睨み合い
長浜城を出た柴田軍三万六千は琵琶湖畔沿いに南へと進軍した。決戦のため、あえて羽柴軍の目につくように大げさに出陣の準備を行い、法螺貝や陣太鼓を吹き鳴らしながら進軍したため、少し遅れるようにして羽柴軍も城を出て北上してきた。
両軍は長浜城・佐和山城のちょうど中間ほどにある天野川という川まで到達したところで足を止めた。そこそこの川幅があり、渡河を強行すれば対岸からの銃撃で被害が予想される。実際に一部の早まった兵士たちは対岸からの猛烈な銃撃を受けてすぐに撤退した。
こちらは琵琶湖側に前田利家、中央に佐々成政(俺の軍勢は成政隊に同行している)、左翼に佐久間盛政が布陣し、勝家がその後ろに本陣を敷いた。
一方の羽柴軍は琵琶湖川に丹羽長秀、中央に堀秀政と羽柴秀吉、そして右翼に池田恒興・中川清秀・高山右近ら摂津衆が布陣した。
渡河は行う側が不利で兵数が互角である以上、お互いきっかけがない限り睨み合いになってしまう。琵琶湖の逆側は山間の地になっており、そちらはやや川幅が狭くなっており、渡河が不可能とは言えなかった。とはいえ羽柴軍も隙を見せず、この日は川を挟んで散発的に銃撃戦が行われるだけでほぼ終了した。
翌日 秀吉本陣
「殿、岸和田城が雑賀衆の攻撃で落城したとの報告がもたらされました」
一人の使者が顔を青くして駆け込んでくる。
「報告をもたらしたのは誰だ。本当に頼隆からの使者か?」
この時の岸和田城主蜂屋頼隆は秀吉に味方していたが、雑賀衆が勝家に呼応して攻撃の動きを見せているため、城から動けなかった。
「おそらく」
そう言って使者は一人の男を連れてくる。
「おぬしはどこの隊の所属か」
男は名前を挙げる。それを聞いて秀吉は首をかしげた。その者は秀吉の記憶だと現在岸和田城には入っていなかった。
「ふむ、ではおぬし頼隆殿の容姿を言ってみよ」
「いえ……私ごとき、殿のお姿を拝見したことがございませぬ」
「たわけ! 同じ城にいて姿を見たことがないことがあろうか!」
たちまち羽柴軍の兵士が男を連行していく。
「勝家め……。そのような児戯な手に出るならこちらにも考えがある!」
翌日 勝家本陣
「殿、加賀国から急報が! 一向一揆の残党が蜂起し、金沢城を強襲したとのことです!」
一人の使者が本陣に駆け込んでくる。それを聞いた勝家は眉をぴくりと動かした。
「秀吉め、もはや一向一揆にそこまでの力はないことを知らぬのか。捨て置け」
一方勝家が流した誤報でも羽柴軍は動く様子を見せなかった。さすがに織田家の実力者が集う戦場だけあって小細工が通じる余地はないということだろう。
「それなら本当に事を起こすしかないのではないか」
そのときたまたま本陣にいた俺は勝家に進言する。
「どういうことだ」
「現在伊勢にいる羽柴方の者は蒲生氏郷ら近江衆が二千ほど、織田信包殿ら伊勢衆が三千ほど。滝川殿に多少無理をしてもらってでも、彼らを撃破してもらうしかないのではないか」
少なくとも、この戦場で正面から羽柴軍を破るよりはたやすいように思えた。
「ここは滝川殿の戦上手を当てにするしかないか」
勝家は滝川一益に使者を送った。
三月二十五日 秀吉本陣
「何!? 亀山城が再び落とされただと!?」
秀吉はその報を聞いて表情を変えた。
「は、はい。滝川軍の一部が決死の勢いで長島城を脱出し、追撃した蒲生殿の部隊を破り、亀山城に向かったとのことです。関盛信殿は懸命に応戦したのですが、峯城を囲んでいた信包様も同時に城兵の襲撃を受け、救援を出せずに落城に至ったと……」
兵士は饒舌に状況を語る。その様子はとても演技をしているようには見えないが、一応秀吉は伊勢出身の者に確認させるが、供述に不自然なところはなかった。
「この上は一度伊勢に向かわれてはいかがと」
黒田官兵衛がいつもの冷静さを崩さずに進言するのを見て秀吉もひとまず落ち着きを取り戻す。
「しかしこの地を離れて大丈夫だろうか」
「秀長様(秀吉の弟、羽柴秀長)を大将に任命していただければそれがしが補佐いたします。こちらは川で阻まれているため、多少の兵力差があっても容易に渡河することは出来ません。それに仮に敗北しても佐和山城に逃げ込めば落とされることはないでしょう」
官兵衛は流れるような口調で作戦を語る。
「なるほど、だが……」
そうは言っても秀吉も不安を払拭するすることは出来なかった。何せお互い四万近い兵力を擁しての決戦である。
が、官兵衛は言葉を続ける。
「今頃伊勢では氏郷殿が鉄張りの舟を完成させているでしょう。それを使って長島城を落としてください。その後、尾張に赴いて信雄様の尻も叩いてきましょう」
「信雄様か。そうだ、そもそも信雄様が一益を押さえていればこんなことには……いや、今は言うまい」
最初は秀吉を警戒して兵を出さないそぶりを見せていた信雄だったが、現在はどちらかというとどちらが勝つか分からないため日和っているようにも見えた。
信雄の名を聞いたところで秀吉は決意する。信雄さえ兵を出せば岐阜城内で去就に迷っている兵士もこちらに寝返る可能性は大いにある。
「一益さえ下せば信雄様もどちらにつくべきか分かるだろう。よし、伊勢まで行ってくる」
一益を下し、その勢いと伊勢の兵を集めて尾張への国境に布陣し、出兵を催促する。そこまですれば信雄も意志を決めるだろう。
決断すると秀吉の行動は早い。一応旗指物などの用意をして兵力が減っていないように偽装する準備を整えると、一万の兵を率いて伊勢に向かうのだった。
急に一益が強キャラ化していると思われるかもしれないですが、本来、勝家・秀吉・光秀・長秀あたりと同格の存在だったんです




