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「お姉様……」
「どうしたの?」
「どうしてまだ家に着かないのでしょう?」
ルチル同様、弟も簡素な服しか持っていっていなかったので、着替えに帰るため一緒に馬車に乗っている。
ちなみにミルクは、シトリン公爵令嬢が離れたくないと言ったので、ナギュー公爵家本邸にてお留守番。
ミルクを1匹にはできないので、カーネに側にいてもらっている。
ルチルの護衛騎士たちは、ナギュー公爵家タウンハウスに一緒に戻ったが、借りられる馬がないとのことでナギュー公爵家タウンハウスでお留守番になっている。
護衛騎士全員、特にデュモルから離れることを反対されたが、たかが20分王都の道を馬車で帰るだけだとルチルが説得した。
借りられる馬の用意を待っていたら、歓迎会の時間に間に合わないからだ。
四大公爵家のタウンハウスは、全て王都の一等地に建っている。
転移陣で行き来が可能だが、馬車でもそれぞれ20分ほどの場所に建っているのだ。
誰が上流階級の家しかない住宅地で、襲撃されるなんて思うだろう。
弟の言葉にカーテンから外を覗き見たが、基本馬車に乗らないルチルは道が分からない。
「お姉様、僕の剣を出してもらっていいですか?」
弟の荷物は、全てルチルの空間魔法陣がある鞄に入れている。
便利なので、学園以外でも常に身につけている。
「剣なんていらないわよ」と1度は断ったルチルだが、弟に押し切られて持ってきていた。
これは……たぶん誘拐の類だろう。
これが、お婆さんが言っていた未来?
馬車は、ナギュー公爵家で借りたもの。
ああ、嫌だ……
ナギュー公爵夫人が関わっているんじゃないかって思ってしまう。
でも、こんなにも分かりやすいことする?
もしくは、ナギュー公爵家を狙っている誰かがいて、乗っている人物をシトリン様と思っている?
って、今は、そんなこと考えている場合じゃない。
ミソカを守らなくては。
鞄から剣を出して、弟に渡した。
弟は受け取ると抜刀して、鞘を差し出してきた。
「敵が近づいてきたら投げてもいいですし、振り回してもいいです。武器になりますから持っていてください」
「……ありがとう」
なんと!
ミソカが、こんなにもしっかり成長しているとは!?
「僕が、絶対お姉様を守ります」
「ミソカは自分自身を守って。あなたが怪我したら、私は一生後悔するわ」
「何言ってるんですか。怪我は指輪で治るんですから、僕はいくらでも怪我して大丈夫ですよ」
「それを言うなら私もよ」
「お姉様はダメです。僕、お祖父様とお父様に殺されてしまいます」
大丈夫よ。
2人はミソカのことも溺愛しているからね。
今回殺されるのは、誘拐した人たちよ。
「馬車が止まったら耳を澄ませて、周りに何人いるか探りましょう。僕が扉の前にいますので、お姉様は後ろにいてくださいね」
「分かったわ。それにしてもミソカ、落ち着きすぎじゃない?」
「僕は、お祖父様とお父様以外に怖い人なんていませんから。あの2人……人間じゃないんですよ。怖いんですよ」
お祖父様にお父様……一体どんな特訓をしているんですか……
この状況でも嘘泣きをする弟に、ルチルの不安も緊張も薄れていく。
1人じゃなくてよかったと冷静になれる。
そして、母の「何があっても笑っていなさい」という言葉が頭に浮かんだ。
そうよね。
何かを言われた時だけじゃない。
予測不能な事態が起きた時こそ、笑顔でいなきゃ。
「いつまで走るのかしら? お尻が痛くなってきたわ」
「森に入ってから随分経ちますね。どこまで行く気だろ?」
時々カーテンから外を覗くが、木々しか見えなくなっていた。
こんなに時間が経てば、ナギュー公爵家タウンハウスに置いてきた護衛騎士たちが騒ぎ出しているだろう。
その騒ぎがアズラ王太子殿下の耳に入れば、指輪で探してもらえる。
きっと大丈夫、笑顔、笑顔。
「ミソカ、チョコレート食べる?」
「食べます。お姉様、飲み物持っていませんか?」
「あるわよ。ジュースも出すわね」
「やった」
いざという時にお腹が空いて力が出ないなんてことがないように、しっかりと食べて飲んだ。
帰ったら何が食べたいとか、何をしたいとかの話を冗談を交えながら話して、膨らんでいく緊張を和らげようとした。
辺りが暗くなりはじめた時に、馬車の天井から半透明の鳥が入ってきた。
ルチルの膝の上に止まると、陽気な声が聞こえてくる。
『今向かってまーす』
オニキス伯爵令息の声だ。
アズラ王太子殿下に駆り出されたのか分からないが、用事があると言っていたのに、救出に向かって来てくれているとのこと。
弟と顔を見合わせて、オニキス伯爵令息の緊張感のなさすぎる声に笑い合った。
馬車が漸く止まり、弟がカーテンから外を覗き見る。
「ここで馬車を替えるようです。無印の馬車ですね」
「そう。ここってどこら辺なのかしらね」
「見当もつきません……ん? 会話が……」
「どうしたの?」
「共通語じゃありません。この言葉……ポナタジネット国の言葉です」
ポナタジネット国といえば、聖者を探していたり、アズラ王太子殿下に縁談を申し込んで断られたりした国だが、ルチルはその時の話し合いに参加していなかったので全てを知らない。
知っているのは、縁談を断ったことくらいだ。
だが、ミソカは10歳になった時に、ルチルを取り巻く環境について、父から聞いていたので息を飲み込んだ。
ルチルが眠っている間も、姉はきっと目覚めると信じて、姉を守るために特訓をしていたのだ。




