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愛の囁き攻撃に気持ちが昂って、声を出さないように泣いてしまったアズラ王太子殿下の喉は枯れて、瞼が腫れてしまった。
アズラ王太子殿下を心配してお医者様を呼ぼうとするチャロを、朝から引き止めるのは大変だった。
時間が少し経ち、ルチルは正座をする父の前で仁王立ちをしている。
「お父様、聞いてほしい弁解があるのならば一応聞きますが、何かありますか?」
「他に方法がなかったんだ」
「だから、やめとけと言ったのに」と、祖父の声が微かに聞こえた。
「このままでは、罪のない領民が傷つくことになる」
「だからって、アズラ様や私を傷つけていいなんてことはありません」
「それは悪かったと思っているが、この先立ち直れないほどの傷を負うかもしれないなら、今小さな傷の方がいいと思ったんだ」
「どういうことですか?」
「私は、辺境伯夫人か辺境伯令息のどちらか、または、両方が神殿側の人間だと思っている。
そして、領内に大掛かりなことをしているんだ。協力者は何人もいるだろう。そいつらを炙り出すために、辺境伯夫人が気に入っている殿下に協力をしてもらったんだ。
もしかしたら、神殿の裏側も掴めるかもしれない。掴めたら神殿を壊滅できる。そうすれば、もうルチルも殿下も危ない目に遭う機会は少なくなるだろう」
お父様なりに、私とアズラ様の幸せを考えてのことか。
そうだろうとは思っていたけど、やり方がよくない。
別の案をと言われても出てこないけど、今回の案が悪手だということは分かる。
「だとしても、アズラ様にさせることではありません。アズラ様にさせるぐらいなら、私が辺境伯令息に近づきます」
「「ダメに決まってる!!」」
全員で声を合わせなくても……無視無視。
「それに、お父様が大人の魅力で辺境伯夫人を誘惑して、罠を仕掛ければよかったではありませんか」
「私にはタイチンがいる。そんな不埒な真似は許されない」
「アズラ様には私がいます!!」
それに一国の王太子だっての!
そもそも王太子にさせることじゃないからね!
まさか……
「お父様、まさかと思いますが、私がアズラ様を嫌いになったり、アズラ様が不誠実をしたと明るみになって婚約が破棄になったり、アズラ様が他の女性に目を向けたらいいなぁとか思ったりしてませんよね?」
「……していない」
したな。
これは、そういう意図もあったな。
「さいってい! お父様とは当分の間、口を利きませんから!」
「ル、ルチル、悪かった!」
無視無視。絶対に許さない。
ルチルバカなお父様には、溺愛の娘からの無視が1番堪えるはず。
あ、でも1つだけ。
「もうアズラ様には誘惑させませんから。どうしてもその方法を取りたいのでしたら、私が辺境伯令息を誘惑します。誰が反対してもです!」
全員を見渡して宣言した。
主犯が父であったとしても、全員黙認していたということだ。
黙認は、主犯と変わりない。
オニキス様の相手が分からないから告げ口できないけど、お母様だけじゃなくて、お祖母様にも告げ口するんだから!
昼食に呼ばれ、全員で移動しているが、ルチルは誰とも話そうとはしない。
『昨日よりも臭くなっているな』
ミルクのこの一言に、蛇が背中を這ったような感覚がして、左目に魔力を集めた。
そういえば、お城の中って調べてないな。
どうかありませんように。
廊下にはなく、胸を撫で下ろしながら食堂に入ったと同時に、叫びそうになった。
「ルチル? どうかした?」
「い、いえ。なんでもありません」
笑顔を保てているのかどうか怪しいと、自分の表情筋を心配しながら席に着く。
心の中で深呼吸しながら、辺境伯と辺境伯夫人を見た。
見間違いじゃない。
辺境伯の胸の部分に魔法陣がある。
体に描かれているってこと?
発動したら、どうなるの?
怖いんだけど……
それに、辺境伯夫人が白飛びしてる。
なにこれ? なんで? どうして?
キモ男は……特に何も無しか……
それはそれで気になる……
見つめてしまっていたようで、辺境伯令息から微笑まれた。
レントゲンの世界にいるルチルには、ただのホラーにしか見えない。
引き攣りながらも微笑みを返し、膝の上に乗っているミルクを撫でて、気持ちを落ち着けた。
昼食後、アズラ王太子殿下たちは、街や村に点在している騎士団の様子を見に行っている。
ルチルたちは部屋に戻り、食後のお茶をしている。
「ミルクー」
運動不足なのか、毎日のように部屋の中を駆け回っているミルクを呼んだ。
ジト目をされたが、文句を言わずに膝の上に来てくれる。
「聞きたいことがあるんだけどね」
『なんだ?』
「魔法陣を体に書いてる場合、発動するとどうなるの?」
『どうにもならん。魔法陣が壊れたところを見たことがあるか?』
「ない」
『そういうことだ』
「それと、真っ白に見える人って何かあるの?」
『神の者か、魔の者だな。我も真っ白に見えるだろ?』
あ、うん。見えるけど、毛が白いからだと思っていたよ。
「神の者同士って、お互いを知らなくても分かり合ったりするの?」
『なんとなくだが分かるぞ』
「じゃあ、この城にミルク以外にいたりする?」
『いない』
「分かった。ありがとう」
ミルクを一撫ですると、ミルクはまた部屋の中を走り回り始めた。
「ルチル嬢、俺にも分かるように話してくれる?」
「私、まだ怒っているんですよねー」
「夜中に殿下とイチャついたんでしょ? それでチャラじゃない」
「なりませんよ! アズラ様の心は、ズッタズッタのギッタギッタなんですよ!」
「たまに意味不明なこと言うよね。どこの言葉?」
「さあ?」
オニキス伯爵令息の大袈裟なため息を聞き流し、立ち上がった。
「オニキス様、行きましょう」
「どこに?」
「キモ男のとこですよ」
「どうして?」
「敵情視察です」
「襲われても知らないよ」
「護衛騎士なんだから守ってくださいよ」
「俺の方が弱い自信ある」
辺境伯令息の居場所を掃除をしている侍女に問うと、今日は裏山にお墓参りに行っていると教えてくれた。
お墓までは一本道で、裏門から真っ直ぐ進めば辿り着くそうだ。
辺境伯令息は暇があればお墓を訪れている、と説明された。




