正規分布は偉大である、という話
「えー、みんな。これからテストを返しますが。ちゃんと最後まで話を聞くように」
木曜日のホームルーム。そう言い出した宮原先生のただならぬ様子に、教室の雰囲気が浮き足立つ。
いや、誤魔化すのはよそう。我らが2年7組は、朝一番に短髪コンタクトになった鶴見君の登場で、すでに浮き足立っていた。
鶴見君の優しい眼がよくわかるようになり、また表情も心なしか彩りを増したように感じる。髪を切るってすごい。
クラスの女の子たちは、小声で噂をし合う。みんな、鶴見君を気にしていて、話しかけようとウズウズしている。ただ、これまでとの変わりように、ちょっと声の掛け方がわからない感じ。
「鶴見君、おはよう!髪切ったんだね、カッコいいよ!」
そうやって、私が声をかけると、涼子や文香が寄ってきて、口々に感想を言う。この距離感は、まだまだ普通の友達というには遠いけど。一度喫茶店にお邪魔した、私だけのちょっと特別な感じがして、なんだか嬉しい。優越感、にも近いかもしれない。
一方で、男の子たちは割合鶴見君の変化に寛容なようだ。というのも、親友であるところの伏見君が
「やっと髪切ったのか!せっかくだし、頑張ってキープしろよ!3週に一回はいけよ!」
といきなり歓迎ムードでアドバイスをしたものだから、でも意外と頻繁に美容室行くのだるくね、とか、どの美容室が男子にも優しくて安いか、なんて情報交換の場になったのだ。
石間君だけはちょっと微妙な顔をしていたけど。
でも正直、伏見君のファインプレーだと思うし、鶴見君はいい親友を持ってるなと感じる。
私たちといえば、文香は「ぜひうちの美容院をご贔屓に!」なんて営業活動を始めるのを微笑ましく見守っていたのだ。
冒頭の、宮原先生がやってくるまでは。
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「えー。まずはいいニュースから。嬉しいことに、本クラスからは、実に5名が掲示板に入りました。なお、今回の掲載は38人です。奨励のため、名前呼んでくぞ」
そう言った先生の発言を聞いた時はまだ、私たちは冷静だった。5人ってことは、夕、委員長、文香、石間君に鶴見君だろうと見当がついたから。
「まず、35位、関。312点」
あれっ、と思う。これは、文香とよく一緒にいる私だから感じたこと。まず、いつもより順位が落ちている。生徒会に入ったばかりで、春休みも活動していたようだから、影響があるのだろうか。
そして、それ以上に。絶対的な点数が低い。上位9%くらいのはずなのに、6割。それだけ、難易度が高かったということか。涼子も、点数を聞いた文香も、ちょっと戸惑っているように見える。
「次。18位、播磨。384点」
播磨君は、ほぼほぼ定位置の10番台、点数もそこまで悪くない。つまり、ある程度できる人は点数をキープできたものの、中団以降が下に伸びているという状況なのか。
「鶴見夕。10位。402点。おめでとう、クラスで3番手だな」
その発表に、やっぱり鶴見さんすごい、とか、あんなに可愛くてスポーツもできて、勉強もできるなんて、とか呟く声が聞こえる。
でも、私は見ていた。夕の順位が分かった時、鶴見君がすっごく嬉しそうな、安心したような顔をしたこと。夕が、それを見てニヤニヤし始めたのには閉口するが。
夕が鶴見君を気にしているように。鶴見君も、すっごく夕のことを気にかけているし、大事にしている。学校で結果が出せていないと悩んでいた夕に気づいていたんだろう。結果が出たことに、自分のことのように破顔している。
髪を切った今、その笑顔の破壊力は格段に上がっているし、きっと今日のご飯には鶴見君が腕によりをかけたお祝いメニューが並ぶんだろうと想像すると、ちょっと妬けてくる。
でも、それ以上に、なんだか嬉しかった。
「えー、次、2番手は、石間!おめでとう。学年5位だ。409点」
「っっ!」
石間君が息を飲む声が聞こえる。
学年5位。すごい成績だ。でも、クラスでトップじゃない。
