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顔が擽ったくて起きると、目の前に小さな狼がいた。
もしかして舐めて起こされた?
えー、もう、なにそれ、可愛いがすぎる!
丸い顔につぶらな瞳が、警戒心剥き出しでルチルを見ている。
『起きたか。お主は誰だ?』
まだ赤ちゃんだと思うのに、しっかりと話すんだね。
ゆっくりと起き上がり、小さな狼の頭と体を撫でた。
『我は、こんなことで騙されぬ』
その割には気持ち良さそうに目を瞑っている。
「私はルチル。あなたは?」
『我は神獣』
やっぱり神獣なのね。
昨日、聞き間違えたわけじゃなかったのね。
「名前は?」
『みな、我を神獣と呼ぶぞ』
撫でる手を、小さな狼のお腹に移動させる。
小さな狼は、嬉々としてお腹を見せてくる。
名前ないのかぁ。
神獣って、そのまんま呼ぶのもなぁ。
「じゃあ、あなたの名前はミルクね」
『ミルクか。気に入ったぞ』
実は、前世で飼っていた犬の名前なんだよね。
この子と同じ、真っ白な毛のチワワ。
白い毛から連想してミルク。
とても賢くて、愛嬌のある元気な子だったな。
私が亡くなる前に死んでしまったけど、我が子のように愛してた。
死んだ時は、夫と2人泣き崩れたな。
「ねぇ、あなたは、どうしてあそこにいたの?」
途端にミルクは戯れることを止め、悲しそうに目を伏せた。
『じいやが助けてくれたんだ……』
「あなたの側にいた大きな子よね。何があったか分かる?」
『我は魔法陣で喚び出された。そして、殺されかけた』
待って、待って、待ってー!
神獣って、魔法陣で喚べるものなの?
殺されかけたって、なに?
『我はまだ行き来できる力はないが、じいやは行き来できるから助けに来てくれたんだ。そして、我の代わりに攻撃を受けた。何があったか分からぬが、力が尽きる前に我を抱え、転移したのだろう。我は、すでに意識がなかったからな』
「どうして、すぐに逃げようとしなかったの?」
『殺されるために喚ばれたとは思わなかった。喚ばれたのは3週間程前。みんな、特に少女は優しかった。ご飯に痺れ薬を盛られるとは思わなかったんだ』
こんな小さな可愛い動物に痺れ薬って!
虐待反対!
「それで攻撃されたのね」
『ああ、そうだ。防御壁で何とか凌いではいたが、徐々に体がいうことをきかなくなってな。もうダメだと思った時に、じいやが来てくれたんだ』
「そう」
悲しいことに、この子が慕っていた大きな狼はもういない。
何を言っても慰めにはならないだろう。
その代わり、この子を守ってあげよう。
それが唯一、私が大きな狼にできる手向けになるだろうから。
「あなたを襲った人たちは、誰か分かる?」
『奇妙な服を着ていた奴らだ。神官様や巫女様と呼ばれていた。意味が分からなかったが、そういう名前なのだろう』
「え? それ、名前じゃないわよ。そういう役目の人たちよ」
『馬鹿なことを言うな。人間に神官や巫女が務まるわけなかろう。神様の側には我々がいる。人間などいたことがない』
なるほど。一理あるわね。
人間の神官や巫女は、神様に指名されるわけじゃない。
言葉は悪いが、勝手に信仰しているだけだ。
「役目って言い方が悪かったわ。神様を信仰している人たちの指揮を取る人を、そういうのよ」
『そうなのか。分かった』
頷くミルクの頭を撫でる。
「ねぇ、ミルクはどんな力が使えるの?」
『力か……我はまだ魔力が弱い。少ない魔力で使えるものだけだ』
「襲われた時、どうして攻撃しなかったの?」
『人間を攻撃することは禁止されている』
だから、防御だけで頑張ったのね。
ジーッとミルクを見ると、訝しそうに眉根を寄せられた。
その顔も最高に可愛い。
『なんだ?』
「私と同じ瞳の色をしているなと思ってね」
『ああ、お主は人間にしては珍しいな。我の言葉も分かるしな』
「今の色もとっても可愛いんだけど、瞳の色を変えることってできない?」
『常に魔力を使えと言うのか?』
常に魔力を使えばできるのね。
「私ね、じいやと約束したの。あなたが大きくなるまで一緒にいるって。でも、神官や巫女はあなたを知っているでしょ。『盗んだ』『返せ』って言われないように、瞳の色が違った方がいいと思ったのよ」
『じいやとか……それならば変えよう』
「ありがとう! 天色がいいわ!」
髪の毛が白で瞳が天色ならアズラ様と一緒!
