働け! 夢の中でも!
今日は変わった日だと、そう認識せざるを得なかった。
朝、出勤しているときの話だ。信じられないことに、私はロボットを見たのである。人型ロボットだ。ボディの表面は白くて滑らかで、その姿は自動車の衝突実験で使われるダミーを連想させた。
そんなダミーもどきが、朝の街を歩いていたのだ。歩いていただけならいい。なんとロボットは、通勤客で満員となった電車に乗り込んだのだ。しかも、つり革に掴まりながら新聞を読むおまけつき。その読みっぷりは堂に入っていて、私はしかめっ面でそれを眺めていた。
私は最初、これは夢だな、と思った。頬をつねったりした。でも、何度やっても痛いだけ。信じられないが、これは現実らしい。
事件を経て出社した私は、誰かに話したくてたまらなかった。とはいえ、仕事中に私語するわけにはいかない。私の欲求が満たされるのは、社員食堂で送る昼休みまで待たなければならなかった。
「ね。今朝、ロボットを見たんだ」
机を挟んで向かいに座る同僚は、私の唐突な切り出しに眉をひそめた。彼は生姜焼きをつつく手を止めて私をじろりと睨む。
「どんなやつだ?」
「ダミーがあるでしょ? シートベルトやエアバッグの試験で使うやつ。あんなの」
彼はああ、と声を漏らした。つまらなそうだ。この反応から察するに、彼はあのロボットを知っているようだ。
「知ってるの? 君って情報通?」
「お前の耳が遠いだけ」
同僚はニタリと笑んだ。この男は社内一の皮肉家で嫌われ者なのだ。彼とお喋りする人間は私くらいである。
「あれはな。夢ロボットって言うんだ」
「夢ロボット?」
「そうだ。睡眠時に特殊な機械を着けるとな。機械が脳波を電波で飛ばして、装着者の意識がロボットに入りこむらしい」
「特殊な無線操縦?」
彼は頷いた。
「でも、どうしてそんなのが造られたのかな?」
「政府絡みさ」
「政府? 大きな話になったね」
「日本人の睡眠時間が短すぎる、とWHOがお冠らしい。あと残業時間も長すぎるってな」
「あ。夢ロボットで残業させつつ、睡眠時間を確保しようって魂胆だ」
「正解」
「こわっ。残業なくせばいいのに」
「同感」
お偉いさんの真っ黒な発想に私たちは真っ青になったけれど、市井の夢ロボットへの反応は好意的であった。現場職の在宅勤務を実現した点が評価され、ロボットは一瞬で普及していった。
夢ロボットが世に出て半年経つと、通勤電車の風景は激変していた。いまや乗客の半分はロボットだ。深夜はもっと凄くて、乗客のほとんどがロボットである。
このままいけば、通勤が過去の概念になるだろう。人々がそう囁きはじめたころ、一つの問題が発生した。悪い経営者が、夢ロボットを用いた労働を認めず、給料の支払いを拒否したのだ。
曰く、夢ロボットのオペレーターは眠っているだけ。そんな人間に給料を払うのはおかしい、とのこと。
どうしようもない主張だけど、さらにどうしようもないのは、これに同調してしまう企業が次々と現れてしまったことだろう。
当然、オペレーターたちは怒り狂った。彼らはユニオンを頼り、徹底抗戦の構えを見せた。結果、真っ赤に塗られた夢ロボットのデモ行進が連日行われるようになったのだ。
ロボットの行進は不気味だったけれど、人間の適応能力は優秀だ。デモが頻発するようになって一週間もすれば、私は慣れてしまい、今ではすっかり日常風景となってしまった。
さて、デモが日常化したある日のことである。
朝の通勤電車で、私は妙な風景に出くわした。夢ロボットが一体も見当たらないのだ。そういえば、家から最寄り駅までの道中でも彼らの姿はなかった。
駅から会社までの道すがら、私は道行く人々を観察した。やはり夢ロボットとすれ違わない。
これはなにかあったはずだ。私のお喋り魂は刺激され、やはり昼休みにその欲求を解放させることとなった。無論、相手はニヒルな同僚である。ところは社員食堂。向かいに座る彼は豚汁定食と対峙していた。
「今朝ね。不思議な朝だったんだ」
「ロボットが居なかったから?」
私は面食らった。彼の発言は、私が言わんとしていたことだったからだ。彼はロボットが姿を消した理由を知っているらしい。
私の反応を受けてか、それともロボットが居なくなった理由が彼のお気に入りだったからか。同僚はニタリと笑んでいた。
「例の交渉が平行線なのはご存じ?」
私は頷いた。
「その交渉が決裂したんだ。かくしてオペレーターたちは最後の手段に出たってわけだ」
「スト?」
「そ」
私はストの光景を想像できなかった。首を傾げる。その姿が滑稽なのだろうか。または交渉が皮肉な末路を辿ったからか。彼は大笑いした。
「夢ロボットが布団を敷いて社内で寝るらしいんだ。逆にオペレーターは、経営者からの連絡待ちを兼ねた不眠抗議をするとか」
なるほど、寝る側と起きる側がひっくり返ってしまったのか。たしかに彼好みの皮肉な結末だ。これには私も唇をニタリと曲げざるを得なかった。