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魔物が襲撃をしてくるだろう朝、起きると新たに30cmほど積雪していた。
昨日の夜中に降ったそうで、これ幸いとアズラ王太子殿下たちは雪かきの手伝いという名目で、朝早くから出かけて行った。
朝食には、辺境伯夫人と辺境伯令息がいた。
辺境伯令息は、城の雪かきを手伝うそうだ。
朝食後、落ち着かないルチルは、部屋の中をミルクに負けないほど行ったり来たりしていた。
窓の外を見るが、煙が上がっている様子はない。
襲撃がまだなのか、被害がなく勝てたのか分からない。
悶々としているうちに昼食になり、食堂には辺境伯夫人しかいなかった。
「辺境伯令息は、どちらに?」
「分かりませんわ。用意がないということは食べないのでしょう」
「親として心配ではありませんか?」
「親? 彼の方が年上ですよ」
「それでも、辺境伯夫人が親でしょう」
馬鹿にするように嫌味ったらしく笑われた。
「すみません。真っ直ぐすぎるあなたが眩しくて」
「褒めていただき、ありがとうございます」
褒められていないことは分かっているので、相手が嫌がるだろう答えを返す。
「あなたの正しさは人を蝕みそうですわね」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままですよ。正しさを押し付けられた者は息苦しくなり、何もできない無能だと殻に閉じ籠りそうですわ。正しさとは人それぞれでしょうから」
「辺境伯夫人は、色んな正しさに寄り添えると仰られるのですか?」
「私は、この世に正しいモノなど1つもないと思っていますわ」
「あなたの中にもないと?」
「ありませんわ。あると思っている者たちのソレは、自己満足でしょうね。
だって、己が正しいと戦う者たちは、残された者の気持ちなんて考えていませんでしょ? それに守られる者、残される者も、戦う者の気持ちなんて考えませんしね」
うん、同意見だけど……同意したくない。
正義と悪の境目なんて、どっちの視点で見るかだけだろう。
それぞれの想いがあるわけで。
みんながみんな、自分の気持ちを大切にする。
それでいいじゃないかと思う。
ただ誰かを悲しませたり、暴力を振るったりはよくない。
「ルチル公爵令嬢からは、自分の考えこそが正しいという押し付けを感じましたの」
まぁ、もうババアなんでね。
これっていう考え方がねぇ。
よく娘に注意されたわ。
それでも、あたしが正しいと思う意見を通すよ。
だって、あたしが穏やかに楽しく生きたいんだから。
「だから、殿下も休める場所が欲しいんだと思いますわ」
ほほーん。
浮気してるよと仄めかしたいわけね。
「夫人は辺境伯の休める場所になっていると、もう少し先輩を見習えということでしょうか?」
「どうかしら。夫の気持ちは夫にしか分かりませんから」
「では、アズラ様の気持ちも、アズラ様にしか分かりませんよ」
「ふふ。それが私には分かるんです」
そうですか。
「アズラ様が夫人に相談をされているんでしょうか?」
「はい。熱くて焦げそうな夜を過ごしていますわ」
真っ黒焦げになってしまえ。
「それは、アズラ様がお手数をおかけしていますのね。私から謝らせていただきますわ。アズラ様がご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
ほれほれ、悔しいだろう。
「あたしのアズラ様」と言われて悔しいだろ。
もっとかかってきたまえ。
「迷惑だなんて、とんでもありませんわ。お側で支えることができて、光栄ですもの」
「意識の高い臣下がいることは、王家にとっていいことですわ。ありがとうございます」
「ルチル公爵令嬢は短気でもありましたのね。ご自身が王家の人間のように振る舞うのは、周りから嘲笑われますよ。いくら子供でも気をつけた方がよろしいですよ」
「ご教示くださり、ありがとうございます。癖で両陛下を『お義父様』『お義母様』と呼ばないようにも気をつけますわ」
化かし合いも面倒臭いが、できるだけ辺境伯夫人と一緒にいたい。
何かあった時に尻尾を出してくれれば、その時捕まえることができるし、尻尾を出してくれなくても足止めくらいはできる。
お茶を一緒になんて言ったら警戒されるかもしれないから、食事時間を伸ばすことが精一杯なのだ。
引き伸ばすのも限界かと思った時、遠くの方で爆発したような音が聞こえた。
「何か聞こえませんでしたか?」
「私には何も聞こえませんでしたわ」
「待ってください」
立ち上がろうとする辺境伯夫人を引き留める。
「やはり何か聞こえます。詳細が分かるまでは危険ですから一緒にいましょう」
辺境伯夫人が、何かした素振りはなかった。
「問題ありませんわ。この城は、どこよりも守りが強い城です。ルチル公爵令嬢も安心してお過ごしください」
「お待ちください!」
言いながら立ち上がり、歩き出した辺境伯夫人の腕を掴んだ。
「いっ!」
火傷した時のように手が痛く、手のひらを見ると爛れていた。
掴んだ場所だろう辺境伯夫人の腕も爛れて、湯気が出ている。
壁に控えていた侍女が、悲鳴をあげた。
「あなた……ここまでとは……あいつらの言いなりは嫌だったけど、利用価値がありそうね」
「ルチル嬢!」
辺境伯夫人が掲げた手から黒い鞭みたいな物が伸びてきたが、濃い緑色の風によって掻き消えた。
目の前には、オニキス伯爵令息の背中が滑り込んできた。
「絶対、後ろにいてよ」
「一緒に戦います」
「いらない。大人しくしてて。動かれると守りにくい」
「でも、オニキス様弱いのでしょう?」
「そうだよ。だから動かれると守れないの」
辺境伯夫人を形取るように真っ黒な炎が出現し、黒い鞭が黒い炎から何本も伸びて暴れ回る。
「ミルク! 侍女の人たちを守ってあげて!」
『後で魔力もらうからな』
カーネも侍女たちを守ってくれるようで、鞄から出しただろう短剣2本を両手で持ち、黒い鞭を切っている。
「神獣じゃない。いい手土産になるわ」
「どこへの手土産になるの?」
「知らないなら、知らないままの方がいいわよ」
「知らないことがある方が嫌な質なの」
「鬱陶しい子。まぁ、いいわ。どうせあなた以外は皆殺しだものね。特別に教えてあげるわ。クンツァ様よ」
クンツァ……隣国の王太子と同じ名前……




