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「殿下を誘ったのも、クンツァ様って奴に言われて?」
「そうよ。あの子が欲しいんですって。何に使うのかは知らないけどね」
部屋を縦横無尽に暴れている黒い鞭は、切っても切っても減らない。
ルチルたちの周りの黒い鞭は、何かに阻まれているように離散している。
「いつまでその防御壁は続くかしら?」
「どうだろうね」
「私ね、色んな男から魔力をもらってたくさんあるの。何日だって持つわよ」
「我慢比べでは負けるってことだ」
「そうね。でも、長居はできないから本気で殺しにいくわ。殿下を迎えに行かないといけないのよ」
「じゃ最後にもう1つだけ、冥土の土産に教えてくれる?」
「いいわよ」
「今領地で起こっている全ては、あんたの仕業?」
「知っているなんて優秀じゃない。でも違うわよ。魔物を呼び込んだのは辺境伯令息よ。父親を殺したいんだって」
「あの男にそこまでの力はなさそうだったけど」
「ないわね。でも、知恵を授ける者がいれば問題ないでしょ」
「それもクンツァ様?」
「さぁね。最後の質問はもう答え終わっているもの」
「分かった。ありがとう」
「聞き分けのいい子は好きよ。だから、一瞬で殺してあげる。さよう……なに、を……」
突然、辺境伯夫人が倒れた。
両手で首を掻きむしっていて、涎を垂らしている。
黒い煙が徐々に消えていく。
「た、す……け……」
「オニキス様、一体何が起こっているんでしょう?」
「話しすぎて仲間に殺されるパターンじゃない」
「そんな……まさか……」
「でも、間者の最後って、口に隠してた毒で死ぬか、拷問されて死ぬかでしょ。話しすぎたら死ぬ魔法がかかってもおかしくないよ」
「……冷静ですね」
「まぁね。こんな女、どう死のうが何とも思わないよ」
本当に何とも思ってなさそうな顔と瞳……
感情がなさすぎて、今までのオニキス様と違いすぎて怖い……
首を掻きむしっていた辺境伯夫人の手が止まり、白目を剥いて泡を吐きながら微動だにしなくなった。
そして、少しずつ霧が晴れていくように、体が薄くなっていく。
最後に残ったのは、大きな赤色の魔石だった。
暫くすると、祖父とミイラになった辺境伯が戻ってきた。
祖父に尋ねると「急に叫んで、瞬く間に干からびた」とのこと。
辺境伯を嗅いだミルクが『持っている魔力以上の魔力を使おうとして干からびたんだ』と教えてくれた。
夜になり、アズラ王太子殿下と父が帰ってきた。
父は2箇所の防衛に成功した後、アズラ王太子殿下の様子を見に行ったそうだ。
アズラ王太子殿下の采配は素晴らしかったそうで、父が駆けつけた時には魔物退治は終わっていて、数人が軽傷をおっただけだったとのことだった。
「どこも被害という被害がなくてよかった。ルチルも無事でよかったよ」
「私よりアズラ様が無事で、本当によかったです」
「ありがとう。オニキス、辺境伯令息は? 捕まえたの?」
「それが聞き込みもしたんですが、朝食後から誰も見ていないそうなんです」
「逃げたのかな」
「どうでしょうか」
「明日、領地を見回る際に探してみよう。そして、明後日帰ろう。陛下に説明をして国として対策を立てよう。魔物の襲撃は色んなモノを奪うからね」
疲れているだろうからと、その日は早々に眠ることにした。
ルチルは眠気が全くこず、アズラ王太子殿下に抱きついた。
「どうしたの?」
「起こしてしまって、すみません」
「起きていたから気にしないで」
撫でるように髪の毛を梳かれて、アズラ王太子殿下の優しい手に力が抜けていく。
体も心も強張っていたんだと気づいた。
「我慢しないで泣いていいよ」
「っ……」
「怖かったよね。側にいなくて、ごめんね」
アズラ王太子殿下の胸に押し付けている顔を、擦りつけるように振った。
怖い……
ミソカと一緒に襲われた時も、後から実感して怖かった。
でも今日は、戦いが怖かったんじゃない。
人が死ぬ姿が怖かった。
死体なんて、お葬式以外で見たことがない。
どうして寿命じゃなく、争いで無惨な死に方をしなくてはいけないのだろう。
そのことが、どうしようもなく怖かった。
話し合いで解決しないこともあるって分かっている。
分かってはいるけど、その現実が痛いし、苦しくて辛い。
泣き疲れたルチルは、そのまま眠ってしまった。
「優しいルチルには辛いよね。できれば安全な場所で、何も知らずにいてほしいのに。犠牲を出さない……は、今後も無理だろうから。ごめんね」
アズラ王太子殿下の呟きは誰に聞かれることもなく、夜の闇に溶けていった。
次の日に領地内を見回り、アヴェートワの騎士たちには帰る支度をするように伝え、ルドドルーの騎士たちには新たな配置場所や見回る順番等を伝えた。
そして、騎士たちも領民たちも、辺境伯令息を見ていないということだった。
辺境伯たちのことは、今は伏せられている。
ただ、辺境伯がミイラになったところを見た領民もいれば、辺境伯夫人が魔物と同じように消えて亡くなったことを知る使用人もいる。
噂が広がって領内や国全体が混乱する前に、対処法を打ち出さねばならない。
そして、アズラ王太子殿下が活躍したことも、同時に広めなければならない。
アズラ王太子殿下は、これから国民の星にならなければならないのだ。
その重責を、本人は誰よりも分かっているだろう。
だからこそ、滞在が数分だろうとルドドルー領の全ての村に顔を出したのだと思う。
昨日の戦いの日とは違って、アズラ王太子殿下は泥のように眠っていた。
王都に帰る前に、ルチルは最後に前辺境伯夫人のお墓参りにやってきた。
そこで見た景色に大声で泣き叫び、オニキス伯爵令息が「胸は貸せないので、背中で泣いてください」と背中を貸してくれた。
後ろから両腕を回し込み、オニキス伯爵令息の胸部分の服を握って、抱きつきながら泣いた。
「いや、ちょっと違う」という声が聞こえたが、落ち着くようにと、前に回している手を泣き止むまで柔らかく握ってくれていた。
お墓の前で胸に剣を突き刺し、雪もチオノドクサも赤く染めていた辺境伯令息の姿を忘れることはないだろう。
何が引き金でこうなったのかは分からない。
全員言っていることが違ったのだから、真実を知る術はどこにもない。
それでも、「前辺境伯夫人が死ななければ」「辺境伯が歌に惚れなければ」「チオノドクサの花畑に、記憶喪失の魔の者が現れなければ」と、不確かなことだけど思わずにはいられない。
大切な人たちが幸せであってほしいと思っている。
でも、他の人たちの不幸を願っているわけじゃない。
誰もが幸せな結末を望んでいるはずなのに、死でしか幸せになれないなんて、やるせない……
明日の「ルチルの行動理由」にて、ルドドルー編は終わります。
そして、冬期の行事のお話になります。
もうすぐ1年生が終わります。
もう少しだけ1年生をお付き合いください。
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