代した。
周りがアズラ王子殿下の初めてを見守る中、本当に初めてなの? と疑問になりそうなほど、アズラ王子殿下は上手に搾っている。
「しゅごいでしゅ!」
「ルチルのお手本がよかったからだよ。ありがとう」
アズラ王子殿下も、コップの半分くらい搾ったところで止めた。
コップの中身を見つめるアズラ王子殿下に、「のみましょう」と言ってからルチルは飲んだ。
ルチルの飲んで頬を緩ませた顔を確認してから、アズラ王子殿下も飲んでいる。
「……おいしい」
「あい、おいちいでしゅ」
自分で搾った牛乳って格別だよねぇ。
小さなコップの半分くらいなので、2人はあっという間に飲み終わった。
「アズラちゃま、つぎはバターをつくりましょう」
「ぼくにも作れるの?」
「たいへんでしゅが、つくれましゅ」
「お嬢様、用意できてますよ」と、気づかないうちに来ていた牧場主が声をかけてくれた。
柵の出入り口付近に簡易机が置かれていて、机の上にはバター原液(生クリーム)が入った瓶と、塩とクラッカー等が置かれている。
牧場主と奥さんが、ルチルとアズラ王子殿下それぞれに瓶を渡してくれる。
「アズラちゃま、これはふるでしゅ」
言ったそばからルチルは、両手で一生懸命振りはじめた。
勢いよく無心で振るルチルに、アズラ王子殿下が声を出して笑い出した。
先程の鈴の音のような笑い声ではなく、お腹を抱えて大声で笑っている。
笑い声に一驚したルチルは振ることを止めたし、祖父や父やチャロは目を点にしている。
「どうちたでしゅか?」
「いや、ごめん……あまりにも可愛すぎて……がまんできなくて……」
可愛すぎて? 笑いながら言われても説得力ないし、可愛かったらそんな可笑しそうに笑わないでしょ。
「ごめんごめん。だから、怒らないで」
知らない間に頬を膨らませていたようだ。
アズラ王子殿下の天使のような可愛い微笑みに、プシューと口から息が漏れた。
今度は小さく肩を揺らして笑っているアズラ王子殿下に、ルチルは「まぁいいか」と受け流した。
「さぁ、アズラちゃまもふりましゅよ」
「うん、がんばるよ」
一緒に仲良く振っていたが、5分もするとルチルが音を上げた。
腕を摩るルチルの代わりに祖父が瓶を振る。いつもの光景だ。
「アズラ様、私が代わりに振ります」
「大丈夫だよ。それに、さいごまで自分でやりたいんだ」
チャロが心配そうに見守る中、アズラ王子殿下は宣言通り最後まで1人でやりきった。
満足そうな顔に、チャロは眩しいものを見るみたいに目を細めている。
「アズラちゃま、しゅごいでしゅ! ちゃんとできてましゅ!」
「ほんとう? よかった」
瓶を逆さまにして、布をひいた深皿の上に中身を出す。
布を搾って塩を混ぜれば、手作りバターの完成だ。
バターナイフで取り、クラッカーにつけて食べた。
「おいちいでしゅー!」
「……うん、おいしいね」
アズラ王子殿下は余すことなく、味わうように食べている。
自分で作ったものって美味しく感じるよねぇ。
普段食べてるバターよりも素朴だから、しつこくなくてパクパクいけちゃうしね。
本当は王子様にこんなことさせちゃ駄目なんだろうけど、やっぱり自分で体験するって大切だからね。
何より楽しいから、子供の頃のいい思い出になるしね。
バターを食べ終わり、帰路に就くことにした。
馬を歩かせていると、行き同様、気づいた領民たちが手を振ってくれる。
笑顔で手を振り返していると、祖父とアズラ王子殿下のやり取りが聞こえてきた。
「領民は皆いそがしそうだけど、とても幸せそうだね」
「ありがとうございます。皆には誠に頑張ってもらってますからね。少しでも過ごしやすいようにと心掛けておりますので、そのように言っていただいて光栄です」
2人の朗らかな声に、ルチルは父と顔を合わせて微笑んだ。
屋敷に到着し、「また遊びにきたい」と言うアズラ王子殿下を「いつでも来てください」と見送った。
お土産は散歩に出ている間に作ってもらっていたフルーツサンドで、アズラ王子殿下は今日1番の笑顔を見せて帰っていった。