コシヒカリと鉄砲
安田城を落とした俺は背後への不安がなくなったため、新発田城に帰還した。蘆名に関しては色部家と本庄家でどうにかしてくれるだろう。今後本庄家は出羽に、色部家は蘆名領に攻め込むことになれば領地の拡張の余地は残るため、俺たちは互いに争わなくて済む。
十月二十一日 新潟
戦争のせいで先延ばしになっていたが、すっかり収穫も終わり領内のコシヒカリが陸路や阿賀野川を通じて港に集められてくる。今回は三回目の収穫というだけあって、農家で栽培する分を残しても、交易用にかなりの量を集めることが出来た。コシヒカリ以外の米も同時に運ばれてくるため、すでに倉庫ははちきれんばかりになっている。
「これならさっさとコシヒカリは売りに出さないといけないな」
「はい、しかし本当に織田家はそのような値段で買ってくれるのでしょうか?」
俺の隣にいた酒井権兵衛が疑問を呈する。
「確かに味は非常に良いですが、通常の五倍ほどの値段と聞き及んでおりますが」
「多少割高でも、最初にまとまった量を買ってしまえば後で領地でいくらでも増産することが出来るからな。栽培方法なども合わせて売ることになっているし。それに、織田殿は金は余るほどあるのだろう」
「そうでしたか。我らには想像のつかない世界ですなあ」
謙信時代は他国への度重なる出兵、今は内乱に継ぐ内乱で戦争が続く越後では米というのは食糧もしくは補給物資としてしか見られていない。どんなにおいしい米があっても越後内で五倍の金銭を払う者はいないだろう。一食、二食ぐらいの量なら別かもしれないが。
「そうだな。しかしこれからはそのような時代になるだろう」
歴史の流れを知っている俺がまるで先見の明があるかのように言うと権兵衛はしきりに感心していた。
「ところで酒田湊との取引はその後どうだ?」
思えば昨年最初に酒田を手に入れてからあっという間に一年以上も経ってしまっている。酒田は主に十三湊からやってくる昆布やにしんといった蝦夷地の産物を新潟に売る中継港として栄えている。すでに無税の期間も終わり、税収も増えている。しかし税収のうちいくらかは造船などの投資に回しているため、俺の懐がすごい潤っているという訳ではない。
「はい、蝦夷地の産物も順調にこちらに集まっております。かなり先行投資になってしまっている物もあるのでようやく売りにいくことが出来てほっとしております」
ともあれ、そのおかげで新潟港にも蝦夷地の産物が山積みされている。これらは上方ではまず見かけない産物であるため高く売れるだろうと言われていたが、上方まで航海することはなかなか出来ない。そこでコシヒカリを大量に輸出するタイミングに合わせて船団を組み、まとめて輸出することにしていた。そのため、これらの産物を買うのに投資したお金はまだ回収出来ていない。
ちなみに七尾港はすでに織田方の手に落ちていたが、北陸はそこまで栄えていない上に、金沢付近では尾山御坊の戦いがあったばかりでこれらの産物を買うような雰囲気ではなかった。そのため、新潟港を出た船は富山や七尾に停泊しつつ、能登半島をぐるりと回って若狭の敦賀港にまでたどり着く。そこで現地の商人に荷を渡し、商人たちは琵琶湖まで陸路で輸送を行い、そこからは水運を利用して信長のおひざ元である安土や京、経済の中心である堺などにそれらの物を売りにいくという訳である。
敦賀で商品を売った帰りに彼らはそこで商人たちから上方の織物や南蛮渡来の物産などを買って帰り、さらにそれを七尾、富山、新潟と各所で少しずつ売っていく。ただ、俺があえてコシヒカリをいったん自分で買い上げて俺が売るという形にしたのかというと、畿内にたくさんあるもので欲しいものがあったからだ。
そう、鉄砲である。基本的に謙信以来の越後兵は精強で白兵戦は最強であったが、すでに戦国時代も終盤に差し掛かっている。似たような装備の越後衆と戦っている間はこのままでもいいが、もし他国の軍勢と戦うことになれば鉄砲がないと話にならない。
「ところで上方のもので欲しいものは出そろったか?」
「はい」
そう言って権兵衛が一枚の紙を差し出す。そこには京の絹織物から硝子の工芸品、鉄砲用の硫黄まで様々なものが書かれている。俺は俺で鉄砲を買うが、商人たちが自分たちで鉄砲を買ってさらに俺に売りつけるのもまた自由である。
「ではこれを織田殿に打診してみよう」
俺はこれから敦賀湊にコシヒカリと蝦夷地の産物を中心とした積荷を載せた船を出すこと、到着予定日はこれぐらいになりそうということ、そして出来れば指定した品物を持つ商人を待機させて欲しいことなどを記した文を送った。送ったと言っても越前にいる佐々成政を経由するのでこれはこれで送るのが大変であるが。
ちなみにその織田軍であるが、このころちょうど一向一揆が支配し百姓の持ちたる国と言われた加賀国の一揆の中心である尾山御坊を落とした。景勝は越中の神保長住の家臣、小島職鎮を内応させて長住を加賀に追い払うなど戦いを有利に進めていたが、景勝の勢力圏が西に進んだということは織田との決戦が迫っているということでもある。