それが誰かといえば、可能性が一番高いのは鶴見君で、石間君もそれは分かっているはず。だからこそ、自分の成績に素直に喜べないのだろう。複雑そうな表情を浮かべている。
さらに言えば、学年5位とは言え、10番手の夕との差はわずかに7点。1科目あたり、2点にも満たない。されど7点、と言えばそれまでだけど。去年ずっと安泰の地位にあった石間君。今年大きく追い上げている夕。もしかしたら、ここの順位関係が逆転するのも、近いのかもしれない。
そんな風に、私が想像を働かせている間。石間君の反応を見て、少し空気が弛緩したのもあったのだと思う。
私たちは、端的に言って準備ができていなかった。
「そして、最後。鶴見朝陽。学年1位だ!やったな!頑張ったな!点数は圧倒的、479点だ」
宮原先生は、図書委員が似合うような真面目な男の先生だ。自分に似たタイプの鶴見君が結果を出したのが嬉しかったのか、ずいぶんとニコニコしている。
でも、生徒たちはそれどころじゃない。
・・・正直私も、一瞬、言葉を失った。鶴見君が一位なのはいい。なんとなく、テスト後の感じから調子が良さそうだってのは分かっていた。
問題は、点数。普通なら、430点ちょっとが相場のところ、479点。
一人だけ、立っている次元が違うのではないかという錯覚すら覚える点数だ。
そして何よりも。
「せ、先生!恥を忍んで聞きます!朝陽の点数の6割って幾つですか!」
「あー、そうだな。伏見、お前は3割以下だから気にしなくていいぞ。お前は赤点だ」
「ぐふっ」
伏見君と宮原先生の掛け合いに、ドッと沸くクラスも、次第に事態の異常さに気づき始め、不穏な空気が流れ始める。
「あー、つまり、だな。鶴見の点数に6割をかけた場合、287.4点となる。したがって、基準を定めるとするならば、288点になろうかと、そういうことだ」
歯切れ悪く伝える宮原先生の言葉に、みんなが少しずつ現実を認識し始める。
288点。学年35位の文香の点数から、わずか24点低いだけ。
「・・・それって、赤点、人数やばくね」
涼子がかすれた声を出す。
「100人以上、だよね」
私も、現状を認識しようとなんとか言葉を紡ぐ。でも、宮原先生の言葉はより残酷だった。
「職員会議の結果、いわゆる「赤点」に該当する生徒は、313人、およそ全学年の8割程度にのぼることがわかった」
そこからは、もう、阿鼻叫喚。
だってそうだろう。上位2ー3割くらいの、そこそこ頭もいいキャラ、みたいな人まで軒並み赤点なのだから。
そもそも、学年2位の人が426点だったらしく、結局のところ鶴見君が一人で50点以上の大差をつけて一位に躍り出てしまった。その結果、赤点基準が30点も上がってしまったのだ。
ただでさえ、従来の3科目集中方式に対する対策がなされたために、苦戦した生徒が多かった今回の試験。
鶴見君という、突然変異的な外れ値によって、場は混沌を極めていた。
「最後に!先日、この赤点の方式は今年いっぱいはこのままと伝えたが、それは遵守しないといけない方針となった。来年以降、トップの値ではなく、平均値を基準にするなど、見直しを行うため検討を進める予定だ。ただ、今年中の変更はないと思ってくれ」
宮原先生の口をついて出たのは、そんな諦めとも、投げやりとも取れる発言。
でも、それもそのはず。統計で伝家の宝刀のように利用される正規分布だって、普通に考慮する範囲では、全体の95か99%くらいしか表現しないのだ。学年400人のトップ、すなわち0.25%を基準にしたら、こんな不都合だって起きる。
なんで自称エリート学校なのに、こんな状況に陥るのか。
だから「自称」の文字が取れないのかもしれないけど。
私は、もうどうにでもなあれ!とやたらと明るい笑顔を貼り付けた伏見君の横顔を見ながら、どうやってこの辛い現実から逃れようかと思いを巡らせるのだった。
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