初収穫
十月二十日 五十公野領
その後細々とした取り決めや、現地の役人への指示などを終えて俺は領地へと帰った。俺が春日山城へ率いていった兵が少なかったせいか、蘆名家も兵を出してくることはなかった。
領地でもたわわに実った稲が次々と収穫されており、その光景を見て俺はほっとする。戦国武将といっても、結局領地での人々の営みを守ることが本質ではないか。戦というのはあくまでそのための手段に過ぎない。
「御館の乱もさっさと終わればいいのに」
しかし景虎は北条家から来た養子であり、越後には領地を持たない。俺たち国人衆は負けそうになれば最悪相手に寝返れば多少扱いは悪くなっても家を永らえることは出来る。しかし何も持たない景虎は勝利するしかないのだろう。まあそれは景勝も同じか。
「あ、治長様! もう戻られていたんですね!」
そんなことを考えていると遠くから雪が笑顔で手を振ってくる。相変わらず元気そうで見ているだけでほっとする。
「雪も元気してたか?」
「はい、治長様も大場で活躍なさったと聞いております」
「そうだな。おそらくそう長くないうちに景勝殿が勝利するだろう」
俺の言葉に雪は安堵の表情になる。
「良かったです。謙信公は戦自体は絶えず行っていましたが、越後国内に敵を攻め込ませたことはなかったとのことなので」
おそらく謙信の時代は絶え間ない戦で過酷な軍役が課されていたのだろうが、領内で戦争がないというのはそれを差し引いても望ましい状態だったのだろう。
「ところでこの前預けた米はどうだ?」
「はい、珍しいものと聞いていたので少し離れたところで栽培していますよ」
雪に連れられて向かった先は小路家の裏手にある小ぢんまりとした田だった。そこには同じように稲穂が垂れている。もっとも、俺には他の稲と見ただけで区別がつかないが。
「無事実ったようで何よりだ」
「それはもう。わざわざいただいたものなので絶対に枯れないよう毎日注意してましたから。ところで治長様が帰られると聞いて少しだけ先に収穫しておいたんです。是非食べていってください」
「本当か!? 何から何まで至れり尽くせりだな」
「ではこれから炊いてもらうよう頼んでおきます」
雪は家の中に入るとすぐに戻って来た。
「炊きあがるまでに少し話しておきたいことがあるんだが」
俺は農業については全く専門外だが高校の日本史で習った程度の知識はかろうじてある。俺が覚えているのは千歯こきと備中鍬だけだが。
「ん? 何でしょう?」
しかし自然な会話の流れで説明するにはどうしたらいいんだ?
「今脱穀してるのを見て思ったんだが、こう大量の歯が並んでいてそれに稲穂を引っかけて引っ張るだけで脱穀出来るものがあったら便利じゃないか?」
「まあ確かにそうですね」
雪はいまいちぴんと来ないのかぼんやりとした返答である。ちなみにこの時代では脱穀ばしというものを使って一本一本脱穀しているという。確かに千歯こきがあれば脱穀の効率は段違いだ。仕方がないので俺は絵(下手)を描いてみる。
「あー、なるほど。そういうことですか。確かに脱穀するときは皆総出でやっても全然終わらないので大変なんですよ」
雪は納得いったようにうんうんと頷く。
「あと、鍬も今は先端が板型だが三本足か四本足みたいにした方がうまく耕せそうな気がするんだ、何となくだけど」
「言われてみればそうですね……でもそんな複雑な形のもの作るの大変じゃないですか?」
「そうだな。何か金物職人とかいないか?」
「いますけど、最近は刀や槍ばかり売れるのでみんな刀や槍ばかり作ってます」
やっぱ戦争って良くないな、今更だが。ただ、確かに刀は刃こぼれするし、槍も先端がとれたり折れたりすることはある。だから戦争が続く限り鍛冶師はそんなものばかり作り続けるのだろう。
「そうだな。もし武器が手に入るか戦がなくなるかしたら頼んでみよう」
「あ、そろそろ炊けそうです」
そんなことを話しているうちにご飯が炊けるいい匂いがしてくる。雪は立ち上がると家の中へと入っていった。
しばらくの間俺は考え事をしていた。農具を作るには鍛冶師を増やすか戦争をやめないといけないのか。鍛冶師をすぐに増やすのは無理である以上、戦争を終わらせないといけなくなる。だから江戸時代に農業は発展したのか。今まで武器作ってた人たちは作るものなくなるからな。戦争をなくすには蘆名家をどうにかしないといけないが……
「お待たせしました、炊き立てのおにぎりですよ。今回はお米の味がより分かるように塩だけのも用意しました」
そう言って雪はおにぎりを籠に入れて持ってきてくれる。
「いただこう」
俺はまず塩にぎりをとって口に入れる。直後に雪も塩にぎりを口にした。確かに言われてみればこの時代に食べている米と何となく違う。言い方は難しいが、柔らかくてほのかに甘い。そして何となく懐かしい感じがする。それは俺が現代人だからだろうが。一方の雪は一口食べて驚きの表情になった。
「すごい……こんなお米があるんですね。生まれてこの方一番おいしいかもしれません」
「そうだな。でも、おいしいのは雪が握ってくれたからじゃないか?」
俺の軽口に雪はみるみるうちに真っ赤になる。
「も、もう! そんなことないですよ。私が食べてもおいしいですし」
しばらく俺たちは味わいながらおにぎりを食べた。おにぎりをこんなに味わって食べたのは初めてかもしれない。やがて食べ終わり、お茶を飲んで一息つくと俺は口を開く。
「面倒かもしれないが、今年とれた分で来年はもっとたくさん植えてみてくれないか?」
「はい、もちろんです!」