富山城攻防戦顛末(上)
一話で終わらせる予定が思いのほか長くなったので分割になりました。
十月二日 長岡城
武将たちに命じて上杉領からの年貢の徴収を行わせている間、城を守っている俺の元には織田家からの使者が来た。しかも今回はただの兵士ではなく以前交流があった佐々平左衛門であった。
城内に通された平左衛門は周囲を見回しては感心しながら俺の元へやってくる。案外、俺が城を築いたと知ってそれを見るためにやってきたのかもしれない。
「新発田殿、お久しぶりでござる。しかしつい先日信濃川に辿り着いたと聞いたのにこのような城を築くとはなかなかですな」
「何の、先日見せてもらった織田家の真似事に過ぎない」
織田家の武将相手だと俺もあまり大口を叩くことは出来ない。
「いえいえ、しかしこのように立派な城であればこの地を平定した暁にはそのまま統治にも使えるのではないでしょうか?」
「そうだな。与板城は堅城ではあるが山城。戦争がないならば平城の方が内政にはいいだろう」
言うまでもなく領民の多くは平野部に住んでいるので、年貢を持ってこさせるにもこちらから領内を視察にいくのも兵士を集めるのも山城だといちいち距離が遠い。
「しかし本日はなぜわざわざ佐々殿が?」
「はい、実は先だって富山城が開城しまして、越中状勢の報告と今後の対応について話しておこうと」
「それはわざわざ済まない。しかしついに落ちたか……」
織田軍が越中になだれ込んだ時から城将河田長親は小城の防御を諦め、越中の大多数の兵と食糧を富山城に集めていた。当時景勝は俺との決戦を行おうとしていたから富山城で時間を稼ぐことで、救援に来た景勝と織田軍を挟撃するつもりだったのだろう。
「はい、敵軍も乾坤一擲の覚悟で臨んでいただけに大変でした……」
そう言って平左衛門は物見の偵察や降伏した敵兵の証言などを繋ぎ合わせた富山城攻防戦の顛末を語り始めた。
三月上旬 富山城
「ついに織田軍がやってきたか」
最初に城を囲んだのは佐々成政を初めとする織田軍一万余。残りの兵力は越中の西部や南部の城を攻略するため散っているという。しかしこの時の長親はまだ余裕があった。
「一万程度で落とせると思ったとは舐められたものだな」
すぐに熾烈な城攻めが始まったが、城内からの猛烈な矢の雨に織田軍の死傷者は増えるばかりだった。数日間城攻めを行ったものの、そのたびに織田軍は這う這うの体で退いていくのだった。
「天下の織田軍も大したことはないな。後は景勝様が新発田を破って救援に来てくださればいいのだが……」
が、ここから長親の希望的観測は崩れ始める。すぐに景勝が新発田攻めに失敗して大敗したとの知らせがもたらされる。また、佐々成政は力攻めを諦めて周囲に砦や櫓を築くなど長期戦の構えに出た。砦などが築かれてしまえば救援も容易ではなくなる。
「討って出て妨害しましょうか?」
山本寺孝長が尋ねる。
とはいえ、新発田攻めに負けたとはいえ景勝は救援に来るだろう。その時までに余力を残しておかなければ。
「大丈夫だ、景勝様は必ず救援に来る。それまで英気を養っておくように」
三月下旬
「何だと!? それはまことか?」
長親は知らせを聞いて耳を疑った。
新発田攻めから兵を立て直した景勝は休む間もなく越中へ出陣し、松倉城に入った。そしてそのまま富山城を目指して進んだが、越中南部にいた佐久間盛政の軍勢が勝家の援軍をもらい、景勝の救援を阻止するために野戦を仕掛けた。城を包囲していた成政も軍勢の一部を盛政の応援に派遣し、一万八千ほどの兵力に膨れ上がった盛政の軍勢は純粋な兵力差により、七千ほどの上杉軍を撃破した。
「はい、景勝様は松倉城へ退却されました」
そう言って使者がうなだれる。
「かくなる上は我らもただ城に籠っているだけという訳にもいきますまい。討って出ましょう」
孝長が進言する。
「そうだな、今なら包囲軍も佐久間軍に合流して減っているはず。それに戦勝で油断しているかもしれぬ。よし、討って出るぞ」
長親はすぐに決意した。援軍のない籠城戦に価値はない。すぐに兵士たちに松明や合言葉の準備をさせる。
その夜、戦勝に浮かれる織田軍に夜襲をかけた長親と孝長は織田軍を散々に打ち破り、さらに兵糧や矢弾を奪うことにも成功した。
「これでしばらくは士気も物資も持つだろうが……」
長親は無言で東の方、松倉城の方を眺めるのだった。
四月上旬
先日の夜戦による敗北が堪えたのか、織田軍は包囲しているにも関わらず城に向けて柵を作り、監視を強めた。これでは討って出ることも叶わないが、攻めるのも柵を一度どけなければ叶わない。
「これが織田家の戦か……」
これまで経験してきた北陸や関東での戦との違いに長親は密かに戦慄した。
「ふん、自ら柵を作って力攻めを封じるとは織田兵も愚かだな」
とはいえ兵士に動揺を与えてはいけない。そう考えた長親は表向きは堂々と振る舞うのだった。
五月
打てる手もなくなった長親は仕方なく、城兵の士気を落とさぬように相撲大会などを催していた。城を守る方法ではなく兵士の士気を保つ方法ばかりを考えなければならないとは皮肉なものである。もっとも、織田軍が全く力攻めに出ないのも原因ではあったが。
そうこうしているうちにさらに状況は悪化していく。越中西部を平定した柴田勝家の軍勢が包囲を代わり、成政の軍勢も越中東部へ向かった。これでますます援軍が来る可能性は下がったことになる。それでも物資だけは残っているのが救いであった。
七月
揚北でついに新発田軍が上杉領に攻め込んだという報が入った。蟻も漏らさぬ包囲網が敷かれているのに使者が入ってくるということは、こちらの士気を折るためにわざと通したのかもしれない。これまで積極的に上杉領に攻め込んでくることのなかった新発田軍の動きは不気味であった。
が、何にせよ長親に出来ることは景勝がこの城を救援してくれるのを待つだけである。長親はひたすら東の方角に祈りを捧げた。
八月
上杉家と織田家の和議が破綻したという知らせが入って来た。それはそうだろう、和議が結べるのであればそもそもこんなことにはなっていない。景勝軍がどこかで戦ってはいるのだろうが、全く戦況は伝わってこない。しかし城の周辺に現れないこと、和議を結ぼうとする程度には追い詰められていることだけは確かであった。




