第9話 奇跡
僕に似ている奴が、上階にいると彼は言った。
互いに目線を合わせたまま、少しの間があいた。
彼は、口元に笑みを見せると、ゆっくりと口を開く。
「まあ、そう言っても、そんなに会えはしないんだけどな。そう簡単に会える立場でもないしね」
「……そう……なんですか……」
「でもさ……」
彼は、立ち上がると、僕を横目に見ながらこう言った。
「会えるかもよ? もし……そこにないものがあったとしたら……ね?」
そこにないものがあったとしたらって……。
……この人……やっぱり……。
なんか……他の人とは違う気がする。
彼は、先へと向かい始める。
僕は、彼の後を追おうと、段差を乗り越えようとするが、直ぐに登れず、先行く彼を見失いそうになる。
「待って……待って下さい……!」
焦った僕は、彼を呼び止めた。
「なんだ……? 待ってもいいが、それなら早くしろ。時が過ぎちまうぞ」
「名前……あなたの名前を教えて下さい」
「俺の名前? ああ、コウって呼んでくれていい」
「コウ……さん……えっと……」
「ああ、苗字とか聞きたい訳?」
「いや……いえ……」
彼は、フッと笑みを見せて答える。
「苗字は塔に入る時に捨てた」
「……捨てたって……」
何か訳があるのは気づいた。彼は、その理由を隠す事なく僕に答える。
「俺が生まれ育った家は、呪術医の家系だ。それを持って中に入ったんだから、名乗れる訳ねえだろ」
そう言った彼は、笑っていた。
そして、こう言葉を続けた。
「動力がなくなったら……動力のある場所に行くしかねえんだよ。生きて行くという選択をするならな……」
彼が言った言葉を思い出した。
『生活の基盤が何処にあるかってな、労働力を求められる人間にあるんだよ。動ける奴が動くしかねえだろ。それがその家の動力になるんだよ』
「呪術医なんてな……その道を絶たれちまったら、もう他に進める道なんか見つからねえ。存続の形を変えるしか方法はなかったって訳だ。親父は反対していたけどな。だが、プライド抱えてたって、飯が食える訳じゃない」
「コウさん……あなたは……」
「僅かな力でも、ないよりはマシ。だけど通用しないものなら、持っていたって仕方がない。お前だって分かってるだろ? 人の生死は塔の中にあるようなものだ。それを小さな力で覆せると思うか? 新たに作り上げようと動き出すブリコルールは、誰にも認められる事のない個人主義者だ。だけど、その個人主義者が作り出したものの中に、そこにないものがあったとすれば……」
彼の真剣な目を真っ直ぐに受け止めた。
彼は、僕をじっと見つめながら、言葉の続きを答えた。
「奇跡って事なんだよ」
「……奇跡」
「ああ。目に見えない何かが動いてる……まあ、動かすと言った方が正しいな。個人主義者が信じている知識体系、それを明確に出来るのは本人だけだ。例えば、草や木、もちろん人もだが、それぞれに気が宿っていると信じ、その気を動かす……つまり、その気の正体は精霊」
「精霊って……」
誰もその存在を見た者はいない。呪術に於いて神秘的要素は当然あるが、それは自身の力だけと思っていた。だから、己の能力は己の中にしかないと……。
「もういいだろう、早く来い」
「……コウさん」
中々登れない僕に、彼は再度、手を差し伸べた。
「言っただろう。お前が信じるものは、お前が決めればいい。それに必要な事は、その場でお前が何を感じ取れるかだ」
その言葉に僕は頷くと、彼の手を掴んで上へと登った。




