第54話 名
「あなたは……僕の名を知っていますか」
僕の問いに男は、僕を見ているだけだった。
この男……本当は気づいてる。
言葉が無いまま、間があいた。
「気づいたのか…… 一夜。やっぱり……無理なようだ」
貴桐さんは、僕を見るとそう呟き、長い溜息を漏らした。
「……はい」
貴桐さんの目が、男へと向く。
「最初から……そのつもりだったって訳じゃねえだろ……? 丹敷……俺の生死なんかお前以外どうでもいいと思ってる……? そんな訳ねえだろ……生きているなら、お前の手で殺しておきたかった? 他の誰かの手に掛かるよりは、お前にとっては弔いにもなるか? そうやって馬鹿を貫いていろよ」
「……やめろ」
「お前……見て見ぬ振りしたじゃねえか……こんな目立つ髪色の、見た顔に。ずっと俺の近くにいたんだぞ……目に入っていない訳ねえだろ……もういいよ、丹敷。それが逆にお前を追い詰める事になったんだ、つまらない情など俺はいらない」
貴桐さんの言葉に、丹敷という男は答えなかった。
『本当に……バレちまったかな……まあ……でも……いけるかな』
今思えば、少し迷っているような言葉でもあった。
貴桐さん……気づいていたんだ。
僕は、途中でその事に気づいた。
「まあいいや……お前にはお前の立場があるんだもんな……」
「やめろっ! 貴桐! やめろ……それ以上、余計な事を口にするな」
そう止めたとしても、誤魔化しは、もうきかない。
「……知っていますよ」
男の後ろの方から声がした。
「……主様」
丹敷がその名を口にすると、ゆっくりとした足取りであの時見た姿が現れた。
背が高く、髪の長い男……主様と呼ばれるその男は、僕の前に立つと笑みを見せた。
目の前でその姿をよく見ると、意外に若い。貴桐さんたちとそう年齢は変わらなそうだ。だが、それが余計に、この男の怪しさを深めた。
「どうだ……ニシ……お前は今、選択を迫られているぞ」
そう言いながら、丹敷を横目で見るその表情は、丹敷の反応を面白がっているようだった。
「いえ……俺は……」
「ふふ……やはり同胞……情でも湧いたか。私を納得させる材料には、不足が多過ぎる」
「主様……同胞などとは……」
恐る恐る口を開く、丹敷の顔は強張っていた。
見切られている……この男……明らかに恐怖を植え付けている。
「構わない。彼が言うように選ぶといい」
「……何故……ここにいらしたんですか……」
「何故?」
丹敷の問いが気に入らなかったのだろう。その言葉に即座に反応すると、横目で丹敷を睨んだ。
「私が信用するのは呪術そのものだけであって、術師ではない。私の疑念を払うなら、私の目の前でやって貰おうか。お前たちの得意な小細工は無しだ」
「……」
目を伏せ、無言になった丹敷だったが、その口元は歯を噛み締めているようで、悔しさが隠しきれないようだった。
貴桐さんは、そんな丹敷に目線を向け、小さく溜息を漏らした。きっと丹敷の思いが分かっているのだろう。貴桐さんの目は、切なげだった。
そして男は、その貴桐さんの様子を見て鼻で笑うと言葉を続ける。
「行嘉貴桐……残念だよ。飼い慣らされない犬は、可愛げがない。あの塔に集まった呪術師は、降伏した者たちばかりだ。お前もその一人じゃなかったのか。ふん……どう足掻こうが敵わないと知ったはずではなかったのか?」
貴桐さんは、男をじっと見たまま、答えなかった。
「まあいい。一族の無念を晴らす隙は見えたか? お前自身ではなく、お前のその隣にいる……彼のお陰で……?」
貴桐さんの目が、ピクリと動く。
「何故、私が主と呼ばれるか……分かるか。ふふ……生き続けるという執着が、呪術思考を固めたんだよ……」
「俺は……人体に特化する呪術に、何が使われているのかを知りたかった。それこそが邪術だろ……人の血肉を使い、一体……何百年生きている……? 来贅」
貴桐さんの言葉に、男は不敵な笑みを見せて答えた。
「人の命こそが私に返る。だから私が主なんだよ。ただの呪術師が敵うはずがない。それでもその姿勢は変えないか? お前がどれだけ足掻こうとも、私は死ぬという言葉を知らないからな……? 格の違いをまだ理解する気はないのか、貴桐……お前のような呪術師も面白いと思っていたが……今度は手加減などしないが……それは覚悟の上か?」
死ぬ事よりも生き続ける事の方が苦しいと、僕は……そう刻まれている。
この男……来贅とは真逆に。
「私が何も知らないとでも思っているのか、貴桐……お前が本当に欲しかったもの……流石に心臓までは差し出せなかったようだな」
「……黙れ」
「だが……お前の望む奇跡など……起こると思うか……?」
来贅は、僕に視線を向け、僕の胸元を指差し、クスリと笑った。
「ケイは……そこか」
来贅の言葉に、丹敷がギュッと目を閉じ、顔を伏せた仕草で、隠し切れなかったと伝わった。




