織田家の風雲Ⅲ
すみません、寝てしまってました
五月十一日 二条城
病室の勝家はこれまで会ったときとは別人のようだった。どうにか上体を起こして座ってはいるものの、かつての正対するだけで相手を圧するような貫禄は既にない。表情は青白く腕はすっかりやせ細っている。傍らには小姓だけでなく医師も控えていた。
勝家の嫡子である勝敏や、一門でもありもっとも勝家と親しいとされる佐久間盛政も倒れてからは会っておらず、あまりの変わりように驚いている。
勝家の元に集められたのは滝川一益、羽柴秀吉、細川忠興、佐々成政、佐久間盛政、前田利家、徳川家康に俺と勝敏、残りは毛受勝照ら勝家の家臣たちであった。
「一月ほど心配をかけてしまい申し訳ない。……ところで丹羽殿の姿が見えぬようだが」
勝家は一同の姿を見て怪訝な顔をした。
「丹羽様もつい先日倒れ、本日は来られないとのことです」
勝照が答える。が、それに対しても勝家は覇気のない声で答える。
「そうか、我らもそろそろ世代交代の時期に来ているのかもしれぬな」
「そのようなことはありません! 我らまだまだ織田家のために働く所存です!」
「勝家殿もまだまだ骨を折っていただかなければ困る」
秀吉や一益が励ましの言葉を送るが、勝家の反応は鈍かった。ここまで覇気のない勝家を見るのは初めてだ。本人も先が長くないことを悟っているのだろうか。
「では、まずわしが倒れていた間のことを聞こうか」
「はい」
そう言って話し始めたのは盛政であった。前回の戦いでは「鬼玄蕃」の名に恥じぬ悪鬼のような武勇を見せつけた盛政も、今は動揺のせいか心ここにあらずといった雰囲気であった。
盛政は勝家が倒れてから諸将が京に集まり、現在は主要な織田家臣の合議で事にあたることになったということなどを伝えた。
勝家はそれに異を唱えることなく、黙々と頷きながら聞いていた。
「……という次第でございます。我らの勝手でことを決めてしまい申し訳ありません」
「いや、それで良い。今後も三法師様が成人するまでは皆が合議の上で事に当たって欲しい。それから勝敏は器量が分かるまでは家老ではなく一家臣として織田家に仕えて欲しい」
信雄がこの場に呼ばれていない辺りから大体察していたが、勝家は家臣による合議体制を経て三法師政権へと繋げるつもりのようだった。信雄を後見にすれば絶対に三法師に政権を返す際にひと悶着起こる。
信雄を推していた家康も、不満の色は一切見せずに頷いている。さすがは狸親父と呼ばれるだけのことはある。
「は、はい。早く父上に追いつけるよう粉骨いたします」
そう言って勝敏は頭を下げる。
すると次に勝家は秀吉の方を向く。
「羽柴殿。わしと羽柴殿は対立することもあったが、あれもお互い織田家のためだったと信じている。今後も皆とともに織田家を支えて欲しい」
「もちろんでございます」
そう言って秀吉は目に涙を浮かべる。もし演技でないのなら天性の人たらし体質なのだろう。勝家の表情をうかがうが、今の言葉は本心のようにも願望のようにも感じられた。
「滝川殿はわしなき後は織田家の筆頭家老としてよろしく頼む」
「そんな! たとえ話でもそのようなことを口にされてはいけませぬ!」
「良いのだ。自分の体のことは自分が一番よく分かる。そこでお二方との縁を深めるべく縁組を行いたい。お市殿の愛娘茶々を秀次殿に、初を一時殿にめあわせたい」
秀次というのは秀吉の甥である羽柴秀次である。すでに山崎の戦いや一益との戦いで戦場にも出ており、実子のいない秀吉にとって後継者と目されていた。
一時は一益の実子であり、同じく秀吉との戦いに参戦している。
両者とも二十前の若者で、茶々や初とも年が近かった。
「ありがたき幸せ」
秀吉も一益も予想外の提案に若干驚きながらも頷く。二人にとっても勝家からこのような縁談を受けることになったという意味は大きいだろう。
「これで秀次殿、一時殿、そして秀忠殿は義兄弟。盛政、成政、利家の三人のことは元より信じている。これで次代まで織田家は安泰だな」
「次代以降も同盟者として織田家を支えるつもりでござる」
家康もそう言って頭を下げる。単に勢力が大きい順に三人を選んだのかもしれないが、勝家もこの三人が一番油断ならないと思ったのかもしれない。だとすればその勘はおそらく当たっている。
「それから新発田殿」
今度は勝家がこちらを向く。
「勝敏は愚鈍ではないが、何分まだ若い。婿として補佐をよろしく頼む」
まさか勝家本人から頼まれるとは思っていなかった俺は動揺する。臨時にというのであればともかく勝家の口から外様の俺にはっきりと依頼が来るとは思っていなかったのである。
勝照ら勝家の家臣団も言葉にこそ出さないが息をのむのが伝わってくる。いくら俺が手柄を立てていようが、長年勝家に仕えてきた者たちから見ればおもしろくないだろう。
「しかしあくまで外様の身。これは譜代の家臣に任せることでは」
「何を言う。そなたも我が娘を娶り、もうすぐ孫も生まれると聞く。もはや我が一門も同然だ」
「ですが……」
そもそも俺がずっと在京するのかという問題もある。また、勝敏が筆頭家老を無条件では継がないというのであれば畿内の領地を全て継ぐのも違うのではないか。そんな諸々のことをどうするのか決めてからでないと気軽に受けるとは言えなかった。
「よろしく頼む……げほっ、ごほっ!」
「父上!」
勝家が急にせき込み始め、勝敏が駆け寄って背中をさする。咳には痰が絡まるような音が混ざっており、勝家はひどく苦しそうであった。それを見た医師の表情も変わる。
「皆様、ここはこれ以上の会談は不可能です。ご退出ください!」
そう言われてしまえば俺たちも居座ることは出来ない。それぞれの思いを抱えながら俺たちは病室を出るのだった。




