治水Ⅰ
さて、治水をするにあたってまずは新発田領の河川の状況について整理しなければならない。新発田・新潟付近には阿賀野川と信濃川という二本の大きな河川が蛇行して流れており、その他にもいくつかの中小河川が流れている。
また、いくつもの河川が蛇行して流れている上、信濃川に合流しているために度々氾濫が起こっている。
下記の図参照。
水色……戦国当時の流れ(※江戸前期はおそらくこうだったのですが、戦国時代もこの通りだったのかは不明)
赤色……江戸~現代の工事の結果
※阿賀野川から信濃川への合流に赤で「×」がついているのは、阿賀野川を日本海に流す水路を作った際に阿賀野川が氾濫し、この流れが消滅して全て日本海へ流れる流れになってしまったため。
しかし後年、この流れに戻す形で「通船川」という川が掘られている。
現代日本の新潟ではいくつもの河川を、それぞれそのまま海に流れ込むように分水工事した結果、氾濫は少なくなり、土地の湿度も下がった後にいくつもの潟を干拓した。
氾濫は川の流れに蛇行している場所にて水が直線的に流れることで発生することが多く、加えて新潟平野付近は高低差が小さいため起こりやすい。そのため、新発田家の米収入はある程度上流域の農家からのものが主だった。
とはいえ、現在の状況にも二つメリットがある。
一つは城の周辺が湿地になっているため、攻められづらく、守りやすいということだ。景勝と最初に戦ったときも、土地がぬかるんでいたからこそ攻めづらかったというところはあったし、退却時の追撃が成功したのも周辺のぬかるみによるところがあった。だが、周辺の状況が安定して大規模な戦闘が行われる可能性が下がった以上もはや不要と言える。
二つ目がややこしい問題で、新潟港はいくつもの河川が流れ込んでいるからこそ水深が保たれており、河川の流れを変えることで水深が浅くなり、大船が出入り出来なくなるという危険性がある。
その問題を解消するために作られたのが小阿賀野川や通船川であり、再び阿賀野川から信濃川に流れを呼び込むことで水量を戻している。
要するに、洪水を減らして干拓をするためには大規模な工事が必要で、しかも港の利用が差し支える可能性がある。そしてそれを戻すには再び大工事が必要になってしまう訳である。
ちなみに、信濃川のさらに上流で流れを分け、日本海に注ぎ込む「大河津分水」という大規模な河川もあるが、こちらは規模が大きすぎて近現代の技術がないと困難と思われる。
最初の問題はどのような順番で工事を行うかであった。重要度で言えば、大河川である阿賀野川、信濃川の流域である。しかしいきなり大河川の工事に手をつけて失敗すれば、大損害が出る可能性もある。また、新潟港への影響もどの程度出るのか予測出来ない。
そこで、二つの河川に比べると規模が小さい加地川の分流から始めることにした。
そのことを発表したところ、反応は何とも言えないものだった。この周辺の人にとって河川の氾濫というのは克服すべきものではなく、付き合っていくものとなっていたのだろう。
そこで俺は、現在領地に戻っている曽根昌世を呼び寄せた。甲斐では「信玄堤」に代表される大規模な治水が行われていたと聞いている。
元々春日信達とともに北信濃に置いていたが、大きな問題はなかったために領地に戻っていた。
「何用でございますか」
「おぬしは甲斐の出身だが、治水に関わったことはあるか」
俺の問いに昌世は用件に納得がいったらしい。
「直接携わったことはございませんが、今は亡き信玄公から心得を授けられたことはございます」
「そうか。残念ながら越後は戦続きで、治水に携わったことがある者はほぼいない。そこでおぬしに工事の指揮をとって欲しい」
俺の言葉に昌世の表情はさっと緊張に包まれる。口伝えとはいえ、実際の経験を聞いたことがある者にとってはそれほど大変なことなのだろう。
「治水工事ですか。それは戦の大将よりも難しいことかもしれませぬ。ですが仰せとあらば謹んでお受け致します」
「やはり治水は難しいのか」
「はい。信玄公ですら十年以上の時をかけてようやく成し遂げたことですので」
「そうか。ただ、今の越後はしばらく戦をしなくても良い状態だし、佐渡からとれる金銀もある。人手と金はある程度出せるだろう。また、大まかな計画についてもすでに考えている」
そう言って俺は加地川・阿賀野川・信濃川の三本の流れを変えて日本海に流す計画を伝える。それを聞いて昌世の表情はさらに強張っていく。
「これは……世紀の大工事でございますな」
「もちろん、一朝一夕にとは言わぬ。一つずつ着実にやっていければそれで良い」
「分かりました。しかしこれだけの大工事であれば、経験のある者がやはり欲しいです。どうにか甲斐から呼び寄せることは出来ないでしょうか」
確かに総指揮は昌世に任せるにしても、現場で実際の作業をしたことがある者がいるかどうかで手順は全然違うだろう。
甲斐は今徳川家の領地であるが、家康とは一応良好な関係を築いている。
「分かった、頼んでみよう」
が、俺がそう言った時だった。
「徳川家から本多正信殿が使者がいらしております」
新発田城の門番が報告に現れる。
「どうやら手間が省けたようだな」
曽根 昌世
大久保 忠世
戦国武将の読みは難しいですね。
治水関連の参考サイトです
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/shibata_noson/1356833203513.html
https://www.maff.go.jp/hokuriku/kokuei/shinacho/pdf/asinuma_03.pdf
http://jsce-niigata.com/introduction/article/027/art027.html




