最低3冊
本を、小説を、読むって難しい。
そう思っている。
「何が?」と笑う人はいるだろう。
でも、ボクは思う。
難しい、と。
ボクが言っている“読む”とは、どーゆー意味の日本語が書いてあるか理解する意味での“読む”ではない。
何を込めて書かれているかを正しく感じる、受けとめるという意味での“読む”である。
これは、ホント、難しいのだ。
作者がどこか別の著作などで執筆の意図などを遺してくれていればいいが、そーでなければ、歴史を掘り返して仮説を立てる作業に似ている。
真相は闇の中。
ボクがなんとなく思うのは、『1冊につき最低3冊』。
◎対象の作品について言及している書評本。
◎対象の作品と、同じ作者の別作品。
◎対象の作品の作者の、小説ではないエッセイなどの作品。
◎対象の作品の作者の、伝記など。
この中から3冊。
目を通して、執筆の背景や書き手の人柄などに想いを馳せる。
それでも充分とは言えない。
それぐらい、本を読むというのは、語るのは難しいと思っている。
正直、緊張するのだ。
お気楽にモノが言えればと、どれだけ羨ましく思ってきただろう。
物語は明文化していることでできていると思えるなんて、どれだけ幸せなことだろうと思う。
しかし、物語がそーでないことは、本を読む人間なら誰もが知っていることだ。
考える。
見直す。
書く作業に劣らぬぐらい。
そーやって書いた書評、感想でも、怯えが心に残るのだ。
教養の無い感性オンチを晒していないだろうか、と。
気楽にモノが言えたらいいんだけどな……。
でも、自身も書く身として、書く苦労に想いを馳せてしまったら、クッ!と心臓が掴まれる。
傲慢。
傲慢。
傲慢。
憎むべきものだが、不安と共に生きるオッサンというのも、カッコ良いものではないな。




