III
「ハァ、ハァ、ハァ……。ダメよ、私――。」
私はアルマン魔王の朝餉であるソモンという鮭にそっくりな魚の丸焼きを受け取り、キッチンを出て食卓へと運ぶために廊下を歩いていた。
「何!? あの、人懐っこいベンガルネコは――――!! 『仲良くしようぜ!』って、私の腰の辺りに頭をスリスリと擦り付けてきて……ちょっとヤバいんですけどっ!」
私はすっかりとディディの虜になってしまっていた。
フワッフワでモフモフな美しいヒョウ柄をした金色の毛並みは言わずもがな、シュッとした小顔に映える毛色と同じ金色をした大きな目は野生的な眼差しの中にも愛嬌が感じられ、まるで光り輝く満月の様でいて私を魅了していた。
とてもキレイで可愛い猫との出会いにすっかりと浮かれ気分でいる私が食卓のあるダイニングに着くまでの間に、掃除をしていたのでたぶん使用人と思われる数人の猫とすれ違った。
だがどの子も私の姿が視界に入るや否や逃げる様にサッと私を避け、壁際を張り付くようにしてピュンと一目散に見えなくなる所まで走っていったのである。
しかもどの子もだいたいが近づいた途端に尻尾の毛をブワリと逆立てて太く膨らませて背を丸く屈め、目を合わせない様にと視線を外へと放ち、伏せた耳を私の動きを窺う様に少しこちらに向けており、その仕草は明らかにどれも私を警戒してのことだと読み取れたのだった。
「いつも行っていた猫カフェはフレンドリーな子ばっかりだったから別段気にしたことはなかったけど……、本来猫って警戒心の高い生き物だもんね。見慣れない私を見て警戒したり怖がったりするのは当たり前で……。あのディディエって子が特殊だっただけだし――――。」
大好きな猫に避けられたことに、私はちょっと寂しくなってしょげていた。
だからちょっぴり傷ついてしまっていた自分を慰めようと、ダイニングの扉の前で自分で自分を励ました。
――コンッコンッコンッ
「失礼します。」
自分で自分に「よしっ!」と気合を入れ、自分のやらなければならないことをしなければと落ち着きを取り戻し、ノックをして部屋の中へと入った。
「うむ。待っていたニャ!」
アルマン魔王は大きな椅子の上にチョコンと座り、人間とは足の構造が違う故かまるで小さな子供の様に足を前に投げ出していて、朝餉が用意されるのを楽しそうに待って体をゆらゆらとさせている姿がなんとも――――可愛い!!
「ん?」
可愛いなぁとアルマン魔王をジーと見つめていると、昨晩は可愛らしい喋る猫の姿を見て興奮していたのと部屋の中が薄暗かった所為で気が付かなかったとある事に私は気が付いた。
――尻尾が……2つ!?
一体…………?
そしてそれを不思議に思い、ちょっと考えているとふとあることを思い出した。
――猫又ってそういえば尻尾が2つあったよね……。
そうだ!
猫又だ!!
西洋ではケットシーとも言うんだっけ?
こんなファンタジーな世界なんだからただの猫なわけがないわよねぇ!