絶対、ミルクと一緒の写真を撮らせてもらおう!
ミルクが目を閉じた。
次に開けた時は、天色の瞳に変わっていた。
『どうだ?』
「完璧よ! キスしたいくらい可愛いわ!」
『本当にするでない!』
「ちょっとくらいいいじゃない」
『うっ……少しだけだぞ……』
やった! 可愛いし、優しい!
動物と意思疎通できるなんて、夢みたいで幸せー!
朝食の時間だと父にドアをノックされ、「すぐに行きます」と返した。
カーネが入ってきてルチルが着替えはじめると、ミルクは真っ赤になって布団の中に潜ってしまった。
食堂に到着すると、みんなもう着席していた。
ルチル待ちだったようだ。
「お祖父様、お父様、アズラ様、おはようございます」
「おはよう、ルチル」
「この子の名前はミルクにしました」
ミルクを抱き上げて、3人に見せた。
昨日泉で起きたミルクを見ていた祖父だけが、僅かに目をそばめた気がした。
「僕と同じ色?」
「はい! アズラ様と同じ色です。可愛いですよね」
『おい、ルチル。あいつは何者だ?』
「ミルクにも、みんなを紹介するね。
こちらが私のお祖父様。大人の魅力たっぷりでしょ。
こちらが私のお父様。スマートでとても素敵でしょ。
そして、私の好きな人で婚約者のアズラ様。この国の王子様よ」
『そうか。ラピス・トゥルールの血を継いでいるのか』
妙に納得しているミルクに疑問を投げかけたかったが、ここには3人以外もいる。
カーネやチャロ、護衛騎士たちを信用しても、王家の別荘に仕えている人たちはまだ信用できない。
ルチルがアズラ王太子殿下の隣の席に着くと、ミルクはルチルの膝の上に座った。
「ねぇ、ルチル。僕が撫でても嫌がらないかな?」
ウズウズしているアズラ王太子殿下が、瞳を輝かせてミルクを見ている。
ルチルがミルクに視線を投げかけると、ミルクは構わないという風に息を吐き出した。
「撫でていいみたいですよ」
「嬉しい。ミルクありがとう」
あああああ! このシーンを写真に収めたい!
可愛い! 可愛い!
「ルチル。ミルクは何を食べるかな?」
「そうですねぇ……まだ小さいですし、人間の食べるものを用意していいものかどうか……」
『いらぬ。もう人間の食べ物はこりごりだ』
辛い返答が返ってきた。
そりゃ昨日の今日で嫌だよね。
人間怖いはずだよね。
じいやと約束したって説明したから、一緒にいてくれているんだろうな。
「お腹が空いたら何か食べるでしょうし、家に戻ってから色々用意しようと思います」
「料理長の腕の見せ所だな」
「料理長なら無理難題もお手のものですよ」
「ルチルで鍛えられているからな」
小さな笑いが起こったところで、朝食になった。
デザートに出たアイスを、ミルクは興味深そうに見ていた。
ヴァルアンデュ領ですることは、魔物を倒すことだけだったので昨日終わっている。
話し合いが必要だということは誰もが分かっていたので、朝食後、早々に帰ることになった。




