第53話 言
『先生』って……。僕を綺流だと思っているんだ。
この展開……どうすればいいの……?
「……貴桐さん……僕……」
「堂々としてろ。あいつ馬鹿だから、どうせ自分から勝手に話してくる」
……馬鹿って……はは……。
男をじっと見る僕だったが、男は一定の距離を置いたまま、それ以上近づいて来る事はなかった。
「この辺りは、俺たち中層階が見回っています。どうやらこの辺りに呪術医がいるようだと聞いて来たのですが、それが貴桐たちだったようで……」
……中層階……この辺りに呪術医がいる……僕の事か……。
「先生はご存知だったという事ですか。まあ、下層階だったとはいえ、塔から抜け出し、こんなところで呪術医まがいな事をしていた訳ですから、先生方も穏やかではありませんよね……」
……貴桐さんの言う通りだな……勝手に話してくるよ……。
言っちゃ悪いけど、これで中層階……?
どうせなら、聞いてみようか。
一度、扉を開けたんだ。隠し通す事は確かに難しいだろう。だけど随分と早く見つかったな……。
「あなた方は……誰から聞いて来たのですか」
僕は……聞かなければよかったと、後悔しているのだろうか。
それとも、僕のした事を後悔しているのだろうか。
男の言葉を聞く僕は、僕の形を狂わせた。
この感情に……気づいてはいけない。
そう思っていた。
「流行病の時に、そこで治療を受けたペイシェントがこの間、塔に来た時に言っていたんですよ。柯上の診療所が開いていたと……話す内容がまるで柯上が生きているかのように言うものですから、何か良からぬ呪術でもと思い、来てみたのですが……」
「はっ。俺がそう思わせる呪術を使ったと?」
「柯上が持っていた知識は全て塔の中だ。なのに何故、その知識がここで使われている? 貴桐……お前がその知識を持っていったんじゃないのか? …… 一体、何を企んでいる?」
「そう訊かれて答えるのは、お前みたいな奴くらいだよ」
……柯上が生きている……。
それはきっと圭の父親の事を言っているのだろう。
僕は、圭の父親から教わった医術を使ったんだから……。
だけど、それが塔で話されるなんて……。
流行病でここに来たペイシェントは、皆、この辺りの住人だった。
ここがどうしてそうなったのか、知らない人はいなかったはずなのに。
何故、黙っていてくれなかったんだと思う事も、辛かった。
何故、そんな話をしたんだと悔しく思う事が嫌だった。
否定すればする程、違うものが肯定されていく。
……こんな感情……知りたくない。
「ふん……貴桐……先生がいるからにはそうはいかない。ここで死ぬか……塔で死ぬか……死に場所を選ぶといい」
男の言葉に貴桐さんは呆れた顔をしていたが、僕は穏やかでいられなかった。
「……あなたも……他言しますか……?」
苛立ちを感じていた僕は、男を睨むように見ながら訊いた。
「先生……?」
僕は、男へと歩を進めた。
逆に男は後ろへと引く。
「ここで起きた事を……他言しますか?」
「どういう……意味ですか……?」
男の動揺は、隠せていなかった。
綺流の存在は、彼らにとって大きなものなのだろう。近づこうとすればする程、距離を作ろうとする。僕には近づけない。そして、僕には逆らえない。
「それは……貴桐の事を誰にも言うなと……? 主様にも……という事ですか……? だけどそれは……」
「あなたの忠誠心を試しているんです。待てと言えば……待てますか」
「それは……先生への……? それとも主様への……?」
「どちらでも結構です」
「え……?」
「あなたが選んで下さい……」
今、僕の中に綺流はいない。
僕は、他人に感情を支配されるはずはないと思っていた。
感情を揺さぶられる事はあっても、それでも他人の感情になる事なんてないと。
だから綺流と繋がっても、僕は僕でいられると、そう思っていた。
だけど……。
これは正しく僕の中にあるものだ。
「それがあなたの……死に場所になるでしょうから」
僕は……僕の中にあるものを。
知ってはいけない。
だって僕は。
死ぬ事より生き続ける事の方が苦しいと、刻まれているのだから。
「あなたは僕の名を……知っていますか」




