養子
「この城に来るのも何度目だろうか」
新発田城を訪れた本多正信はもはやすっかり慣れた様子であった。まるで徳川家の城にでも足を運んだかのような気楽さである。
「徳川家との仲が良好なのはいいことだ」
「そうですな。しかし出来れば春日山辺りに居城を移していただけると楽なのですが」
「そうした方がいいと思った時もあったが、最近は奥州も騒がしいからな」
陸奥以外で戦がなくなったため、あえて居城を南に移す必要もなくなってしまった。いっそ、新潟に近世城郭を築くのもいいのかもしれない。
「さて、今回の要件ですが、もはや新発田殿は全てを知っているでしょうが上方のことです」
「先ほど滝川殿の使者も来た。美濃の件は全部徳川殿の差し金なのだろう?」
俺の問いに正信は笑う。
「どこまでが殿の差配かは言えませんが、全て承知のうえでのことです」
「やはりな。今後はどうするつもりだ?」
とりあえず美濃に兵は出したものの、それだけと言えばそれだけである。一応一揆の討伐という名目を掲げている以上、それしか出来ない。
「滝川殿は好機到来とばかりに美濃に兵を出すでしょうし、すでに準備は進めております。我らはそこを迎え撃ちます。万一兵を出さぬようであれば信孝様には美濃国主としての器量なしとして美濃の占領を進めるのみです」
自分で一揆を扇動しておきながら国主としての器量なしと言うのは悪どいが、秀吉も勝家に敗れる前は清州会議の決定事項を破って信雄を当主にするなど強引なことをしていた。結局多少強引なことをしても勝てばうやむやになるということだろう。それに、そもそも滝川一益とて勝家の遺言に従って三法師を盛り立てていく気持ちがあるとも思えない。
「勝算はあるのか」
「もちろんです。滝川殿が美濃に兵を出すためには山城や近江を通らなければなりませんが、そこは柴田領。軍勢の通過は認めても兵糧や弾薬の通過は認めないよう手を回します」
「なるほど」
確かにこの戦いが織田家内の私戦であるならば、一益の兵糧や弾薬を通過させることは中立であれ、という勝家の遺言に叛くことになる。問題は信雄と家康が織田家と敵対していると判断すれば物資の通過は認められそうな気がするが、そこは根回しに自信があるのだろう。
「我らは西美濃で滝川軍を防ぎながら伊勢の滝川家と信孝様の所領を占領しつつ、岐阜の信孝様が降伏するのを待ちます。向こうは焦れて決戦に出てくるでしょうが、こちらとしては有利な地形に陣取って待ち受けるのみです」
お互いの戦力がそんなに変わらないのであれば基本的には有利な地に陣取って迎撃する方が有利だろう。有名な長篠の戦いも武田軍の背後をとることで武田軍に決戦を強いたことが主な勝因であった。
兵力については滝川一益がどのくらいの織田家臣を集められるかによるだろうが、そこも家康と一益の外交勝負となってくる。もし一益と秀吉だけであれば兵力で負けることはない。細川忠興・筒井定次・丹羽長重らが敵方に加わると途端に厳しくなる。
家康は名目上この戦いでは信雄を立てている以上、名目上は信雄につくということになるため、俺としては味方しやすい。
「大体状況は分かった」
「さて、ここからが本題なのですが、もし新発田殿が中立を保ち、戦後に信雄様と殿を中心とする政権を支持してくださるのであれば、その際は殿の四男、忠吉様を養子にと言われています」
「忠吉殿か……分かった」
後に井伊直政の婿となり関ヶ原の合戦で活躍する忠吉は武勇・人格ともに評判は良かったとされる。問題は若くして子供を残さずに没したことと、現在は東条松平の家督を継いでいることぐらいだろうか。早死にするのは困るが、そうと分かっていれば早めに結婚させて子を産ませるという選択肢もある。
また、家督については一族の他の者をあてがうのだろう。俺も当初五十公野家を継いでいたが、新発田家に戻る際に信宗を五十公野家に入れたという経緯もある。
もっとも、現在はまだ七歳だが。
「忠吉様は幼いながらも武勇に優れ、家臣にも慕われております」
「それは楽しみだ」
「ところでこれは内々の話なのですが、もし忠吉様が養子に入った場合、新発田家の家督は忠吉様が継ぐものと考えてよろしいのでしょうか」
不意に正信が声を落とす。
養子を入れる立場の徳川家からすればそれが一番気になるところだろう。
「俺はあと二十年は当主の座に居座るつもりだが」
「ですが、基本的には忠吉様が継子ということでよろしいでしょうか」
さすがに正信は俺の逃げを許してはくれなかった。確かに徳川家からすれば養子に出したはいいものの、跡継ぎには選ばれなかったというのは許されないことだろう。是が非でも養子を出す前に言質をとりにくるようだった。
仕方なく俺も本音を打ち明ける。
「ではこれもまだ内密のことであるが、もし俺の実子が健康で家を継ぐのにふさわしい人物に育った場合、分家しようと思っている」
「なるほど」
「家が一つしかなければ不意の事件や病気、たまたま暗愚な当主が生まれて滅びることもあるだろうが、複数残しておけばどれかは残るだろう」
「まさかそこまで考えていらっしゃるとは」
家康が一生懸命戦っているところ悪いが、俺はすでに江戸時代(江戸で幕府が開かれるのかは不明だが)のことをある程度考えている。
特別幕府に睨まれていた訳でなくても、御家騒動などが起こって改易されるという事故が俺の死後に起こらないという保証はない。
「また、中立を保てば養子をもらえるということであるが、それ以上の働きをすればそれ以上の恩賞をもらえるということでよろしいか」
「もちろんでございます。味方していただけるのであればこれほどありがたいことはございませぬ」
会津情勢が不穏なこともあって正信はやや意外そうだった。しかし俺としては分家するのであれば仙台藩と宇和島藩のように離れたところに複数の家を残したかった。場所が離れていれば無用の争いが起こることもないだろう。そのために、もう少し手柄を立てておく必要があった。
忠吉はおそらく当時忠吉とは名乗っていませんでしたが、忠吉と表記します。
養子対象についてご意見くださった皆様ありがとうございました。




