帰国
八月中旬 佐々成政屋敷
勝家の葬儀も終わり、俺が補佐していた柴田勝敏が近江坂本城へ移動することとなったため、俺も彼について近江へ行くことになった。ただ近江へ行く前に佐々成政にだけは家康の意志をある程度伝えておこうと思い、成政屋敷を訪れた。
成政の様子は相変わらずで、勝家の死後もそこまで消沈している様子もなく俺は安心する。当然内心では死を悲しんではいるのだろうが、武将として、そして織田家家老として表には出していないようだった。
ただ、いよいよ北条攻めという政局が動きそうな状況であるせいか、成政の顔は少し強張っている。訪問したのは俺の方なのに、先に用件を切り出したのは成政だった。
「新発田殿、察しているとは思うが勝家様の葬儀も終わり、いよいよ滝川殿は北条攻めを発令しようとしている。我らとしてもそれに反対するつもりはない。しかし勝家様は合議の結果を優先していいとの言葉を残されたが、北条攻めとなれば新発田殿は先鋒を任されるだろう。それでもよろしいのかと案じていた。もっとも、仮にまずいと言われてもどうにか出来るかは分からないが」
「俺よりも問題は徳川殿だろうな」
「やはりか」
成政はそう言って少し暗い表情になる。彼もそれを案じていたのだろう。
「徳川殿は北条攻めに従わないだろうか?」
「おそらくな。ここからはあまり他言しないで欲しいのだが、おそらく北条攻めとなれば織田家に一波乱起こるだろう」
「そうか……。やはり今の体制で何年もやっていくのは厳しいか」
「誰も野心を持たずに現状維持を試みるのであれば可能だろうとは思うが。ちなみに佐々殿はその際どうするという考えはあるのか」
「わしも具体的なことを知っている訳ではないが、滝川殿からは徳川殿が叛くのであれば討ち果たすつもりであるような意気込みを感じる」
勝敏が幼少であるうちに家康を倒せば織田家内部で単独で一益に対抗できる者はいなくなるだろう。一方の家康もここで一益に勝利すれば、史実の秀吉のようにその勢いで織田家を乗っ取ることが出来るかもしれない。
「もしそうなれば我らは滝川殿に従う他ないだろう」
成政は特に柴田家臣団を率いて織田家内部で覇権を狙う意志はないようだった。家臣としての仕事を全うするつもりなのだろう。
「もちろん徳川殿が明確に謀叛を起こせばそうする他ない。しかしおそらく徳川殿はもう少しうまくやるだろう。その場合、戦いは謀叛というよりは滝川殿と徳川殿の私闘のような形となる。そうなればどちらにも与せぬ方がいいのではないか」
欲を言えばここで家康に味方するよう説得したかったが、この段階では家康が具体的にどのような手を打つのか分からない以上、さすがにそこまでは踏み込めない。
「なるほど、確かにそうと決めてかかるのは早計かもしれぬな」
成政は頷く。
「また、勝敏様や勝家様の家臣団の方々にも出来れば中立を保って欲しいと思っている」
「そちらはそうなるだろうな。勝家様も繰り返し家中の争いには首を突っ込まぬよう言葉を残したと聞いている。北条攻めが行われれば後詰に加わるぐらいはするだろうが」
それを聞いてほっとする。中立さえ保ってもらえれば家康も滅多なことはしないだろう。
「俺は葬儀が終わり次第勝敏様と近江に赴く。もしその後に滝川殿が北条攻めを決めれば領地に戻るだろう。今後しばらく会うことはなくなるかもしれぬ」
「そうだな。とはいえ元々我らはそうであった。この数か月が異常だっただけだ」
「確かに。これだけたくさんの将が京に集うことなどもうないかもしれぬな」
「では、前田殿や佐久間殿にも遠回しに今のことを伝えておいてもらえると助かる」
「分かった」
こうしてその日は成政と別れた。
その後勝敏が主催という形で勝家の葬儀が催された。俺は見た訳ではないが、その規模は秀吉が催した信長の葬儀に迫るものがあったという。そこには筒井定次や丹羽長重ら政争とは距離を置いていた者たちも訪れた。当然彼らに対しても一益や家康は接触した。
また、変わったところでは長宗我部家から谷忠澄が、島津家から伊集院忠棟が、大友家から大友宗麟が訪れた。忠棟は織田家の九州攻めが遠いことに安堵し、逆に宗麟は愕然としたようであった。
他にも佐竹家から太田資正が、佐野家からも天徳寺宝衍が訪れて一益に北条攻めの礼を述べた。他にも長尾家の泉沢久秀、真田家の矢沢頼綱も上洛して気の早いことに北条攻め後の上野の所領安堵を願い出ている。
矢沢頼綱は一益と二人きりで話し込んでおり、もしかすると家康が敵対した際に信濃に攻め込むことも約しているのかもしれない。
また、蘆名家・色部家・本庄家・大宝寺家ら北国の諸家からもそれぞれ使者が上洛して勝家に哀悼の意を示し、一益や家康など主だった将に挨拶をしている。
こうして期せずして勝家の葬儀は諸国の使者が一同に集うサミットのような様相を呈したのだった。
そして葬儀も終わった八月下旬、ついに正式に北条攻めが決定した。時期は来年の雪解け後である。
それを聞いた家康は準備のためと称して国に戻った。織田信雄・佐久間盛政・前田利家、そして俺も望月千代女らを残して帰国した。帰国直前、俺は一応勝敏に今後織田家内で何かが起こっても中立を貫くよう伝えた。もっとも、適切に中立を保つというのはどちらかにつくことよりもはるかに難しいことではあるが。
感想でいくつか意見をいただきましたが、家康の実子だと秀康もしくは後に生まれる子をもらうという選択肢になりそうですね。




