関ヶ原前哨戦 Ⅴ
一部両軍の位置関係にミスがあったので訂正しました。申し訳ありません。
今回載せている図が正しいです。
羽柴軍本陣
「殿、石川隊が後退し始めました!」
「まことか!」
焦りに包まれていた秀吉は物見の報告で一気に晴れ上がった。高所に堅固な陣地を敷く敵軍を攻めあぐねていたが、内応が出れば戦況はがらりと変わる。
「清正、正則、且元、安治! このことを全軍に触れ回るのだ! あと一息で敵軍は崩壊する!」
秀吉は本陣を固めていた直臣たちに命令する。彼らはすぐに戦場へと散っていった。
「よし、もう一息だ。狼煙を上げよ」
さらに秀吉の命令を受けた使番が松尾山の狼煙台へと走っていく。
「あと少し、あと少しで我らの勝利だ……」
秀吉は本陣内で拳を握りしめる。佐和山城の戦いでは勝家に後れをとったものの、このたびの戦いで勝てば再び織田家の主導権を握ることが出来る。勝家の家臣団は容易に秀吉になびくことはないだろうが、その辺りの調略や根回しは秀吉には自信があった。秀吉の展望ではまず滝川一益をおだてて山城に入らせる。一益が好き勝手に振る舞えば勝家の家臣団は不満を募らせるだろう。
そこで両者の間に入る形で力を伸ばすなり、揉めている隙に毛利家の力を借りて軍事力を行使するなりすればいい。特に一益が治めている播磨は秀吉の旧領である。秀吉が攻め入れば呼応する者も数多くいるため、勝つ自信はあった。
ただ、徳川家康にこの戦いで勝利しなければならないというのが最大の難関だった。五か国に渡る精強な軍勢を率い、さらに織田一門の筆頭でもある信雄を担いでいる家康相手に不利な戦いを強いられたが、それも数正の寝返りでひっくり返った。
石川数正の寝返りで一番の衝撃を受けたのは徳川軍左翼、宇喜多秀家隊と戦っている軍勢である。主力の数正が撤退した上に背後では大久保隊と石川隊が死闘を繰り広げている。
このとき秀家は元服したばかりの初陣であった。
宇喜多家は秀吉の毛利攻めの際、毛利から秀吉に寝返ったため毛利家との仲が悪く、また秀家の年齢が若かったこともあり佐和山城の戦いの際は領地を離れることが出来なかった。ある意味宇喜多家が当時中立だった毛利家の秀吉領侵攻を牽制していたとも言える。しかし四国攻めや大友家の衰退で毛利家の目が四国や九州に向いたため、両家の緊張は緩和され関係は改善した。
そういう経緯で初陣が実質的に天下分け目の戦いとなってしまった秀家だったが、叔父の宇喜多忠家や戸川秀安、長船貞親らが補佐して徳川軍に猛攻をかけていた。
元々高所に陣取っていた徳川軍だったが、すでに柵は破れ、宇喜多軍は斜面を攻め上がり、あちこちの山中で徳川軍との激戦を繰り広げていた。あちこちで宇喜多軍と徳川軍の兵士が斬り合い、いたるところに死傷者が倒れている。そしてその数はどちらかというと徳川軍の方が多かった。
しかし家康の本陣から救援に駆け付けた鳥居元忠も天正壬午の乱ではわずか二千ほどの兵で北条軍一万を防いだ名将である。動揺する兵士を鼓舞し、戦線を縮小して懸命の防戦を続けた。平野ではなく山中での戦いだったこともあり、徳川軍は劣勢ながらもどうにか立て直しつつあった。
が、そんな時であった。元忠の本陣に一人の使者が駆け込んでくる。
「申し上げます、松尾山に布陣していた小早川軍が南宮山から我らの背後へ向かっております!」
「何だと」
元忠は息をのんだ。現在の陣地を守ることで精いっぱいの元忠にとって背後から迫る小早川軍はどうすることも出来なかった。
「ただ山の中を行軍しているため、我が軍に襲い掛かるまでにはもう少し時間はかかるものと思われます」
