戦後
その後俺たちは城主を失った水原城を攻撃した。援軍も望めず、兵士の大部分も離散した状態で戦えるはずもなく、水原城は呆気なく落城した。
さらに俺は勢いに乗って蓼沼友重が守る木場城を包囲した。負傷した兵士や水原城の守りなどに留守居を残したため、兵力は二千ほど。蓼沼友重も水原城の敗兵などを集めて必死で立てこもっている。勝ったとはいえ、こちらの兵も雨やぬかるみの中での戦闘で疲弊しているため、とりあえず包囲のみに留めた。
このまま力攻めを行うか、諦めて撤退するかはまた落ち着いて考えるか。ひとまず陣を敷いた俺は本陣に家臣たちを集める。
「その後揚北衆はどうなったんだ?」
「それが、様子を見ていた色部・中条・黒川らも鮎川領に攻め込んだとのことです」
高橋掃部助が答える。
「そうか」
鮎川家は表立ってはいないが、本庄家と敵対するために俺に味方していた。だから鮎川を攻めても一応上杉家に対する敵対行為にはならない。しかも一度本庄家が鮎川家を破っているため、与しやすしと踏んだのだろう。
「鮎川殿には悪いが、どうしようもないな」
一応味方してくれたのに悪いという気持ちはあるが、日和見の揚北衆を刺激して敵対したくはない。それに彼らも恩賞に飢えているのだろうから、勝手に鮎川領を奪おうとしているのではないか。
「はい。こちらに攻めてこないだけましと言えるでしょう」
「次に栃尾城はどうなっている?」
「はい、蘆名家から兵を借りた本庄秀綱殿は栃尾城を攻撃したのですが、どうも占拠したようです。ただ、先日の戦いで無事撤退した直江兼続が討伐に向かっているとのことです」
「そうか、一応落としてはいるのか」
少ない上に借り物の兵力で奇襲を成功させたのは見事である。兵力は少ないだろうが、復帰前のように粘ることは出来るだろうか。
「景勝本隊はその後どうしている?」
「兼続の後詰に向かっているとのことです」
「それならば問題はないか」
その後一日の間だけ、城への見張りのみ交代で立てて兵を休めた。
翌日、兵を休めた俺は木場城に総攻撃をかけた。城兵も懸命に応戦したものの、放生橋での敗北はやはり尾を引いていたのだろう、奮戦及ばず城門が破れ、城は落ち、蓼沼友重は城に火を放って逃走した。
「さて、勝ったはいいもののどうしたものだろうか」
領地が増えたのは嬉しいことだが、この領地を守りつつ内政も行わなければならない。最悪新しい土地は放置してもいいのかもしれないが。
「掃部助、おぬしは五百の兵を率いてこの城を守れ」
「しかし、五百では上杉が攻めてこれば守り切るのは難しいですが」
木場城はさして要害というほではない。その上、蓼沼友重が火をつけてから撤退したため城内もぼろぼろで、とても防御出来る状況ではない。
「構わない、敵わぬと判断して、もし俺も援軍を送れなければ新潟までは撤退しても良い。ただ、兵を退くときは城門などを破壊してから退いて欲しい」
「はい、かしこまりました」
上杉軍が攻めてきて城を奪還しても、新潟や新発田で迎え撃ち、今回のように本隊を破ればまた奪い返す機会はあるだろう。そのような主戦場を俺の領地ではなく遠くにしたかった。
「俺は今から残りの兵を率いて三条城に入る」
三条城は実は新発田領からは孤立しており、今回落とした木場城や水原城ともそんなに近くはない。今回は新潟を落とした勢いで新発田を攻めようと思っていたのか、孤立している三条城が無視されたため助かったが、もし攻められていたら落ちていたかもしれない。そのため、もし景勝が攻めて来なければ城の補修をしようと思っていた。
むしろどちらかというと、三条城は本庄秀綱が現在戦っていると言われる栃尾城の方が近かった。もし秀綱が落ちそうになれば適度に援護することも出来る。しかし蘆名が俺の味方とはいえ、秀綱が先日まで敵対していた俺をどう思っているかは不明だったが。
名実ともに独立を果たしました。
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