朝陽と夕(1) (夕視点)
別に、朝陽のことを雫に話さなかったのは、隠していたわけじゃない。話そうと思っていたけど、単純にタイミングを逃してしまった。そのうち、どんどん話づらくなっていって。。。
でも、購買のパンとコーヒー牛乳を片手にこっちを見つめる雫の目は、話を突っ込んで聞いていいのか、という不安そうな表情と、好奇心がないまぜになっていて、いつ話を切り出そうかと図っている様子が申し訳ないけど、どこか面白かった。
なんだか肩の力が抜けたような気がして、これら話す内容は、雫が仲の良い友達だったからこそ話しづらかったし、あんまり面白い話じゃないよ、と前置きをして、私はポツリ、ポツリ、と話し始めた。
学校での私は、まあ正直なところ、運動部の中心選手で、成績もそこそこよくって、男の子にも結構モテる。雫をはじめとして仲のいい友達にも恵まれた。いわゆるリア充、だと思う。でも、実はずっと小さなコンプレックスというか、後ろめたさ、みたいなものを感じながら去年一年間の生活を送っていた。
鶴見朝陽。同い年の、双子の弟。中学校まではとても仲が良く、一緒に陸上をやっていた。外向的な私に比べて、どこか一歩引いた所のある弟はそれでも、私から見てもまあ、いい男だと思う。空気も読めるし、ノリも悪くない。何より、とても優しい男だ。中学時代は、別に姉弟ということを隠していなかった。でも、それが変わってしまったのは、高校入学を一週間に控えた頃。
両親が経営するレストラン「カフェ&バー ツインズ」。双子の私たちから名付けられたこの店は、昼はブックカフェ、夜は生ビールが美味しいバーレストランとして運営している。ただ、中学時代に父が体調を崩し、頻繁に入院することになってしまった。勢い、母の時間もその看病に取られ、店の経営を縮小することになった。
私たちが生まれてすぐ始めたこの店を、畳むという選択肢はなかったようで、スタッフの数を減らしてでも存続させようとした。それでも、母の苦労は相当だったようで、随分と疲労が溜まっていたのか、以前はしていなかった晩酌の量も増えて行った。
そんな状況が慢性化し、何度目かの家族会議でのこと。
「夕、朝陽。お父さんな、長期入院することになった。これまで、騙し騙しやってきたが、しっかり治療を受けた方がいいっていうことになってな」
久しぶりに家で二週間程度過ごしていた父が、ポツリと口にだした。
その言葉を聞きながら、母が辛そうな顔をしている。しっかり聞いたわけではないが、おそらく、父の容体はあまり良くない。なんとなく、もう退院できないんだろうな、という確信のようなものがあった。
ここ数年は入退院を繰り返していたこともあり、私も朝陽も、ある程度、ついにきたか、という感じで受け止めていたと思う。
「お父さんは入院するが、お前たちの学費の心配はするな。天志高校さんは学費も安いし、お前たちがその後国立大に行って一人暮らしするくらいの蓄えはある。お母さんには辛い思いをさせてしまうが・・・夕、朝陽。協力してお母さんを助けてやってくれ」
なんだか、覚悟していたとはいえ、そんな今生の別れのようなセリフを聞いていると、思わず泣いてしまったのを覚えている。
しばらくして、私の涙が少し収まった頃。静寂を破るように、朝陽が口を開いた。
「わかった。父さん、頑張ってよ。ちゃんと、治してきて。僕らも、店のことも大丈夫だから」
何かを決意したかのような朝陽は、私と違って、涙を流していなかった。
その代わり、まっすぐに父の視線を受け止めていた。父は安心したのか、涙声で、何度も、すまない、良かった、と繰り返していたのが印象的だった。
母が父を病院に送り届けた日。私たち三人は病院の外のベンチで缶コーヒーを飲みながら話をした。
「あのね、お父さんは、頑張ってくれると思うの。あなたたち二人を置いてどこかに行ったりしない。私も、全力でお父さんを支える。どれだけ時間がかかってもね。でも、二人も覚悟はしておいてね」
その言葉を聞いて、お母さんも覚悟を決めているんだ、と思った。ただ、入院が長引くにつれてお金もかかるはず。お母さんも最近は過労気味なのに、店はどうするのか。そんな疑問が頭をよぎった。
