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第59話 猶予

 全ての命が来贅の手に握られているようだった。

 来贅を殺せば、来贅が手にした者の命も消える。生きるという事の全てが、来贅の生死で決まるなんて、来贅によって生かされていると言わざるを得ない息苦しさを、感じずにはいられなかった。


「言っておくが……心臓一つあれば助かると思うなよ」

 来贅は、丹敷の心臓に目を向けて、そう答えた。

「最終的に鼓動が止まれば、死となる……だが、それまでに他の臓器や血液……そこを患えばやがて辿り着くのがこの動きの停止……それを回避する為の手段に何を使えば、これは動きを維持出来るだろうか。薬も効かない、治療を続けても治る事はない。その(かん)に起こる苦痛を止める事は、より大きな苦痛を伴う。精神的な苦痛をな。いつ死ぬとも知れない恐怖と、痛みに耐える苦しみは、一時的な緩和で補えると思うか?」

「何が……言いたいんですか……?」

「一時的な緩和でしかないと知ったと同時に、先は短いと知る事になる。それで納得がいくか? 治らないものは、治らないんだよ」

「……!」

 治らないものは……治らない……。


 来贅の言葉に、綺流が言った言葉が脳裏を過った。


 『延命治療に合意的でない……そう言えばいいのではないのですか』


 綺流は……知っていた……?

 圭の中に、来贅がいる事を……。


「皆……本心はこう思っているんじゃないのか。全ての臓器を取り替えて、新たに作り直す事が出来たなら、苦痛に耐える治療も、いつ死ぬとも知れない恐怖も全て取り払えると。勿論……『器』はそのままで、な……」


 感覚が……麻痺してしまいそうだった。

 必要なものと不要なもの。

 全ての臓器を取り替えて、作り直す。

 ……器は……そのままで。

 誰かを生きさせる為に、誰かを犠牲にするという事。

 それは、優先順位をつける事。

 その人を……死なせたくないから。

 その人が……生きていて欲しいから。

 その人だけが。


「……だから……『順番待ち』は、終わりにしようか」

 そう呟きながら来贅は、丹敷の心臓を持つ手に力を込めた。

 貴桐さんの足が僅かに動く。

「言っている事が分からないのか、貴桐」

 貴桐さんだって、分かっていない訳じゃない。

 だから言葉を吐き出したくても吐き出せない。

 貴桐さんは口を開いたが、やはり言葉は吐き出せなかった。

 貴桐さんの後ろから聞こえた足音が、貴桐さんの肩をポンと叩く。

「……いいって言っただろ。もう十分だ」

 その声が貴桐さんの肩から手を離すと、来贅の方へと歩を進めた。

「……行くな……」

 苦しみを吐き出す貴桐さんの声に、振り向いて笑う。

「……丹敷……」

「それは言うなよ……貴桐。あれからこれまでの俺の時間……後悔だけになっちまうだろ。あの時だって……俺は、お前のその言葉に頷く事は出来なかったんだからな」


 後少し……せめてもう少し。

 生きる事が出来たなら、何が出来ただろう。

 そして後少し、もう少し。

 生きる事が出来たなら、悔いが残らなかったと言えるのだろう。

 思い残す事などないと言い切れる生き方なんて、そんな簡単に出来るものじゃない。

 与えられた猶予があるのなら、そこで足掻いて、それでもこれで良かったと……。

 誰がその死を喜ぶ事が出来るんだ……!


 丹敷の手が来贅の持つ心臓へと触れた。

 カッと光が弾けると、来贅の手から丹敷の心臓が消えていた。

 ふらりとよろめく丹敷を、貴桐さんが支える。

 丹敷が大きく咳き込むと、口から血が流れた。

「……丹敷……!」

「……死にたくないと……思っていた。だが……どうせ死ぬなら……最後の奇跡くらい……願ってみようかと思った……」

 僕は、貴桐さんと丹敷の会話を聞きながら、侯和さんの元に走った。


「侯和さんっ……!」

「ああ、急ぐぞ、一夜」

 僕は、侯和さんと共に、準備に入る。

「手伝います」

 咲耶さんが僕たちの動きに合わせて来てくれた。

「俺も手伝います」

「俺も行きます」

「等為さん、可鞍さん……お願いします」

 僕のやろうとしている事は、延命治療だ。

 それでも……!


 丹敷は、苦しそうな息遣いで、貴桐さんにこう伝えていた。


「……俺は……心臓を渡す相手を……間違ったんだ……」


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