「今すぐ殿に知らせて指示を仰ぐのだ。我らはこの場を防ぐので精一杯だ」
本当であればこの場もあとどのくらい持つかは分からない。それでも元忠はそう言うしかなかった。戦況を考えると援軍を要求することは出来ない。
最悪の場合、徳川軍は撤退も視野に入れなければならない。そうなれば一番戦況が悪い元忠の部隊が最も危険だろう。
しばらくして家康の本陣に派遣されていた使者が戻ってきた。使者は蒼白な表情で尋ねる。
「鳥居様、一体この場をどれほど持たせることが出来るでしょうか」
「一刻。それ以上は分からぬ」
「分かりました」
少し後、徳川本隊からは信雄隊から戻った榊原康政の部隊が石川隊に襲い掛かった。
「殿は継戦を選んだか」
大軍の滝川隊、羽柴隊、そして攻勢に出ている宇喜多隊を除けば敵軍で一番手薄な部隊は孤立している石川隊だろう。家康は唯一余った戦力である榊原隊を差し向けて石川隊を破り、戦力に余裕を作り、小早川隊を迎え撃とうとしているのだろう。
つい先ほどまで味方であった石川数正を容赦なく打ち破りにいく家康の采配は冷酷であったが、的確でもあった。
「覚悟!」
そこへ勢いに乗った宇喜多勢の数人が本陣に斬り込んでくる。この時すでに四十代後半だった元忠だったが、自ら槍をとって立ち上がる。
元忠は先頭の宇喜多兵を突き伏せたが、続いてやってきた兵士の槍を右肩に受けてしまう。
「うっ」
元忠は苦し気な声をあげたが、逆に敵の槍を左手で握りしめた。得物をとられる形になった敵兵は慌てて槍から手を離すが、家臣が斬り伏せる。残りの敵兵は叶わずと見て逃げ帰っていった。
「大丈夫でございますか!?」
肩から血を流している元忠を見て慌てて家臣たちが駆け寄る。
「何のこれしき」
「本陣を退きましょう」
「ならぬ。一刻経つまでは死んでもこの地を動くことは出来ない」
そう言って元忠は傷口を縛って血を止めると再び床几に腰を下ろす。それを見た家臣たちは説得を諦めた。
榊原隊が応援に到着すると石川隊はすぐに崩れた。数正や家臣たちは秀吉につけば出世出来るが、三河から出陣している足軽たちは数正が出世しても関係のないことである。そのため不利になるとすぐに逃げだしたし、中には武器を捨てる者も多くいたため、数正もこれ以上の戦いは不可能として戦場を離脱した。
「深追いはするな、我らは小早川隊を迎え撃つ!」
そこで逃げ去る数正を追わなかったのは戦術の都合であり、忠世のせめてもの温情でもあった。大久保・榊原隊は石川隊を破るとすぐに小早川隊を迎え撃ちに向かった。
「裏切り者の石川数正は敗走したぞ!」
その報が入るなり元忠はそのことを触れ回り士気を鼓舞する。
石川隊が敗北したと聞くと、鳥居隊の兵士たちも挟撃されるという不安がなくなったからか、少しだけ士気を取り戻した。そして宇喜多隊の猛攻をどうにか耐え抜いたのである。
やがて小早川隊は大久保・榊原隊を攻撃したが地理に不案内だったため遅くなり、その間に両隊の立て直しを許してしまった。
そのため、この日の攻防戦は滝川・羽柴軍が圧倒的に優勢ながらもあと一歩攻めきれずに終わってしまった。防ぎきった徳川軍だったが、羽柴軍の猛攻に晒された井伊直政が重傷を負い、戦いの間は我慢していた元忠もその夜高熱を発して倒れた。
ともあれ猛攻を防ぎきった家康は鳥居元忠の代わりに石川康通(数正の叔父にあたり、こちらも重臣であった家成の子)を左翼に配置した。石川隊の足軽の中には帰参を申し出る者もいたため、康通は彼らを収容し、平岩親吉とともに左翼の立て直しにあたった。




