放生橋の戦い Ⅱ
「これではどうにもならないな。とりあえず橋を渡った者に伝えよ、こちらのことは気にせずさっさと逃げよ、とな」
景勝は味方の混乱具合を見て嘆息した。
「上野宗秀殿、討ち死に!」
「安田能元殿、負傷!」
こうしている間にも刻々と戦況は悪化していく。
「景持、わしが殿軍を引き受ける。その隙に撤退せよ!」
「しかし殿に万一のことがあっては……」
甘粕景持は逡巡した。それでなくても味方は混乱しており、混戦の中討ち死にしてしまう可能性がある。
「これは主命だ。お主は残った兵を一兵でも多く無事に撤退させよ。栃尾城の救援後、神保も討たねばならないのだ」
「かしこまりました……落ち着け皆の者! 橋は狭い、順番に渡れ!」
景持が逃亡する兵士の整理に向かったのを見た景勝は橋とは逆方向に馬を進めた。そして雨の中乱戦を繰り広げる兵士たちに高らかに宣言する。
「わしが上杉景勝だ。わしの首が欲しい者はかかって参れ!」
「何だと!?」
その声に新発田勢は敏感に反応する。景勝の首をとればおそらくもう上杉家が攻めて来ることはないし、後々まで手柄が語り継がれることは間違いない。さらに上杉家が瓦解すれば恩賞は思いのままだろう。
突如として景勝の周りに兵士が群がってくる。
「うぬらごときでわしの相手が務まると思うてか」
景勝は馬を止めて槍を振るう。豪雨は撤退の足かせにはなったが、遠くから矢や鉄砲で狙われることはないだろう。ただの白兵戦であればただの雑兵に負けるつもりはない。橋を渡れなかった上杉兵も景勝が一人槍を振るっているのを見て集まってくる。
景勝が槍を振るうたびに兵士たちは薙ぎ払われていく。思えば陣頭に立って槍を振るった経験などついぞなかったが、意外と悪くない。
(いっそ重家が出てこれば決着をつけてやるのだが)
景勝はそんなことすら考えていた。
「殿、上杉軍、景勝がじかに殿軍を務めて持ち直しつつあります」
「そうか」
御館の乱では何度か共に戦ったことがあったが、そのときは陣頭に立って槍を振るっているのは見たことがなかった。当然と言えば当然なのだが、景勝と対面したときは何となく武勇の方もなかなかなのではないかと感じた。やはりそれは間違いではなかったようだ。
「まあそれなら好都合だな。長期戦になるかと思ったがここで決着をつけてくれる」
「殿、これは勝ち戦です! もしここで殿が突出して万一のことがあっては」
矢五郎が必死に俺を止めようとする。だがここで怖気づく訳にはいかない。そもそも万一のことを恐れるぐらいなら反乱を起こすことはない。というか、俺は最悪死んでも信宗が跡を継ぐのだろうが、景勝は死んだらどうするつもりなんだ。一族は大体御館の乱で死んだから跡を継げる者がいないんだが。……あれ? そう考えると景勝はさっさと退くべきじゃないか?
俺は一瞬躊躇した。ここで景勝を討ってしまえば上杉家はこの世から消滅するかもしれない。そうなれば織田家が怒涛の勢いで越後へ侵入してくるだろう。俺は上杉家と戦う上で利用価値があるから勧誘されたが、上杉家が消滅すれば織田家は俺をどうするだろうか。いや、今ならまだ上杉が滅びても武田も北条もいる。大体今は戦国の世だ。相手の心配などしていられるか。景勝が死んだらどこかから養子でも迎えればいい。
「いや、ここで景勝を追撃するつもりがない者は独立などせず一生誰かの靴でも舐めていればいいのだ」
俺は刀を抜いて立ち上がる。
「全軍追撃! 目指すは景勝の首!」
「おおお!」
降りしきる雨の中、戦闘が一番熾烈になっている場所を目指す。そこには紫糸縅伊予札五枚胴具足を身に着け、縦横無尽に槍を振るう景勝の姿があった。その周りには斎藤朝信や竹俣慶綱、上条政繁らが集まり必死に景勝を守ろうとしている。
「景勝だ! 囲んで討ち取れ!」
「何としてでも殿だけは守るのだ!」
「裏切り者の槍など受けるか!」
「恩賞もまともに出せぬ主君になどついていけるか!」
ここまで新発田軍は追撃で勝利を収めてきたが、今ここに残っているのは景勝を守ろうとしている上杉の精鋭である。これまで通りにはいかなかった。景勝自身も槍を振るい、囲もうとする兵を打ち払う。そんなところに俺は馬を乗り入れた。
「景勝覚悟!」
「おのれ重家! 我が槍で直接討ち取ってくれる!」
俺の姿を見た景勝の目の色が変わる。そして周りにいた旗本も新発田兵も押しのけて俺と雌雄を決しようとする。俺の方もそれは願ったり叶ったりだ。が。
「景勝様、味方の撤退完了しました!」
一人の武将が景勝に報告すると景勝は舌打ちする。
「ちっ、あと少しのところだったが仕方あるまい。皆の者、撤退せよ!」
「景勝、逃げるのか! 卑怯なり!」
が、景勝の決断は早かった。周囲の者が撤退に移ったのを見て自らも放生橋へと急ぐ。当然俺たちも逃さぬとばかりに追撃する。俺が太刀を振るうと上杉兵はばたばたと倒れていく。
やがて景勝が放生橋に差し掛かったところで俺は景勝に追いついた。逃げる景勝の背中がすぐ近くに見える。
「景勝覚悟!」
「危ない!」
俺が振り下ろした太刀が景勝に触れたちょうどそのとき、間に何者かが割り込んだ。俺の太刀は景勝からそれてそいつの左肩を斬りさく。
「菅名綱輔、参る!」
「邪魔しおって!」
菅名綱輔と名乗った者は必死で槍を繰り出すが左肩に一撃を受けているため相手にならない。三合撃ち合った末、俺は首を挙げる。が、そのころにはすでに景勝は血を流しながらも橋の向こう側に逃げ去っていた。
「待て景勝!」
「殿、それ以上は」
無意識に追いかけようとする俺を矢五郎が必死で止める。橋があるということは一度にわずかな兵力しか渡河出来ない。上杉軍は橋により撤退を阻まれたが、今度は俺たちが追撃を阻まれる形となった。
「仕方ないか……とはいえ大勝利には違いない、勝鬨を上げよ!」
「えい、えい、おー!」
新発田軍が勝鬨を挙げると、まるでそれを待っていたかのように空は晴れ渡った。




