第56話 犠牲
「……貴桐」
険しい顔を見せた来贅だったが、直ぐに表情を変え、クスリと笑った。
そして、呆れたかのように溜息をつくと軽く目を伏せ、腕を組んで貴桐さんに目線を戻した。
「……それで?」
それでって……。
大きな動きも見せず、余裕にも堂々とした構えで来贅はそう言った。
貴桐さんは、来贅に向けていた手を下ろした。
「……貴桐さん」
僕は、貴桐さんの表情を窺っていたが、貴桐さんは無表情で来贅を見ていた。
来贅は、纏わりつく光に抵抗も見せず、それどころか円の中を歩き始めた。
「……貴桐……無理だ……」
丹敷が貴桐さんの隣に立った。
「……黙ってろ」
「貴桐……」
丹敷の顔は、不安を見せている。
「忘れた訳じゃないだろう……? 丹敷……」
貴桐さんは、来贅を見たまま、丹敷へと呟いた。
「敵う敵わないの問題じゃないんだ。俺は……奪われたものを取り戻す……それだけの為に生きる事を選んだ。あの中に……全部持っていかれた。選ばれた者がそれを得られると……知識も……血も……内臓も……骨も、何もかも全て。骨を拾う事さえ出来なかった。報われないと嘆く声が聞こえる……いつもだ……!」
歯を噛み締める貴桐さんの後ろに、咲耶さんが立った。
「……行きます」
咲耶さんの後ろに、等為さんと可鞍さんがつく。
咲耶さんたちは、円の周りを囲むように立った。
頭を垂れる丹敷は、ギュッと手を握り、何やら考えているようだった。
丹敷は、首元に手を当てると、顔をあげた。
「……これを使え」
「……丹敷……お前……」
丹敷を振り向く貴桐さんは、少し驚いた顔をしていた。
丹敷は、首元に当てた手を、掴むようにギュッと握る。
蜘蛛の巣のような印が、丹敷の首元に浮かんだ。
「……お前……それは……お前を繋ぎ止める唯一の……」
丹敷は、貴桐さんの言葉に静かに笑うと、僕に目を向け、こう言った。
「俺の命……あんたにあげる」
『あなたが選んで下さい』
その選択は、僕は……分かっていた。
「ちゃんと使ってくれよ、貴桐。全部、拾ってやるからさ」
丹敷は、首元の蜘蛛の巣の印を掴んで、来贅へと投げた。
丹敷の首元から離れる蜘蛛の巣の印は、大きく広がって、来贅を覆うように落ちていく。
「丹敷っ……!」
貴桐さんの声が響いた。
「早くしろっ……! 貴桐っ……!」
「ふざけんなっ……! 丹敷っ……! バカヤロウ……!」
そう叫びながら貴桐さんは、ザッと地面を蹴り、文字を描くと、地面に手をついた。
ドンッと鈍い音が響いたと同時に、地面から風が吹き上がり、ふわりと浮かんだ蜘蛛の巣が、貴桐さんの放った風で、上から重圧を掛けた。
重みを増した蜘蛛の巣が、来贅目掛けて落ちていく。
咲耶さんたちは、貴桐さんの描いた円に手をつき、来贅に纏わりつく光を強めていた。
「……ああ。これは参ったな……」
来贅は、自分を切り刻むかのように落ちてくる蜘蛛の巣を、見上げながら呟いた。
ドオンッと大きな音と共に、地面を響かせて蜘蛛の巣が落ちる。
舞い上がった土埃、光が柱のように伸び、来贅を飲み込んだ。
その光の中から飛び散るように出てきた、いくつもの骨が地面にバラバラと落ちた。
バタッとした音に振り向くと、丹敷が倒れていた。
「丹敷っ……!」
丹敷に駆け寄る貴桐さんと咲耶さんたち。僕は、その姿を直視出来ず、目を逸らして俯いた。
「お前……なんで……ふざけんなよ……丹敷……」
「貴桐……俺は……いつだって……大真面目だよ」
「丹敷っ……!」
貴桐さんの悲痛な声に振り向く僕は、両手を握り締めた。
バラバラになった丹敷の体。
繋ぎ止めていたのは、丹敷の首元に浮かんだ蜘蛛の巣の印だったんだ……。
……僕は……。
僕は、丹敷の側に行くと、丹敷の体に手を触れる。
「…… 一夜……」
貴桐さんの声を聞きながら、僕は目を閉じ、丹敷の体を調べるように触れ続けた。
一通り確認すると、僕は目を開ける。
僕の頭の中に、一つの呪法が構築される。
僕の向かい側に、侯和さんが来た。
侯和さんは、僕を見ると頷いた。きっと僕が何をやろうとしているのか、同じ呪術医だ、分かったのだろう。
「探してきた。これを使え、一夜」
侯和さんは、形を模したものを、同じものとして機能させる呪法を持っている。
「……侯和さん……」
僕は、差し出されたものを、侯和さんからそっと受け取った。
「おい……お前たち……何を……」
貴桐さんがそう言うのも無理はない。
僕が侯和さんから受け取ったのは、丹敷の首元にあったのと同じ形の蜘蛛の巣だ。
それを侯和さんが、印として作り出した。
僕は、丹敷の首元にそれを置くと、丹敷の胸に手を置いた。
「……返します。あなたの命……頂けません」
僕は……。
「僕は、呪術医ですから」