自分の中で出したその答えに得心がいった。
私の心を捉えて離さない不思議な魅力を持つアルマン様……。
『魔王』なんて地位に就いてはいるがその言葉から受けるイメージの様なものも感じられず…………そうか、そういうわけだったのかと一人頷いた。
そんな事を考えつつも、私はその姿や言動の可愛らしさに撫でたり抱き着きたいといった何とも言えぬ衝動が湧いてきて、それが私の体の奥の方をムズムズとさせてきた。
しかし今は食事の時間を邪魔してはダメだと我慢して必死に抑え、アルマン魔王の前にソモンの乗ったお皿をコトリと置いた。
「おぉ! 期待した通り、でっかいニャ~!」
目の前に置かれた皿からはみ出さんばかりのソモンの大きさにアルマン魔王はポンっと手を打ち、舌なめずりをしてキャッキャと喜んだ。
「ディーはやはり釣り名人だニャァ。」
「この魚、好きなの――ですか?」
「ニャア!」
私の問いかけにアルマン魔王は満面の笑みで答えた。
余程この魚が好きなのだろう。
後から食べる私も楽しみになった。
前世――地球に居る時には夢が叶っても、きっと家族の猫と同じ同じものを食べるというのは少し難しかったんじゃないかと思う。
人間の食べる物には猫にとって塩分がおおかったり、毒となるものが多いと聞いていた。
体の大きさも猫と人間じゃかなり違うし、どうしても同じようにはいかない。
加えて化学調味料だのなんだのと……スーパーで買う物は猫にとって害があるだろう物が多かったし、猫フードも人間が食べるのはNGだった。
『同じ釜の飯を食う』って言うのとは少し違うかもだけど、同じ食べ物を動物と分けて一緒に食べるという絵本の中にあった様な世界に幼い頃には憧れていた。
今は出会ったばかりで当たり前だが少しぎこちなくて距離もあり一緒に食卓を――とはいかないが、信頼関係が築けるぐらいすっごくすっごく仲良くなれたら、いずれ一緒にご飯を共にしたいなと幼い頃に抱いた気持ちを思い出したのだった。
「いっただっきま~す!」
そう言ってアルマン魔王は両手で魚の端と端を持ち、掴み上げるとガブリと豪快に魚の腹の部分にかぶりついた。
「うん、うん。この時季のソモンは脂ものって……。塩加減も絶妙で……。ンミャイ!」
上機嫌でソモンを食べ進めるアルマン魔王の姿に横で見ていた私は微笑ましい気持ちになり、無邪気に食べる姿が可愛すぎて胸がキュンとした。
でもそれは私だけではないようで……、雰囲気から察するに常にアルマン魔王の傍らに侍っているフレデリク宰相も、私とは理由は違えども微笑ましいと思っているんだろうなという私と同じ様な顔をしていた。
昨夜、講義を受けながら雑談として少し聞いただけの話だが、フレデリク宰相とアルマン魔王の繋がりは古く、幼少期から同じ家で兄弟の様に育ち、アルマン魔王も少し年上のフレデリク宰相のことを兄の様に慕っているのだそうだ。
なんでも母親同士が親友だったそうで、アルマン魔王を産んで間もなく死んでしまったアルマン魔王の母親に代わり、フレデリク宰相の母親が幼いアルマン魔王を引き取って育てられたのだとか……。
その為にフレデリク宰相がアルマン魔王に向けられる眼差しは優しく、その身を常に案じて心配し、言動は身分を越えて誰よりも温かな絆で接しているからなのだと感じられる。
――兄弟?
――親友?
何にしても、強い信頼関係で結ばれているという相手がいるのは幸せな事だ。
私もその一員になれればいいな、なんてことを思い描いた。
「おい、人間!」
「えっ? あっ……はい。」
私の目を見て呼んだので思わず返事をしたが、そういえばアルマン魔王にはまだ名前を名乗っていないってことに今更気が付いた。
「あの――ですね。名乗るのをすっかりと忘れていましたが、私は『ミク』って言うんです。『人間』ではなく今度からはそう呼んでもらえると……。」
「そうか……。ではミク。水を持ってきてもらえるか? ディーの所に行けばいつも通り用意していると思うから。今度からは食事と一緒に水も持ってきてくれ。」
「はいっ!」
私はアルマン魔王に言われるがまま、キッチンに居るであろうディディエの許へと向かった。
「おう!」
私が中へと入っていくと、ディディエは威勢よくこちらに話しかけてきた。
「えっと……お水を――――。」
「あぁ、そういえば忘れちまってたな。」
ディディエは魚を食べていた手を止めてハハッと笑い、しまったという顔をして舌をペロリと出した。
そして椅子から立ち上がると魚で汚れた自分の手をペロペロと舐めてキレイにし、クルリと後ろを向いてコップを一つ取って机の上に置いていた既に水の注がれた水差しと一緒に私に手渡した。
「ほらっ。」
「あっ、ありがとう――。ソモン、食べていたの?」
「ん? うん。今日はミクが魔王様の所に朝餉を運んでくれて少し時間があるからさ。いつもはもうちっと忙しいから後になっちまうけど――。俺たち三獣士は魔王様の朝餉をその食材から用意する為に朝早くから起きなきゃでな――。」
私に喋りながら、ディディエは大きな欠伸をした。
可愛い――――。
口の中から立派な牙が見えはしたが怖いという気も起きず、欠伸をしたというだけなのに私はただただ可愛いとしか思えなかった。
見慣れていたあの猫よりもだいぶ大きいのに、猫の欠伸って何でこんなにも可愛らしいんだろう……。
人間と違って小さな歯がギュッと並ぶ前歯も噛まれたら痛そうだなと思われる尖った牙も、どれもこれも愛おしくて――見てるとハムハムと甘噛みされたくなっちゃう!
