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第35話 冀

 それはまるで『彼』そのものだった。

 静かで落ち着いた態度も、ゆっくりと話すその口調も、僕は僕だと存在を確かめられても、その仕草は『彼』だ。


 「この先の部屋にいる方を……直ぐに解放して下さい。いいですね……?」


 僕の足が歩を踏み出す。

 塔の男たちが、分かりましたと頭を下げる中を擦り抜けた。

 ……ちょっと待ってよ……。

 勝手に体が動きだす。このままこの場を後にしてしまっていいのだろうか。

 本当に……解放してくれるのか……?

 『大丈夫です。ご心配なく』

 僕の中で彼の声がした。

 まだ……僕の中に……彼がいる。

 それに……彼が僕の中に入り込んだら……圭の心臓が静かになった。

 後ろを振り向きたかったが、それも出来ない。

 ……なんなの……これ……。

 男たちの姿が見えなくなった通路で、ようやく立ち止まる事の出来た僕は、疲労を感じ、壁に寄り掛かった。

 「……ねえ……どうしようっていうの……」

 壁に頭をつけて、溜息を漏らした。

 頭の中から声が返ってくる。

 『その格好で……お会いになるおつもりですか』

 「その格好って……あ……これ……」

 僕の今の服装の事か……。

 『圭だけではなく、君も塔に入ってしまったと思われても、弁解出来る言葉……持ち合わせているようには思えませんが』

 「……余計なお世話だ」

 何もかもを見通されている事は、気分がいいものではなかったが、彼の言う事に納得せざるを得ない自分がもどかしかった。

 『そうですね……そうかもしれません。ですが……どうせなら……見てみたいとは思いませんか』

 「……見る……?」

 『ええ。塔の中を……です』

 「塔の……中って……」

 確かにこんな機会はないだろう。

 だけど……。

 いつ何処で、彼が僕の中から抜け出して、僕が僕だけになったとしたら……。

 ああ……もう。

 僕はどっちなんだ。

 何処まで彼を信用していいのかも分からないし、だからといって、彼がいないとこの塔の中じゃ自由に動けるはずもない。

 あれだけのペイシェントがここを頼り、そして頼れるところはここにしかない。

 ここにしかないから、ここに来るしか方法はない……答えはそれだけだ。

 戻って来る者と戻って来ない者。

 治療と称し、ある程度の日数を塔の中で過ごす。その後、戻れた者は限られた者だけだ。

 この塔の中で、実際に行われている事を見てみたい。

 彼さえ裏切らなければ……確かに可能な事なのだろう。

 逆にこのまま彼を僕に縛りつけておく事は出来ないのか……?

 彼をうまく利用して……。

 だけど、彼を利用するといっても、利用されているのは僕の方じゃないか……?


 迷って答えの出せない僕の中で、彼がクスリと笑う声が静かに響く。

 「もう……どうせ僕の思っている事なんて、全部分かってるって言いたいんだろ?」

 思考なんて、止めようと思ったって、止められる訳ないじゃないか。

 勝手に読めばいい。

 そう開き直ったが、彼の言う事には中々返事が出来なかった。

 そんな僕に、彼の言葉が答えを決めさせる。


 『Fブロックに……圭がいますよ』


 「圭が?」

 Fブロックって……。

 声を掛けられた時に聞いた言葉が脳裏を過ぎった。


 圭と言われて直ぐに反応する僕に、また彼がクスリと笑う。

 『では、答えは決まりましたね……?』

 僕の足が歩を踏み出す。

 ……望む事……全て……思いのまま。

 その言葉が、僕の体に染み付いていくようだった。


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