日本の差別、世界の差別。
連載して早々に、こんなモメそうなことを書くのもどーかと自分でも思うんですが……。
少し前、昼間にアジアの某国の時代劇を視る機会に恵まれました。
お気に入りは『逆賊 民の英雄ホン・ギルドン』と『イニョプ』。
で、特に『イニョプ』。
そこで耳にした“ヌヒ”とか“リャンバン”とかの言葉は初めて聞く言葉で(いや、『ホン・ギルドン』にも出てきましたが、ピンと来てなかったんです)、その描かれように「うわぁぁ~」とドン引きしたりしてたんです。
物語にハマりながら(笑)。
いや、マジで頭がクラクラするぐらい理不尽ですよ。
もー、怖い怖い。
そしてね、黒人差別で黒人が奴隷として白人に扱われていた時代の、白人の意識も、こんな感じだったのかなぁと、ボンヤリ考えてたんです。
でね、ふと思ったこと。
日本にも差別の歴史はあった。
でも、世界的には珍しい形なのかもって。
基本的にボクには基礎的な教養が足りません。
だから、間違いがあったらごめんなさい。
ボクの知識の中での『日本型の差別』ってね、“排除型”なんです。
(呼称は伏せますが)士農工商の時代の、さらにその下に据えられた人々のことや、それ以前の時代の差別された人々のことがイメージの基です。
“見下し”“蔑み”“忌み嫌い”“畏れ”“追いやる”。
住む場所や就ける職業を限り、そこに追いやる。
または、排除する。
時には命を奪ってまでも。
これが、『日本型の差別』のイメージなんです。
もちろん、100%ではありません。
日本国内でも、歴史的に見て人身売買などはありましたから。
ただね?
“見下し”“蔑み”“忌み嫌い”“囚え(手元に置き)”“支配する(理不尽に働かせたり扱ったりする)”。
某国のヌヒや、白人社会での黒人奴隷みたいな状況がね、パッと思い浮かべられないんです。
具体例とか呼称とかがね。
で、世界の歴史的に見て“囚え”“支配する”型の差別の方が一般的なんですね。
「いやいやいやいや、じゃあ、大戦中に日本が諸外国で行ったことは?」
なんて反論も返ってきそうですが……。
ユーチューブなどでは、その実際に対する疑問視や、日本の選択の歴史的意味の捉え直しの記事も多く見られます。
もーちろん、全面的に信用するわけではないですし、ここで誰かから意見をいただいても、同調も反対もできるような知識はありません。
今回は、ただなんとなく思ったイメージについてのつぶやきなので。
ただね、この差は、意外といろんな部分に影響しているんじゃないかな?と思うんです。




