病床の勝家Ⅱ
再び病室に入ると、人が減って緊張がゆるんだからか勝家は余計に生気を失って見えた。これは本当に長くないのだろうな、と思えてしまう。
俺が枕元に座ると勝家は弱々しい視線目でこちらを見る。
「まずは勝敏の補佐、ご苦労であった」
「いえ、一門となった以上これくらい何でもないことでございます」
「あれには近江一国を与えようと思っている。近江は清州会議以来わしが治めていたのでまあまあ安定しているだろう」
近江であれば一国(実際は佐々成政が長浜周辺を治めているので八割ぐらいだが)でもかなりの石高がある。また畿内は元々治めにくい土地柄の上、今後織田家の勢力争いが発生すれば草刈り場になる可能性が高く、それに比べればまだ治めやすいだろう。
「残りの領地は家臣たちに任せて三法師様成人後に返還しようと思っている」
「承知いたしました」
それが必ずしもうまくいくとは思えなかったので俺は複雑な気持ちで頷く。
そこで勝家の表情が急に深刻なものとなる。
「……というのは建前の話だ。おそらくだが現実はそこまでうまくいかないだろう。わしの死後間もなく、勢力争いが起こるに違いない」
勝家は織田家の存続という理想を掲げながらも現実がままならないことを知っていたようだった。同意する訳にもいかず、かといって起こらないと言うのは白々しすぎる。一体勝家は何を言おうとしてそんなことを言い出したのだろうか。俺は無言で勝家の言葉に耳を傾ける。
「そなたは我が一門ではあるが、織田家の家臣ではない。上杉と戦ったのも力関係はさておき、名分上は対等な同盟者としてだ。だから三法師様が元服後に天下人として復帰出来るように取り計らう義理はないだろう。それについては信長様の恩を受けた者や我が家臣に頼んでおくつもりだ」
「……」
その通りではあるが、勝家の口からそう言われたことに俺は驚く。てっきり俺は三法師と勝敏の補佐を頼まれるのかと思っていた。病床とはいえ、勝家はそれが現実的ではないと悟ったのだろう。
「だが、もし織田家臣の誰かが天下をとってしまったときも、三法師様がせめて一国ぐらいは治められるような大名として存続するよう取り計らって欲しい」
勝家の言葉を聞いて俺は意図を理解した。三法師が織田家の当主として君臨出来るようにするのは家臣に頼む。そして万一の時のことは俺に頼むということだろう。
一生三法師に仕えてくれなどと言われなかったことに少しほっとしてはいるが、一国の主というのはそれはそれで難しい。徳川幕府の下で織田家の子孫が得た石高が微々たるものだったことを考えれば明白だ。
「分かりました、全力を尽くします」
三法師が天下人になれるよう尽くす義理はない、と言われたためかせめて一国、という依頼には応えなければという気持ちになる。もしやそこまで計算しての言葉だったのか、と思ったが真意は分からない。
「勝敏についてはもし他の織田家臣ほどの器でなかった場合は、せめて判断を誤らぬようにだけ忠告してやって欲しい」
「分かりました」
勝家の跡継ぎという身分があれば、味方選びを間違えなければ近江一国を全うすることぐらいは出来るだろうと思う。
「雪が積もっている間以外は上方にて勝敏様を補佐いたします。しかし畿内の領地については大丈夫なのでしょうか」
「我が家臣たちには争いが起きても誰にも味方せずに三法師様の元服を待つよう伝えている」
それが現実的な案とは思えなかったが、元々幼少の三法師に政権を移譲するということ自体が非現実的なことなので仕方ない。俺ではなく家臣たちに任せたのは領地が遠いからという配慮なのか、俺の野心を警戒されているからなのか。ふと疑問に思ったが追及はしないことにする。
「わしはもう長くない。限られた寿命の中ではまあまあ最善を尽くしたと思っている。だが、一つだけあった心残りは世継ぎのことだ。新発田殿も早めに考えた方が良い。養子を二人とってもうまくいかぬ時はいかぬものだ」
勝家は勝豊と勝政を養子にしていたが、勝豊は病死、勝政は佐和山の戦いで討死しており、結果元服したばかりの勝敏が跡を継ぐことになってしまった。
新発田重家は史実で討死した武将であるため、俺もいつ何時寿命を迎えるか分からない。例えこの後生まれるのが男子であったとしてもそろそろ養子ぐらいは考えなければならない、と思うがどこからとるかは難しい問題だ。
「ご忠告ありがとうございます。しかしもう少し生きて孫の顔をご覧になってください」
俺の言葉に勝家は少し寂しそうに笑った。
「さて、まだ徳川殿と我が一門、家臣たちが残っている。悪いがそろそろだ」
「はい」
こうして俺は名残惜しいながら部屋を出た。
その次に入室したのは徳川家康で、こちらも大分長時間話し込んだ。俺は勝家が全員に三法師を支えるよう頼んで回るのかと思っていたが、俺に向けた言葉から考えると、家康にももしかしたら「天下をとったとしても三法師様に一国程度は安堵して欲しい」ということを言っているのかもしれない。
もっとも、戻ってきた家康は相変わらず表情の変化に乏しく、内容を読み取ることは出来なかった。
その後勝敏や毛受勝照らが入っていき、さらに長時間話し込んだ。
こうしてこの日の話し合いは終わった。勝家がそれぞれに何を話したのかをあえて公表する者はいなかった。
そして勝敏や勝家の側近を除き、多くの者たちにとってこれが勝家との最後の会話となったのである。