「ねえ、母さん。父さんとも話したんだけど、僕、今年から店手伝うよ。未成年だから、深夜は手伝えないし、アルコールは扱えないけど、学校終わった後のカフェ部門だけならできるから」
その言葉を聞いた時、先日の朝陽の宣言は本気だったんだと今更ながらに感じた。
「朝陽、それは嬉しいけど、部活とかどうするの?せっかくの高校生活なんだし、やりたいことがあったらやってもいいのよ?ううん、お母さんとしては、あなたにやりたいことをやってほしい。お父さんだって、そうしてほしいと思うけど」
「いいんだ。飲食店の経営に興味があるのは本当だし、夕ほど陸上の才能があるわけでもないしね。何より、ツインズあっての家って感じがするから。父さんには、しっかり治して戻ってきてほしいしね」
その一言で、思うところがあったのだろう。母は涙を堪えるようにして顔を覆った。
「ありがとう、朝陽」
そんな絞り出すような声に続いて、本当に聞こえるか聞こえないか、という声量で紡がれた、「こんな情けない親でごめんね」というつぶやきが、やけに記憶に残っている。
私はと言えば、そんな弟の発言を聞いて、感動というよりは、衝撃を受けていた。
同じ年齢の、同じ境遇の弟が、私より随分としっかり考えていたことに。
「ねえ、朝陽。私も手伝おうか?」
「うーん、でも、夕は陸上続けるでしょ?」
「まあ・・・できれば、続けたいかな」
ちょうど、私は中学最後の大会で全国大会まで進むことができ、すでに天志高校の陸上部から入部の打診を受けている。天志高校は、トラック種目だけでなく、宣伝効果の高い駅伝にも力を入れるらしく、その主力として授業料のさらなる減額と合わせた勧誘を受けていた。
私の弟であり、中学時代に短距離で県大会までは進んだ朝陽も同時に誘われていたが、実力的な部分で見切りをつけたのかもしれない。
でもそれ以上に、私の希望や、チャンスを優先してくれたのだと思う。いつも、私のことを一番に考えてくれているのがわかる、朝陽らしい決断だったと思う。
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「え、鶴見くんめっちゃイケメンじゃん」
話を聞いた雫は、ちょっと感動した感じで、もう中身の入っていないコーヒー牛乳の紙パックをズルズル啜っている。
「まあ、うん、いいやつなのよ、朝陽って」
なんとなく、雫の興味は私の家族の話より、朝陽の人となりにうつっていたようだ。
「でもさ、それがどうして、後ろめたさ?につながるの?」
そう続きを促す雫に、それはね、と再び口を開く。
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そうやって、弟の優しさに甘えて始めた高校生活。私は、毎日朝練・夕練に参加し、順調に記録を伸ばしていった。春の新人戦では、3000メートルで地区優勝、いきなり学校記録となる自己ベストをマークした。夏の大会でも、県大会で優勝し、学年別では県ひと枠しかない全国大会の切符を手にした。母も朝陽も、自分のことのように喜んでくれた。
でも、全国では惨敗した。頑張ってきたつもりだった。中学最後のレースでは全国で15位と一歩入賞を逃した悔しさから、一層のトレーニングをしていた。同級生とのレースで、一年越しのリベンジだと思っていた。
しかし結果は48人中の41位。最後の一周のペースアップについていけず、気付いた時にはフォームが崩れ、最後のストレートで次々と抜かれていった。
そして、気付いた。レースの出場者の顔ぶれは、去年とは半分くらい入れ替わっていたことに。多分、中学までポテンシャルだけで勝ってきた選手に対して、名門校でトレーニングを始めた生徒が勝ち始めたのだ。
二年生からは、全国大会への出場枠が二人に増えるので、来年からも頑張っていけば全国には出続けられるはず。でも、このまま続けていって、入賞することができるのか。そのさきの表彰台なんて夢のまた夢なのではないか。
チームメイトや、クラスメイトはみんな全国出場を祝ってくれた。クラスでは私が全部の部活で唯一の全国出場者だったし、惨敗した後も心から労ってくれた。
でも、私の心はどうにも晴れなかった。
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