「それで腹は減るわ眠いしで……。っていうか、俺とこんな所で話していていいのか?」
「あっ! 行ってきます。」
「おうっ! ちゃんとミクの分のソモンも残しておくからさっさと済ませてこい。」
「は~い。」
私はそう返事をすると、コップと水差しをもってバタバタとアルマン魔王の許へと向かった。
「遅い!」
「ご、ごめんなさい! ついディディエさんと話しこんじゃって……。」
「ディーともう仲良く……。まぁ、あの者は本能的に即座に安全な者を見抜くのか、昔から警戒心が薄い時があるからなぁ――――。」
アルマン魔王はやれやれといった雰囲気で柔らかな笑みを浮かべて鼻でフッと笑い、しょうがない奴だと自分の額に手を置いた。
そうして私が持ってきたばかりの水をゴクゴクと美味しそうに飲むとフ~っと一息吐き、自分のお腹を撫でた。
「お腹いっぱいニャ。――フレデリク。」
「はい、はい。分かってます。分かってますよ。」
フレデリクは自分の名前を呼ばれただけで何を言っているのかをすぐに察し、返事を返していた。
おそらくは『いつものこと』――――なのだろう。
アルマン魔王はフレデリク宰相の返事を聞くと椅子からサッと降り、続き間となっている隣の部屋に行って大きなソファの真ん中にダイブするが如くゴロンと横になった。
「ミクは――朝餉でも済ませてまいれ。暫しの食休みニャ。」
私はそう言われてディディエが待っているであろうキッチンへと戻った。
「お帰り。」
「た、ただいまっ。」
ディディエはキッチンにある机の上に私の分のソモンを取り分けて用意してくれていた。
「ミクの分の魚はここに用意しておいたぜっ。」
「ありがとう。」
「じゃあ俺は――。」
丸焼きをしたソモンを数匹持ち、ディディエは椅子から立ち上がってどこかへ行こうとした。
「ん? どこかへ行くの?」
「ああ、仲間にこれを持って言ってやるのさ。」
「仲間? ――ってことはもしかして、三獣士のあと二人にってこと?」
「当たり! 初日は何かと忙しいと思うけどさ、後で時間がある時にでも、俺が二人を紹介してやるよ。」
陽気なディディエは私にニコリと笑い、パッチンとウィンクをしてきた。
――オウッフ!!
それは――――鼻血が出ちゃいそうな程に茶目っ気のある可愛さで、私の心にズキュンと気持ちの良い衝撃を与えた。
危ない……。
最初に召喚された時、会ってすぐにアルマン魔王にやらかしてしまっているので、アルマン魔王だけに止まらず他の子にも嫌われたり引かれたりしない為に自制しなければと必死に落ち着こうと心の中で「5、4、3……」と数を数えた。
「そういえばその二人の朝餉って……それだけ?」
落ち着きを取り戻し、私は少し俯いていた顔を上げ、何気に視界に入ってきたディディエが持っている皿の上の魚に目が行き、その魚の数に「あれっ?」と気になった。
「まっさかぁ!」
ディディエは思いもよらない事を言われたといった感じでビックリした面持ちになり、その後にアッハッハッと大笑いしだした。
「魔王様の朝餉の当番の日じゃない日は、メシは各自自由に食うのさ。でもこれはまぁ――今日は結構釣れたし、あの二人も好きだからお裾分けってことだ。」
ディディエはニッと悪戯っぽく歯を見せて笑った。
「へ~ぇ。そうなんだ~!」
「おうっ! 魔王様も宰相様も、俺たち三獣士も故郷は同じだからな。それもあってかソモンが大好きなのは皆一緒なんだ! まぁ、魔王様のあの地位に就かれて俺たち四人も一緒に城にあがって。この都会に出てきてから色んな珍しい物もあれもこれもと食ったからな~。俺なんかは今もソモンが一番ってわけではないんだけどな。それでも結構好きだぜっ!」
「そっかぁ――。」
ディディエの話に、この五人の故郷が同じなのだと初めて知った。
「あっ――――と。じゃあ行ってくるな。」
そう言って走り去るディディエの後ろ姿を見ながら、私の分だと置かれているソモンに手を伸ばし、嚙り付いた。
「味も……見た目だけじゃなく――鮭だ!」